「あなた……誰?」
「リナ?」
開口一番に言ったリナの言葉にオレは絶句してしまった。
***
朝起きて、オレはいつもの通り服に着替え、一階の食堂へと降りていった。そこにはすでにリナが待っているだろうから。
見ると案の定リナは席に座っていた。そこに声をかける。
「おはよう。リナ」
「……」
「リナ?」
ハトが豆鉄砲でも食らったようなきょとんとした顔。
そして次に出てきた言葉。
「あなた……誰? あたし、あなたのこと知らないわ」
その言葉に偽りはなく、オレに対して警戒心をもって接してくる。
知らない? オレのことを?
「リナ? 悪い冗談は――」
「触らないで!」
手を伸ばしたオレにびくっとし、大声で牽制をかける。
一体どうしたんだ?
突然変わってしまったリナに戸惑いながら考える。すると、どこか違和感を感じた。
そうか……。
「いるんだろ。ゼロス。出てこい」
リナの変化に気付くのが遅れたが、こちらを窺っている馴染みある視線に気付いた。
「おやぁ、ガウリイさんともあろうお方が、ずいぶん気付くのが遅いですねぇ」
馬鹿にしたような声が空中からし、ついでゼロスが姿を現した。
今にも溢れそうな殺気を内にとどめ、ゼロスに問いかける。
「ゼロス……お前、リナに何をした?」
「いえ、ちょっと記憶操作を、ね」
「記憶操作だと?」
「はい。獣王様のご命令でして」
「なに!?」
最近比較的穏やかだった日常だったのに、また問題が持ち上がる。
今度はいったいなんなんだ? しかも殺さないで中途半端に記憶を奪って――
「いやあ。僕としてもリナさんの記憶を無くすのは辛かったんですけどねぇ。ですが、獣王様が『あのお方』に関する記憶を人間が持つのは、好ましくないと判断しまして……」
「ちょっと! そこで何あたしを差し置いてごちゃごちゃ話してんのよ。だいたいゼロス! そっちの男は誰なの?」
ちょっと待て。今、ゼロスって言わなかったか?
「ゼロスのことは覚えてる……のか?」
カラカラに乾いたのどでやっとその言葉を絞り出す。
どういうことだ? オレのことは分からないのに、ゼロスのことは覚えている?
「ちょっとした知り合いですよ。リナさん」
「知り合い……?」
「リナ、オレのこと覚えてないのか?」
リナの肩を掴んで震える声で尋ねる。
なんでゼロスのことは覚えていて、オレのことを覚えてないんだ?
だけどリナは本当にオレのことなどしらないように、あっさりと。
「知らないわ」
「でしょうね。僕のかけた術は完璧ですから♪」
「なんだと!」
にっこりと一見邪気のなさそうな笑みを浮かべてゼロスがにこやかに言う。
いったいリナはどうしてしまったんだ?
「いいですねぇ。ガウリイさんのその負の感情」
「ガウリイ……?」
ゼロスの言葉にリナが少し反応する。
「リナ! 思い出したのか!?」
「……ごめんなさい。思い出せないわ」
リナの反応に、オレはリナの肩をつかんで問いつめる。
すまなさそうに言うリナ。だけどこれはリナが悪いんじゃない。
リナを宥めるよう比較的穏やかな目つきから一転して、ゼロスを見る目は思いきり冷たくなる。
「ゼロス……ちゃんと説明してもらおうか」
「ええ、いいですよ」
オレは殺気をみなぎらせ怒気を孕んだ声で言うが、いけしゃあしゃあとゼロスはおもしろそうに答えた。
「ことの発端は、獣王様と海王様の会話に始まります……」
ゼロスの説明はこうだった。
人間の身で有りながら、『金色の魔王』の存在を知り、なおかつその呪文を使えるリナを常々魔族は厄介に思っていた。
そして、いっそのこと『金色の魔王』の記憶をリナの中から消してしまえばいいと言う結論に達したこと。
『重破斬』と『神滅斬』さえ使えなければ、たいした驚異にはならないだろうと。
そこでゼロスが一任され、リナの中の『金色の魔王』の記憶を消し去ったが、ゼロスがそれだけではつまらないから――という理由で、リナの中のオレの存在を消し去ったと言うのだった。
他の記憶はそのままで、オレという存在だけを忘れさせた。
オレの悲しみ、怒り、そういった感情と、リナの戸惑いの感情を味わうために。
「まあ、僕としてはリナさんからあのお方の記憶を無くしてしまってはつまらないですからねぇ。でも上の命令には逆らえませんし。ということで、僕の楽しみも叶えつつ、お仕事をさせて頂いたってわけです♪」
ゼロスは悪びれずにそう言った。
確かに今オレから流れ出る、怒りや、悲しみなどの負の感情はゼロスを楽しませているのだろう。分かってはいるが、抑えることはできなかった。
「では僕はそろそろこれで。ガウリイさんから十分負の感情を楽しませてもらいました」
「待て! リナを元に戻せ!!」
空中に浮き、消えかけるゼロスにオレはもう一度言う。
「それは無理です。獣王様の命令は僕にとって絶対ですので。それではガウリイさん、ごきげんよう」
結局言いたいことだけ言ってゼロスは消えてしまった。その辺に気配を感じないことから、ここからすでに立ち去ってしまったに違いない。
「あの、ガウリイ……さん?」
「リナ……」
不安そうなリナの顔。
そうだ、一番不安なのはリナなのに。オレがしっかりしなければいけないんだ。
オレは怒りを鎮めて、リナに笑顔で接する。
「ガウリイでいい。前は……ずっとそう呼んでいた」
「ガウリイ?」
「ああ」
リナの不安を取り去るように、リナの頭をくしゃくしゃとなでる。
「ちょっ……やめてよ! 髪痛むじゃない!」
「よくやってたぞ。これもいつものことだった」
「ホント?」
「ああ」
うん。嘘じゃない。
リナによく止められたが、リナの頭をくしゃくしゃ撫でるのは、もうオレの癖になっていた。
「ホント……に?」
上目遣いで見つめるリナ。
「ああ」
「……」
オレの言葉に納得したのか、リナはオレの腕から手を放しおとなしくなった。
「ねえ、教えてちょうだい。あなたとあたしのこと」
「ああ。もちろん」
忘れてしまってもこれからがある。
消えてしまった過去は痛いが、それでも未来がある。
そう思うことにしよう。
「リナとオレは……」
オレはリナと出会った時からのことを話し始めた。
いいさ。未来があるなら。
何度だって始めからやり直そう。
二人でなら、きっとそれもできるさ――
ゼロスのちょっかいによるリナの記憶操作。
でも、ガウリイは絶対にあきらめ悪いと思う。