「大丈夫ですか? リナさん」
「すみません……あまり、大丈夫、じゃ……」
いまだに眩暈のする状態で、それでもリナはなんとかシルフィールに答えた。
厚い石でできた牢獄のような部屋。ここがどこか分からないが、彼らは自分たちをすぐに殺す気がないと判断できる。それならどこで黒幕とご対面になるだろうし、当面の延命はできるということだ。
体力が回復すれば、ここから脱出することも可能だろう。シルフィールをつれてとなると少し大変だが、なんとかなるはずだ。
頭の中で素早く現状把握と打開策を巡らしていると、シルフィールが搾り出すような声でぼつりと呟いた。
「……謝らない、で……くだ、さい……」
「シルフィール、様?」
「謝らないで……ください。謝るのは、わたくし、の……ほうで……」
シルフィールは俯き震えながら呟く。
荒削りの石の床に、ぽたり、ぽたりと水滴が落ちた。
「シルフィール様?」
謝るばかりのシルフィールに、リナはどうしていいのか分からない。
もしかして、シルフィールが自分に暗殺者の話をしたから、捕まってしまったのだと思っているのだろうかと推測する。
けれどあれは、彼女のせいではない。
あの時でなくても、いずれ対峙する相手だ。それが早いか遅いかだけで――
「シルフィール様、あれはシルフィール様のせいではありません」
「いいえ! わたくしのせいです! だって……だってわたくしは……!」
「シルフィール様?」
激昂するシルフィールをなんとか宥めなくては、と思っていると、重い鉄の扉にガチャリと鍵を開ける音が聞こえる。
やっと黒幕がお出ましか――リナは自然と息を呑んだ。
ゆっくりと鉄の扉が開かれる。その向こうにはなかなか顔立ちのいい中年の男性が立っていた。
そして、その後ろに控えるようにいたのが――
「――ゼロス……」
「お久しぶりです、リナさん。どうやら覚えていてくださったようですね」
前に立っている男よりも先に口を開くゼロス。
前の男はリナを一瞥すると、今度は蔑むような視線をシルフィールに向けた。
「ふんっ、こんな小娘に負けるとはな、シルフィール」
「伯父様……」
「お、伯父様!? ってことは、デビット=ランドール!?」
シルフィールが城に来るときに、ゼルガディスが説明してくれた話を思い出し、リナは信じられない心境になった。
しかし、シルフィールが否定しないということは、目の前の男はシルフィールの伯父というのは本当なのだろう。
(だからシルフィールはあたしに謝ったの?)
伯父がガウリイ暗殺の黒幕だと知ったからだろうか。
それとも、すでにそのつもりで城に入り込んでいて、役目を果たせなかったからだろうか。
どちらか分からないが、シルフィールの口振りだと、伯父デビットが黒幕だと知っていたのだろう。
驚愕するリナにデビットは冷たい表情で「身分も弁えぬ小娘が」と一瞥した。続いて更にシルフィールを罵り始める。
「まったく、姪ということで引き取ってやったというのに、肝心なところで役に立たないとは」
ブツブツと言うデビットに、シルフィールは辛いのだろう、俯いてしまう。
それにしても、そのためだけにシルフィールを引き取ったというのだろうか?
とてもじゃないが、血の繋がった姪に対する扱いとは思えなかった。
「肝心なところで使えないのは弟のクライドにそっくりだな。まあ、親子のなのだから当たりま――」
「ちょっと! 聞いていればムカムカするようなことばかり言ってんじゃないわよ! シルフィールが何をしたって言うわけ!? 彼女はあんたの人形じゃないわよ!!」
我慢の限界だった。
リナとて別にシルフィールに特別な感情を抱いていたわけじゃない。
どちらかというと、五聖家に連なるものとして、簡単にガウリイの側にいる権利を手に入れた彼女を嫉妬の目で見たこともある。
けれど、嫌いではない。
というか嫌いになれるほど彼女のことを知っているわけではなかったし、また昨日はアメリアに王族としての心得などを聴いてきたりと変わり始めていた。きちんと話せば分かってくれる人だと思った。
だから、そんな理由で彼女を罵倒するデビットに腹が立って仕方ない。
「ふんっ、何も知らない小娘が。お前こそシルフィールが手引きしたから捕まったのだと、なぜ気づかない?」
「……」
「シルフィールはあの若造に惚れこんだせいでお前に嫉妬して、お前をあの城から排除するために私の言うことを聞いたのだ。お前は自分が庇おうとしているシルフィールに嵌められたのだよ」
「すみませんっ、リナさん……!」
デビットはリナに対して馬鹿にするように言うと、シルフィールが耐え切れずに高い声で叫んだ。
やはり、と思った。それくらいはリナも推測できる。
けれど。
「だからなに?」
「なんだと? まだ自分が騙されたことに気づかないのか」
「だから? あたしだってシルフィールの態度でそれくらい分かるわ。でも、だからなんなの、って聞いてるの」
「……リナ、さん……?」
リナは意志の強い目と口調ではっきり言う。デビットはそう答えられると思わなかったようで、少したじろいだ。
シルフィールは俯いていた顔を上げて、信じられないといった表情でリナを見た。
「嫉妬? はっ、そんなもの! 人間だものそういう感情があったっておかしくないわよ。彼女は聖人君子でも神でもないのよ。そんなことも分からないの?」
馬鹿馬鹿しい、そんな人間がいたら見てみたいものだ、と、デビットを馬鹿にするように笑う。
その笑いにデビットの顔は歪み、シルフィールは信じられないものでみ見るかのようにリナを見る。
「リナさん……?」
「いい、シルフィール。あたしだってガウリイのことを名前で呼ぶあんたに対して嫉妬したわ。たかが、血筋のいい生まれだからって、ただそれだけで、あんたは容易くあの場所を手に入れた――」
「……っ」
痛いところを突かれたのだろう。シルフィールは口をきゅっと横に引き締めて何も言えなかった。
けれど、リナが言いたいのはそれではない。
「ちょ、落ち込まないでよ! だから、あたしが言いたいのは、誰だって生きている以上いろんな感情を持つの! 嬉しい時は嬉しい気持ち。嫌な時は嫌な気持ち。だからシルフィールがそういう感情を抱いたって別におかしいことじゃないの!」
「リナ、さん……?」
「そんな感情がないなんていったら、人間じゃないわよ。どんなイキモノよ、そんなの!」
自分だってそういう感情はいっぱい持っている。反対に持っているからこそ生きているんだと思える。生まれた瞬間から命がなかったかもしれないリナは、どんな感情も大事にしたいと思う。それが生きていると思える証拠だから。
それにシルフィールが自分とガウリイとの関係を知っていとしたら、それに対して嫉妬するのは女として当然だと思う。たとえ政略結婚でも、夫となる人に女性の影が見えれば嫌な気持ちになるのは当然だ。
それにシルフィールのガウリイに対する感情は、他人から見ても分かるほど現れていた。それなのに嫉妬しないほうがおかしい。
反対に自分が割り込んでしまったことに対して罪悪感を感じてしまう。だからシルフィールがリナに対して持つ感情は当然で、謝られるほうが居たたまれない。
シルフィールはリナの言葉に元気づけられて、表情が少しだけ明るくなる。
そこへ、今まで黙っていたゼロスが茶化すようにぱんぱんと手を叩いた。
「とても立派なご意見ですねぇ。それとも美しき女の友情ですか?」
「ふん。下らん。そのせいでお前の命が危ないのだぞ」
デビットも馬鹿らしいとばかりにリナを見下しす。
彼らにとってはお涙頂戴の馬鹿らしい三文芝居にしか見えないかもしれない。けれどリナにとっては、シルフィールとの確執を取る丁度いい機会だった。
それに。
「命が危ない? 冗談言わないでよ。このあたしがあんたみたいな三流に、やられるわけないでしょう?」
リナは不敵な笑みを浮かべながら、その大きな赤い瞳をすっと細めた。