第2章 自覚~思いが通う瞬間-12

 リナの怪我は深いわけではなかったが、肩口から胸にかけて鋭い刃物でざっくりと切られたような状態だった。
 シルフィールとアメリアが慌てて『復活リザレクション』で傷を癒したが、傷が広範囲だったため出血が酷く、血が足りず貧血を起こして気を失っていた。
 そのまま意識を失っているリナを、供が乗ってきた馬車に静かに横たわらせ城へと戻った。
 その間もリナの意識は戻らず、リナはそのまま自室へと運ばれた。

 ガウリイの服にはリナを抱きかかえた時の血がべっとりと付着していた。それ以外にも暗殺者たちの返り血もある。
 リナのことが心配だったが、ゼルガディスにいつまでそのままでいる気だと言われ、半ば強引に私室へと連れて行かれる。
 ガウリイは「早くその格好を何とかしろ」と追い立てられながら風呂に向かった。急いで汚れを落とし新しい服に着替えると、リナの部屋を探すため、私室を後にした。

 ガウリイはリナの部屋の位置を教えてもらっていない。手当たり次第探すしかない。けれど城にはたくさんの使用人がいて、彼らの部屋を一つ一つ見ていかなければならないことになる。
 それに一国の王が使用人のプライベートにまで立ち入るのは良くない。どうしようかと迷った後、リナと仲のいいミリーナなら知っているかもしれないと思いついた。急いでミリーナのいる温室へと足を運ぶ。
 リナが怪我をしたということ自体とても心配なのに、その怪我が自分のせいだと分かっているため、余計に辛い。
 巻き込んで悪かったと謝りたい。大丈夫かと直接触れて確かめたい――そんな気ばかりが急いてしまう。

「ガウリイ」

 気ばかり焦っていると、ミリーナのところにたどり着く前に、ルークに呼び止められる。

「……ルーク。今急いでいるんだ」
「リナの部屋はそっちじゃねぇ、こっちだ」
「ルーク?」

 ガウリイはしばらくの間ルークが何を言っているのか分からなかった。
 ゼルガディスからガウリイにはリナの部屋を決して教えるなと言われていたため、今まで一度も教えてくれることはなかった。
 それがどういった風の吹き回しなのか。

「あいつのところに行きたいんだろう?」
「あ、ああ。だが……」
「あんな大怪我したってのに、見舞いにも行けないってのは辛いからな。ゼルには口止めされてるけど仕方ねぇ」
「ルーク……」
「俺だってあいつをミリーナに置き換えたら堪んねぇよ。ゼルから無理やりにでも聞き出したくなるさ」

 ああ、と思った。ルークもガウリイと同じで、ミリーナへの思いは周囲にとって喜ばれない。本当なら大声で叫びたいくらい思っているが、ミリーナのことを考えると彼女の被害も考えてあまり動けずにいる。
 ルークもルークなりに気を遣っているのだ。ガウリイとゼルガディスには思い切り叫んでいるが、周囲に人がいる場合はミリーナのために抑えている。
 きっと今のガウリイの状態を自分に置き換えてみたのだろう。そして少しでも早く無事を確認したい――と思ったに違いない。
 どちらにしろ、ルークの好意はありがたかった。

「悪いな」
「まあ、ゼルが知ったら怒り出しそうだから、なるべく目立たなく済ませろよ」
「ああ」
「分かってるならこっちだ」

 ルークは右手で合図すると、右側の通路に向かって歩き出した。
 ガウリイはそれについて行った。

 しばらく歩くと、城内の北の小さな部屋にたどり着く。そこはお世辞にもいい部屋とは言えない。入口の扉一つとっても古びていて、ガウリイは城の中にこんな部屋もあったのか……と改めて知った。
 しかし古びてはいるものの、手入れはされているようで埃などは見られない。

「ここだ。まだ眠っているらしい」
「入って……いいか?」
「ああ。今は誰もいないからな。ゼルにはなんとか誤魔化しておく。それに、あいつも目覚めた時に一人より誰かがいたほうがいいだろう」
「……そうだな」

 ガウリイは答えながら扉をそっと開けると、狭い室内が目に入った。
 隅にある木造のベッドに眠るリナを見て、少しだけ安堵した。
 それにしても――

「それにしても酷い部屋だな」
「ああ、あいつは文句言わねえけどな」

 室内は小さな窓が一つ。壁際に机と椅子とランプがあり、そしてリナが寝ている簡素な木のベッドと、その横に衣装箱らしき小さな箱。
 豪華な部屋を見慣れているガウリイには、リナの部屋が寂しく、貧しく見えた。

「部屋を……移すわけにはいかないか?」
「やめておいたほうがいいだろう。多分……あいつも分かってる。ここにいるためにはなるべく人の目に留まらないほうがいいってことが、な」

 そういう意味では、人の来ない北の外れの小部屋は最適だろう。
 けれど、この部屋は使用人たちの部屋よりも小さいし、暖炉などもない。今は夏だからいいが、北の外れということで、冬はとても冷えるだろう。暖かいエルメキアといえど、冬はそれなりに寒いし、場合によっては雪も降る。
 それなのに、この部屋は暖を取るためのものが一つもなかった。
 情けないと思った。一国の王なのに、たった一人の人間をどうにかすることも出来ない。そう思うと、自然に握り締めたこぶしに力が入った。

「ま、出会いの場を作ってやったんだから感謝しろよ」

 ぽんっと肩に手を置かれ、はっとなり体から力が抜ける。
 ガウリイはルークに「ああ」と短く答えると、ルークはそのまま部屋から立ち去った。

 

 ***

 

 ガウリイは机のところにあった椅子を持ち上げてベッドの横に静かに置いた。
 そしてそれに座ると、赤みのないリナの頬に触れる。血の気を感じないその頬は、それでも触れると温かくて、ガウリイは少し安心した。

「リナ……」

 昨日アメリアに、どんな理由であれリナを利用したら許さない、と釘を刺されたばかりなのに。それなのに、こうして傷つけてしまったことを激しく悔いる。
 アメリアが心配するリナの力の秘密は分からないけれど、結果的に利用したも同然だと思う。

「ただ……ただ側にいて欲しいだけなのに、な」

 側にいてくれるなら、それだけでも構わない――そう思い始めていたのに。
 最近ではリナと二人きりでこっそりお茶をするその時が、とても楽しくて嬉しかった。リナのためにもそれ以上を望まず、ただよき友としていようと思ったのに。
 こんなことになろうとは露にも思わなかった。

 ガウリイの顔が悲しみに歪む。そして、自分は間違っていたのだろうかと思い始めた。
 ゼルガディスの言うとおり、リナのために無理強いなどしなかった。けれど、こんな風に危険な目に合わせるなら、囲って城から出さなければよかった、と。
 エルメキア人かどうかはともかく、それなりの名家に養女として入れて姓さえ得れば、側室として迎えることは出来たはずだった。正妃には無理だろうが、側室としてなら問題はないはずだ。
 ゼルガディスもその可能性を考えてはいただろうが、あえて口にしなかったに違いない。
 ガウリイはその話を聞いた時、リナがゼフィーリア王家の者だということに固執していて気づかなかった。
 他国――しかも表面上、王族ではない――の血が邪魔をして正妃にはなれないことから、側室にするということは除外していた。

 ガウリイにとって、一番はリナだ。
 そのリナを一番(正妃)にできないのなら意味がないので、あくまで正妃という座に拘った。

 その結果がどうだろう?
 危険な仕事をさせて、命を落とすかもしれないという状態にしてしまった。
 なら、見た目の『一番』などに拘っていていいのだろうか?
 一度城に入れてしまい、ガウリイがリナの元へと足しげく通えば、リナは王の寵姫として誰も手を出せなくなる。皆、内心はどうあれ、リナはそれなりの扱いを受けるだろう。自分もリナを手放さずに済み、そしてリナも一生居られる居場所を手に入れられる。
 リナの性格を考えるなら、その話をしても頷かないかもしれない。
 けれど、このような事があるとなると、ガウリイのほうが平然としていられない。好きな女性に身を守られ、反対に彼女が傷つく姿など見たくなかった。

(いっそ、このまま自分のものにしてしまおうか――?)

 リナの頬に触れながら、ガウリイはそんな甘い誘惑に駆られようとしていた。

 

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