第2章 自覚~思いが通う瞬間-9

 シルフィールはエルメキア城に来てから、常に人に見られていた。でもそれは好意のものが多く、不快なものではない。
 だから嬉しいものだったが、一つだけ気になるのは、もう一つの注目の的――ガウリイが自分を見るときに感じる感情だった。
 同じ五聖家の者としての表面上の好意。ただそれだけ。
 ガウリイは優しく接してくれて、最初はそんなことは気にならなかったのに、彼が落馬したあの日から、少しずつ変わっていくのを感じた。
 いや違う、変わっていったのではない。ある人を見ているのが多くなっただけだ。
 けれどそれは、自分とその人の違いを顕著に表していた。

「ふう……」

 シルフィールは薄い素材の長い夜着に着替えた状態で、鏡の前でため息をついた。
 皆に望まれてここにいるはずなのに、一番望んで欲しい人から望まれない。それはとても辛いものだと初めて知った。
 最初はガウリイの容姿だけに惹かれたかもしれない。
 けれど一緒に時間を過ごし、優しい人だと知った。いつの間にか、本気で彼の側にいたいと思うようになった。
 でも、彼が見ている先には別の女性ひとがいた。身元も知れない、臣下なのに位もない栗色の小柄な少女が。

(どうして?)

 不思議で仕方なかった。
 けれどその後に、もしかしたら彼は優しい人だから、素性の知れない少女のことを気にかけているだけではないか? そう思いこもうとした。いや、思いこんでいた。
 今日の午後、人気のない庭で、アメリアを交えて三人でお茶をしているのを見るまでは。

 

 ***

 

 本当に偶然だった。
 同じ五聖家のルークが想いを寄せる女性――ミリーナと会うために、空いている時間に彼女がいるという温室を訪ねようとしたときだ。数人の声が聞こえた。
 こんなところに人が? と思いながら見てみると、問題の少女に抱きついているセイルーンの王女アメリアと、それをどうにかしようとしているガウリイの姿が目に入った。

「ちょ……アメリアもういい加減にしてよ」
「イヤ。リナは渡さないから」
「あたしはモノじゃないわよ」
「だーめ」
「アメリアの主張は分かったから、リナも困ってるし放してやれよ」
「イ・ヤ、です。久しぶりに会えたんだもの。それよりガウリイさんこそ、どこかに行ってください。女の子の語らいに男の人は邪魔です」

 きっぱり言い放つアメリアに、ガウリイは苦笑しながら。

「そう言ってもなぁ。オレだってリナと会えるのはこの時間だけなんだ。少しは分けてくれよ」
「ちょ、分けるって何よ!? ってこの手放しなさいよ、二人とも!!」
「嫌です」
「嫌だ」

 なんだかんだ言いながらも三人は楽しそうで、シルフィールは胸が痛くなった。
 あんな風に楽しく笑うガウリイを、シルフィールは見たことがなかった。
 幸か不幸か、彼らはシルフィールの存在に気づかずにいたため、彼女はそっとその場を離れた。
 あの時の衝撃は今も胸に残っている。

 

 ***

 

 昼間のことを思い出していると、コンコンと扉を叩く音がして我に返った。

「はい」
「リナです。なにかお呼びでしょうか?」

 ああ、そうだったわ、とシルフィールは思い出す。
 リナの口から、ガウリイとアメリアの二人と、どういった関係なのかを尋ねようと思っていたのだ。

「お待ちしてました。少し聞きたいことがありましたので」
「あ、はい」

 シルフィールは夜着の上に軽くショールを羽織ると、扉を開けて問題の少女――リナを室内に招いた。
 リナが室内に入ると、ソファに座るよう促す。彼女は室内の豪華さに驚くこともなく、落ち着いてソファに座った。
 その様子を見て、身元が知れないとゼルガディスは言っていたが、もしかしたらリナは上流階級の娘なのかもしれない、とシルフィールは思った。

「あの、何かあったんでしょうか?」
「ああ、いえ。少しリナさんにお話を伺いたかったのです」

 シルフィールは慌てて答えると、用意してあったティーポットにお湯を注いだ。用意したのは安眠の効能もある花茶で、微かに花の香りが辺りに漂いだす。
 その香りを嗅ぎながら、シルフィールはどうやって話を切り出そうかと思案した。直接ガウリイとの関係を聞くことはできなかった。
 恥じらいと、そして昼間のことを盗み見てしまった罪悪感とで。

「そういえば、ゼルガディス様が夕食時シルフィール様が元気がないと仰られておりましたが、そのことについてでしょうか? どこか具合の悪いところでもありますか?」
「え、それは……」

 シルフィールはたしかに午後の出来事がショックで、食事もまともにできなかった。
 けれど、リナのほうから話を切り出してくれたので、なんとかそれに合わせて話をしようと考える。

「少し……アメリア姫を見ていたら、わたくしはこれでいいのだろうかと思ったのです」
「どういうことでしょうか?」

 首を傾げるリナに、シルフィールは苦笑しながら。

「アメリア姫は好かれていますわ。昨日いらっしゃったばかりだというのに、もう色々な人に」
「そう、ですね。でもそれがどうしたんでしょうか?」
「比較してしまったのです。わたくしはどうなんだろうと」

 元気なアメリアは一国の王女らしくなく、身分に関係なく城で働く人たちに気軽に話しかける。そのため、たった二日でシルフィールが来たときよりも城内が明るくなった気がした。
 それを見て、今まで五聖家に連なる家の女性として、高い教養を持つ淑女たるようにと教えられてきたが、本当にそれだけでいいのだろうか、という一つの疑問が生まれたのも確かだった。

「でもシルフィール様も城の皆に求められているんじゃありませんか?」
「そうかもしれませんが……」

『好かれている』のと『求められている』のでは違う。
『好かれている』というのは、言葉の通りにその人個人がなんの後ろ楯もなく好まれるということ。
 もちろんこうした上流社会に生きるものは、好きというだけでは済まされないことが多い。
 その場合に必要なのが、『求められている』という言葉。その人個人の能力も性格も関係なく、その立場にいるから『求められる』。
 まさしく今の自分はそれなのではないだろうか、とシルフィールは急に不安になったのだった。

「では聞きますが、リナさんはわたくしがガウリイ様の妻となることに対して、どう思われますか?」

 ガウリイの妻――その言葉に、リナの指先がピクリと動く。シルフィールはそれを見逃さなかったが、問い詰めることはしなかった。
 問い詰めて、リナもガウリイのことを想っていることが分かったら、シルフィールに勝ち目はない。
 彼女が有利なのは、あくまで血筋というものだけだ。それはシルフィールの立場を応援する確固たるものだが、応援してくれるのは立場だけ。気持ちまではどうしようもない。
 それが分かってしまえば、ガウリイと結婚することはできるが、彼に思われているわけではないことも分かってしまう。
 シルフィールは震える手を何とか押さえ、蒸らした花茶をカップに注ぐと、一つをリナに渡した。リナはそれを受け取りながら、やっと口を開く。

「臣下として答えるなら、それは今一番望まれることだと思います。一国の主である王の婚姻などは、今の世の悪い話を吹き飛ばすのに足るでしょう」
「……それは『王妃』としてのことですね。なら、『妻』としてはどうですか?」

 震える声で、シルフィールはリナに尋ねる。
 望んでくれるだろうか、彼の妻であることを。目の前の少女は、邪心なく――

「……分かりません。よき妻であるかどうかを判断するのは、夫となる陛下の役目ではないでしょうか」
「……」
「あたしが口を出していいことではないと思います。けれど……」
「けれど?」

 リナは一旦そこで切ると、もらった花茶を口に含んだ。
 シルフィールはその続きが気になって、身を乗り出して尋ねた。

「臣下としてなら、陛下のためにもよき妻、よき王妃であって欲しいと思います」
「それは……」
「シルフィール様も陛下も一人の人間ですが、王家に身を置く以上、公人でもあります。ですから、よき夫婦でありたいと思うのなら、その努力は普通の夫婦よりも大変なものだと思います。ですから努力してほしいと思ったんです」
「そう、ですね。なら、『リナ』さんとしてはどうですか?」

 臣下としてではなく、リナ個人としての意見。それはシルフィールが一番聞きたいこと。
 思わずカップを握る手に力が入る。

「それは……ここにいる以上、あたしは『臣下』ですから。あたし個人の、と言われても困ります」
「そこを答えて欲しいのです」
「それは……陛下が望まれているのでしたら問題はないかと思います。後はシルフィール様が陛下を慕い支えてくれるのでしたら、なにも言うことはないと思いますが」
「そう……ですか。では、そうなった時も、リナさんはここでわたくしたちを支えてくださいますか?」

 念押しだった。
 本当はリナの口からガウリイのことをなんとも思っていないと言って欲しい。でもそれは無理だから、主従のけじめをつけられる人物かどうかを見極めたかった。不安は残るものの、それでも少しは安心できる。
 ガウリイの性格から、リナのことが好きでも、彼女が拒否すれば、無理やり手を出す人ではないと思えるから。
 シルフィールは肯定の言葉を切望していた。
 リナのほうはシルフィールの問いに少し考えて。

「いいえ。あたしが今ここにいるのは暗殺者に関する問題のために雇われただけです。もともとあたしは世界中を旅してみたいと思っているので、この件が片付けばお暇させていただくつもりです」
「……そうですか。変なことを聞いてすみませんでした。今日はありがとうございます」
「いえ、あたしの意見でも参考になれば」

 リナはそう答えると、残りの花茶を飲み干した。静かにカップをテーブルの上に置くと、「ご馳走様でした」と言う。
 シルフィールはそれを見て、小さく頷いた。

「用は済んだようなので、それではあたしは失礼します」
「はい。ありがとうございました」

 シルフィールが欲しい答えは得られなかったけれど、これ以上深く尋ねるのは無理だと諦めた。
 リナが廊下に続く扉に向かい、ドアノブに手をかけたとき、ふと彼女は振り返りシルフィールを見つめた。

「リナさん?」
「出すぎたことと思いますが、ひとつだけ」
「なんですか?」

 何を言われるのか、とシルフィールは少し身構えた。
 そんなシルフィールの態度に気づかないのか、リナは先ほどと同じ口調で。

「陛下の隣にいると決めたのなら、いつまでも努力をすることを忘れないでください。シルフィール様は今、皆に望まれています。けれど努力なしでは、それは続かないと思うのです。……少なくとも、血筋や家柄だけが人を動かすものではないと分かってください」

 リナはそれだけ言い切ると、シルフィールに一礼をして扉を閉めた。

 

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