第2章 自覚~思いが通う瞬間-5

 すでに入口から射し込む光は赤みを帯びていて、時が夕方だと告げていた。
 薄暗くなった厩舎に訪れる者はいない。その中でエルメキア王とその側近に仕えるものが抱き合っているなど誰も気づかない。
 けれどリナにしてみると、いつ誰がガウリイを探しに来るかわからないため、この状況はとてつもなく困った。
 自分の心に立つ波はともかくとして、シルフィールの登場でようやく城の者は見出した光に喜んでいる。そんな時に、臣下と密会――になるのだろうか――をしていたなどという噂は、ガウリイにとっても喜ばしくないだろう。
 国民の希望を叶えてやるのも王としての義務だ。
 でも、このままいくと、ガウリイはその義務を放棄してしまうことになる。

「……は、放してください!」
「嫌だ」
「駄目ですってば! こんなところ人に見られたらどう思われるか……。せっかくシルフィール様の登場で皆喜んでいるんですよ」

 王に仕える者――臣下に、国民に期待されている以上、彼はそれを果たさなければならない。
 ましてや今はライゼールの問題を抱えていて、世界情勢に影を落としている。だからこそ、相応しい正妃を迎え、世継ぎを作ることが密かに望まれている。その中にリナが入る隙はない。いや、入ってはいけないのだ。
 ガウリイもそれは分かっているようだが、それでも理解と感情は別なのか。
 このまま身を預けてしまいたい衝動に駆られるが、それでもリナは必死に理性を保とうとした。

「いいですか。陛下はこの国の王なんです。自覚してください。あたしのような身元の分からない娘に関わっている暇はないでしょう?」

 リナはゼルガディスが自分の過去を調べたのはすでに知っていた。
 その調べた結果から、どんな推測を出したかは分からない。けれど、ゼルガディスならガウリイに――エルメキア王に相応しくないと判断するだろう。
 それでもここにいたのは、ゼルガディスが追求しないことと、少しでもガウリイの側にいたいと思う切ない感情からだ。
 それを維持するためには、距離を保ち、ガウリイの願いに決して応じてはいけない。

「それともなんですか? 一時の戯れですか? それでも命令なら名前で呼びますよ。陛下が望むならそれ以外のことも。ここにいる以上はあたしに拒む権利はありませんから」

 我ながら残酷なことを言っていると思った。
 けれどガウリイの表情は変わらない。反対にリナのほうが泣きたい気分になった。
 ガウリイの性格からして決してそんなことは言わないだろう。それでもこの言葉は彼を傷つけるだろうことは分かっている。
 これ以上、ガウリイを傷つける言葉など吐きたくない。だから諦めて欲しい手を離してほしいと切実に願った。
 けれど、それは予想外な展開で裏切られる。

「えっと、悪いが前のように名前で呼んで、普通に話したいだけなんだが……」
「へ!?」
「会った時みたいに……ここにいると皆オレを王としてみるから。まあ、ゼルとルークは別なんだが、シルフィールでさえ『様』をつけるし。たまにはそういったのを気にしないで気軽に話せる相手が欲しいって思ってたから……」

 素っ頓狂な顔のリナに、ガウリイは少し考えながら自分の思いを口にした。
 リナはその言葉を取り込んで、頭でよく理解すると、その後は顔から火が出そうなほど恥ずかしくなった。

(え? なになに!? ただ単に気軽に話せる相手が欲しいってだけ? あ、あたしってば早とちりぃ!?!?)

 悲しいことに、リナは年よりも若く見え、女性としての魅力はほとんどない。この城に来てからも、男性に言い寄られることなど一回もなかった。
 だからゼルガディスからガウリイがリナに対して思っていると告げられた時、そんなことあるわけない――と半分思っていた。
 そんな自分の容姿を踏まえて、ガウリイのその言葉をそのまま鵜呑みにしてしまう。
 急に張り詰めていたものが消えて、つい、いつもの口調でぼやく。

「えと……ゼルがなんか男女の仲になったらまずいとかなんとか言っていたから、気にしてたんだけど……」
「あー言っていたっけな」
「あなたはあたしに対してそういうのじゃなくて、ただ単に気軽に話せる相手が欲しいだけなのね?」
「……ああ。だって王様なんて堅苦しいだけでさ。リナのように気軽に話ができる相手が欲しいんだよな」

 気がつくと、かなり敬語が抜けてしまうくらい力んでいた気も抜けていた。それと同時に、頭の中で素早く思考をめぐらせる。
 ガウリイの言ったことが望みなら、自分の気持ちを隠し、普通に接すればなんの問題もないかもしれない。
 なんの、というには語弊があるけれど、他の人が見てない時くらい、ガウリイの望みを叶えてあげるくらいはできそうだ。
 それに二人きりになる時などほとんどないといっていい。
 なら、今頷いて、後は当たり障りのないように接すれば問題ないかもしれない。ガウリイに少しくらい普通の楽しみというものをあげてもいいだろう。
 リナの頭はそんな答えをはじき出した。

「名前を呼んで、普通に話をしたい。友だち……のように、ってこと?」
「ああ」
「なら、二人きりの時だったらいいわ。確かに王様なんて窮屈だものね。それくらいなら付き合ってあげるわ」

 王族であることの窮屈さや、孤独さはそれなりに理解している。
 だから、それくらいなら――と譲歩する。

「本当か!?」
「ええ。でも二人きりの時だけよ。ゼルもルークも気にしているみたいだから、彼らがいる時は無理ね」
「それでもいい」
「ならいいわ」

 ガウリイの顔はお日様が射し込んだように明るくなって、その表情はまるで子どもみたいに無邪気だった。
 その笑顔を見て、リナは自分は考えすぎてたのね、と心の中で呟く。
 が、同時にガウリイの願い――友だちのように接するとリナは理解した――とは正反対な状況に気づく。

「……って、ちょっと放してくれない?」

 いまだに抱きしめられているのだ。
 話している間、ずっとこんな体勢でいるから、誤解するんじゃない、と言いたくなる。

「あ、ああ」
「大体こんなことするから、こっちだって恥ずかしい勘違いするんじゃない!」
「すまん。だって行かないように呼び止めようと思って……声だけだったら行っちゃいそうだったし」
「……悪かったわ。こっちも勘違いしてたし」
「でも、まぁいいや。こんな風に普通に接してくれるなら、さ」

 笑顔で言うガウリイに、そういえばすっかり敬語が抜けてしまっていることに気づいた。
 ガウリイがあまりにも普通に話すので、ついつられてしまうのだ。

「とりあえず戻りましょう。そろそろ夕飯よ。お腹すいたわ」
「ああ、そうだな」
「言っとくけど、みんなの前までは無理だからね」
「……分かってる」

 リナは念押しすると、まずガウリイを先に城内に戻らせた。
 そして少ししてから自分も戻り、まるで何事もなかったかのように振舞った。

 

 ***

 

 その日の夕食は小鹿の香草焼き、牛肉を柔らかく煮込んだ固まり、野菜と鶏肉のクリームシチュー、サラダ――そんなものがテーブルの上に乗っていた。
 いつもと変わらない味なのに、ガウリイは今日はとてもおいしく感じられる。落馬してあちこち打ち付けた痛みなどすでに吹き飛んでいた。
 一番自分から遠い席にいるリナをちらりと見ると、リナはお腹が空いているのか、ものすごいスピードで胃袋に収めていっている。それでもこういう席のため、手はものすごく早いのだが、テーブルマナーはしっかりとしていた。

(ほんっと、よく食うよなあ。あんなにちっこいのに)

 出会ってから久方ぶりに普通に話せるようになった嬉しさで、ガウリイの頬は気がつくと緩みそうだ。
 けれどゼルガディスに悟られるとまずいと思い、リナに視線を向けるのをやめて食事に専念した。

(次は二人きりで会えるときを探さないとな。ま、それに関してはあてもあるし)

 ナイフとフォークで肉を小さく切りながら、心の中は嬉しさでいっぱいだった。今日厩舎での出来事を思い出し、一人悦に浸る。

 もちろんガウリイがリナに願ったことが最終目的ではない。
 けれど、ゼルガディスの入れ知恵のために、リナは見えない、けれど厚い壁をガウリイに対して作ってしまった。
 あの時リナが言ったように、命令すればリナは拒否はできなかっただろう。
 でもそれで得られるのは『リナ』という心のない人形でしかない。
 ガウリイの欲しいのは、あの意志の強い瞳を持った、王である自分さえも平気でど突ける破天荒な性格の生きた人間なのだ。
 だからこそ――
 ガウリイは咄嗟に頭をフル回転させた。いきなりリナの気持ちを無視して好きになれ、というは無理だし、まずは見えない壁を叩き壊すほうが先決だろうと。

(まずは普通に話すことだよな。普通に話せれば更に気軽になってくるし)

 物覚えの良くないガウリイは、考えることが苦手だった。
 けれど、これからどうやってリナを攻略していくかを考えるのは、とても楽しいと感じた。

 

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