第2章 自覚~思いが通う瞬間-4

 それは表面上はにこやかに明るい口調で答えた。
 けれど、その口調とは裏腹に、怪しい雰囲気が彼から滲み出ていた。

「城にいる以上、一般市民というわけではないでしょう?」
「ええ、僕は神官プリーストですので。たまたま王城に出向いてみれば、王様が落馬したという騒ぎじゃないですか。それに愛馬は毒に犯され、あと少しの命とか。なので、一応神官の身としては、その馬の最後を看取ってやろうという奉仕精神で――」

 胸に手を当てながら、静かに答える『神官』は、口調と内容がかみ合わない気がした。
 それに、なぜか胸がざわつく。
 けれど、それを押し隠しつつ。

「言ってることと貴方から出る雰囲気が違いすぎるのよ」
「はぁ」

 怪しい、気をつけろ――それがリナの内から湧き出る自己防衛本能。
 目の前の男は危険だ。ちりちりと皮膚が焼け付く感覚を覚える。
 けれど相手はそんなことは気にせずに、そんなに言わなくても、と言った困惑の表情を浮かべた。

「まあ、僕のことより貴女です。『麗和浄ディクリアリィ』さえも効かない毒を、見事に浄化してしまったんですから。そういう意味では貴女のほうが十分怪しいんですけど」
「あたしのことはいいのよ。あたしはきちんとゼル――ゼルガディス様と、ルーク様と…陛下からきちんと『大丈夫』と太鼓判を押されてるから」
「はあ、そうですか。まあいいですけど……貴女はエルメキア王の下につくのですか?」
「そうよ」

 その答えに、神官と名乗った男は口端を上げて軽く笑んだ。
 それは楽しいから笑う、というには邪気がありすぎる。どちらかというと、いい獲物を見つけたというハンターの笑み。
 リナは知らずに生唾を飲み込んだ。

「ま、いいでしょう。けれど、王の下にいるのは大変だと思いますよ。今の世の中は物騒ですからね」
「あなたに関係ないでしょう?」
「まあそうですが……なんていうか、取り付く島もないって感じですねぇ」
「いきなり出てきた怪しい『神官』に気を許して話をするほうがおかしいと思うけど」
「そうですね。まあ、その調子で王を暗殺者から頑張って護って下さいね」

 男は楽しげな口調で言うと、くるりとリナに背を向けた。
 ガウリイが暗殺者に狙われているという話は城内のみで、一般的には出回ってない。
 それに……

「ちょっと! 名乗るくらいしたらどうなの!?」

 気に入らない――本能がそう告げる。
 けれど、この男とは不思議な縁があり、また出会う。いや、何度でも出会うだろう。
 それも敵として。
 リナの心は不思議なその確信に満ちていた。だから知っておこうと思った。目の前の男の名を。

「ああ、そういえば名乗っていませんでしたね。僕はゼロスといいます。または『謎の神官』とでも」
「謎の……なんて、普通自分から言うかしら?」
「いいじゃないですか。謎なところがあるほうが気になるでしょう?」
「ふんっならないわ。すぐに記憶から消えちゃうわよ」
「それは悲しいですね。貴女にそう思われるのは――」

 振り返っていた体が元に戻る。今度こそ彼は歩き始めた。
 リナは黙ってそれを見つめていると、ゼロスはふと思いついたように足を止める。

「またきっと会いますよ、リナさん。それではその時まで――」

 

 ***

 

 リナはゼロスの姿がいなくなるまで動けなかった。彼は知っていたのだ。自分がリナという名で、ガウリイたちに近しい存在だということを。
 知っていたくせにそれを表に出さず、自分の使った『魔法』が怪しいなどとのたまわった。
 全てを知っていて、けれど、どこでその情報を活用するかをしっかりと心得ている。
 相手を自分の手のひらで転がすようにして遊ぶ、悪質な性格。そして周りにとってはた迷惑なことに、その力を十分持っている。
 あの男は危険だ。彼の言動一つで、エルメキアが、ゼフィーリアが窮地に立つことになるかもしれない。
 そんなこと見過ごすわけにはいかない。

「……ざけんじゃないわよ。あんたのいいようにされてたまるもんですか! ぁんの、おかっぱ神官!」

 リナは先ほどのやり取りが、『リナ』に対する『宣戦布告』だと察して、こぶしを握り締め、一人ごちた。声を荒げるとローズマリーが驚いたようでがさがさっと動く。
 それを見て、リナは慌ててローズマリーに向けて謝った。

「ああ、あんたに対して文句言ってるんじゃないわよ。それにしてもよくこんな体で城までガウリイを連れてこられたわね」

 リナはそっとローズマリーの頭に触れると、ローズマリーはリナに擦り寄るようにした。
 命を救ってくれた恩人だと分かるのか、気位が高くガウリイ以外の者を乗せないというその馬は、今リナに親愛の情を見せる。
 リナはエルメキア城に訪れた時にローズマリーに乗ったことがあるため、その話を聞いたときに驚いた。ローズマリーは嫌がる素振りなどなく、リナを乗せてくれたから。
 その気持ちから、ローズマリーを助けたかったのだが――

「リナ?」

 その頃を懐かしんでいると、不意に声をかけられてびくっとした。
 入口のほうを見ると、すでに傷は完治したのか、元気なガウリの姿があった。

「へ、陛下、もしかしてお一人でこちらに?」
「来ては悪いか? ローズマリーはオレの愛馬だ。駄目だと聞いたから看取ってやろうと思ったんだが――どういった魔法か知らんが、元気になったようだな」

 自分の乗り手であるガウリイの登場で、ローズマリーは喜び、リナの手を離れて、ガウリイの元へと向かおうとする。
 ガウリイはローズマリーを迎えると、そっと触れて「良かった……」と呟いた。
 リナはガウリイが喜びに浸っているのを幸いに、その場から立ち去ろうとしたのだが、運悪くガウリイに呼び止められてしまう。
 ゼルガディスの言葉を思い出しながら、リナはどうしようと戸惑った。

「ローズマリーを助けてくれてありがとう」
「いえ、できることをしたまでです」
「でも他の者にはローズマリーは諦めろと言われたんだ。リナが助けてくれなかったら、ローズマリーは安らかに眠らせてやるしかなかっただろう」

 真顔で言うガウリイに、確かに……とリナは思う。
 一般的に普及している解毒の魔法『麗和浄』では浄化できない毒がいくつかある。その場合、もう諦めるしかない。
 けれどリナはそれを助けた。

「後悔したく……なかったんです。この手で助けられるなら、どんなことをしても助けたい、と」

 リナはふと、母――前ゼフィーリア女王のことを思い出した。
 彼女は病気だったため、『麗和浄』も『復活』も効かない。それでも離宮でただ一人、母の病状を聞くしかなかった自分をどれほど恨めしく思ったことか。
 それ以降、そんなことがないよう、自分にできることはなんでもしようと心に誓った。

「そうか。でも本当にありがとう」
「いえ、それでは失礼します」

 久しぶりの二人だけの会話は嬉しかったけど、あまり長く話をすると余計に思いが募りそうで、リナは早々に切り上げようとした。
 ガウリイに対して深々と礼をして、顔を上げようとした時には、伸びてきたガウリイの太い腕に腰を浚われた。

「……っ! 陛下!?」

 強引に引かれて、体はガウリイの腕の中に納まってしまう。
 慌てて逃れようともがいたが、太い腕はそれを許してくれなかった。

「もう一度……」
「陛下?」
「もう一度、『陛下』などとよそよそしい呼び方でなく、初めの頃のように名で呼んでくれ」
「え? ……だっ駄目です!」

 リナは慌てて否定した。
 ゼルガディスに言われたからじゃない。自分でここにいることを選んで、そしてその言葉以外で彼の名を呼ばないことを決めた。
 それはリナにとってここにいるための手段であり、またけじめでもあった。それを崩すわけにはいかない。

「どうしてだ?」
「どうしてって……陛下はエルメキアの王様でしょう!? 今のあたしは臣下です。仕える主の名を呼べるわけないじゃないですか!」
「なら、どうして先ほどオレの名を口にした?」
「……それはっ!」

 聞こえていたのか、とリナは驚いた。小さな声で、誰もいないと思っていたのに。
 ゼロスの退場で気が緩んだせいか、自分の失態をリナは心の中で悔やんだ。

「先ほどのように、名前で呼んでほしい」
「それは命令ですか? 確かに誰もいないここでなら、お呼びすることもできますが……?」
「違う! 命令なんかじゃなくて、さっきのように本当に気軽でいい!! ただ、『ガウリイ』と――」

 ガウリイの目は恐ろしいほど真剣だった。
 ただ名を呼んで欲しいだけ、ただそれだけにこれだけ真剣になれるのか?
 ゼルガディスの忠告から、ガウリイがリナに好意を持っているというのは分かっている。だからこそ、『陛下』でなく、名を呼ぶことにこれだけ拘るのだろう。
 けれどその願いは、ここにいて彼の姿を見るためにも、決して応えられないものだった。

 

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