シルフィールがエルメキア城に滞在するようになってから、一週間が経とうとしていた。
彼女は五聖家であるランドールに養女として入った身で、その姿は清楚で美しく、また女性らしい細かな心遣いなどを見せる。
城の者にもこれならガウリイの正妃として相応しいだろう。いや、これ以上相応しい人物はいないだろうという話が広まった。
人々は今年の冬か来年の春には年若い王の婚礼になるかもしれない。この先行き不明な時代に光を見たいという気持ちにさせた。
そのため、どこへ行ってもその話題で持ちきりだった。
ゼルガディスとルークは半分満足して、半分罪悪感に駆られながら聞いていた。
リナの内に秘めた想いを彼らはまだ知らない。
けれどガウリイの気持ちを無視し、五聖家の血を引くシルフィールと婚姻を結ばせようとしている。ただエルメキア五聖家の血を守るために。
裏を返せば、五聖家はそれほど逼迫しているということでもあった。前王に就いていたブライアース家は一人娘が婿をとっている。しかし婿となった男は五聖家よりも劣る血筋の者で、確実に五聖家の血は薄れていっている。
ランドールも現当主デビットに子はなく、実弟の娘――シルフィールを養女に迎えることでかろうじてランドール家を繋いでいる。
ガブリエフ、グレイワーズ、ラングフォードはガウリイ、ゼルガディス、ルークがいるため、今は血筋は保たれているが、彼らは誰一人として婚姻を結んでいない。次代に繋ぐ子孫がいなかった。
ガウリイは王位について二年、正妃もおらず、また側室、そして彼の血を引く子どもは一人もいない状態だ。
ゼルガディスも結婚などまだ先の話のようで、縁談に関して見向きもしない。
ルークは乳兄弟であるミリーナに想いを寄せていたため、他の女性と結婚する気など欠片もなかった。
はっきりいって、エルメキア五聖家の存続は危ぶまれていた。
血が薄くなっても良いのなら、傍流などから子を引き取り養子にでもすればいいのだろう。けれどそれでは五聖家の意味がなくなってしまう。
エルメキアの民が五聖家を、その中から排出される王を支持するのは、エルメキアを建国した初代――ベネディクト=ネオ=エストリアの血を引いているからだ。(ベネディクトには五人の息子がいて、それらが各々家を持ち、五聖家になったのが始まりとされている)
国内の三分の一を『滅びの砂漠』が占めながら、エルメキアが大国になりえたのは、五聖家の力が大きいとされている。
また、五つの家からその代に相応しい王を選ぶため、エルメキアに暴君などの影を落としたこともない。エルメキア王家はゼフィーリアとは違った意味で国民に支持されていた。
だからこそ、直系に拘るのだ。少しでも永く五聖家の血を、と。
そんな五聖家の血を彼らは引いているのだ。それを守るためには個人の考えなどどこかへ吹き飛んでしまう。
いずれ王であるガウリイはしかるべき血筋の娘を正妃を迎え、次代を担う子を儲けなければならない。
ゼルガディスもいつか妥当なところで由緒正しい血筋の娘と婚姻を結ぶことになるだろう。領主の娘か、五聖家の血を少しでも引く者と。ルークもそれは同じことだった。
自由なように見えて、彼らにはそういった面での自由は許されていないのだ。
***
ミリーナは自分の秘めた想いだけでなく、現在の五聖家の状況をも教えてくれた。
全てを理解して、自分のすべきことを知っているミリーナは、感情を交えずに淡々とした口調で語った。
エルメキアにとっての五聖家の意味。
婚姻と家の存続。
重い、重い『血』という枷。
エルメキアの上流階級に身をおくミリーナでさえ、五聖家のルークとの婚姻はあまり祝福されたものではない。
同じ年頃の娘を持つ上流階級の親は、立場を利用したと勘ぐるだろう。ルークの乳母の娘である以上、ミリーナが誘惑したと言われかねないのだ。
好きという気持ちだけでは成り立たないこともあるのだと、ミリーナはそっとリナに告げた。
それらを知って、リナは自分などが出る幕がないと気づいた。
はじめにゼルガディスから聞かされた時にざわついていたリナの心は、奥深くしまわれたミリーナの気持ちを教えてもらったせいか、不思議と落ち着いた気持ちでシルフィールの噂話を聞くことができた。
想いを秘め、堪えているのは自分だけではない――そう思うと、リナはまだ大丈夫だと感じる。
それでも辛かったら、その時はこの城から立ち去ろう。自分はこの国の者ではないのだから。そう思うと、リナの心は少しだけ軽くなった気がした。
――まだ大丈夫。
***
城の客室の中、一番豪華な部屋は今シルフィールが滞在していた。
侍女たちが彼女の絹のような髪を梳き、心の中で『なんて素敵な髪なのかしら……』と賞賛する。梳き終わると彼女は侍女に優しい笑みを浮かべて「ありがとう」と礼を述べると、侍女は舞い上がるような気持ちになった。
シルフィールもこれからガウリイに個人的に会うのだと思うと、心が踊った。
初めて見たその時か年若い王に惹かれた。明るい金の髪を靡かせて、空色の優しい眼差しで挨拶された時から……
(ああ、伯父様の言うとおり、ここへ来て良かった)
城の者は皆、祝福の眼差しで二人を見つめてくれる。自分をそれだけ望んでくれているのだとシルフィールは感じた。そわそわしながらリナ――シルフィールの中では、ゼルガディスの手伝いをしているという少女というくらいの認識――が迎えに来ることを待つ。
その間も、鏡を見て己の姿を映し、どこか変なところはないか、今日の服装は気に入ってもらえるだろうかと、身なりのチェックに余念がない。
今日は少し外に出たいというガウリイの希望で乗馬をする予定だった。だから服装は身軽で簡素なもの。けれど、清楚なイメージをなるべく崩さないものを選んだ。
鏡を見つめていると、扉を叩く音がする。
「はい」
迎えが来たのだとすぐに悟り、シルフィールは扉に向かった。
思ったとおり、リナの声がして、「開けてもよろしいですか?」と問われたため、「ええ」と答える。
扉が開くと、侍女とは違う簡素な服の少女が目に入る。
「陛下が西の薔薇園でお待ちになっております」
「分かりました」
***
西の薔薇園は厩舎に近く、ガウリイたちが乗馬をするのによく待ち合わせに使う場所でもある。
厩舎のほとんどは他国が侵略してきたとき、すぐ対応できるように北西の位置に作られているからだ。
エルメキアは南と東の方面を滅びの砂漠と海に、北から西に掛けてディルス、ゼフィーリア、セイルーンと隣接していた。
リナはシルフィールを西の薔薇園まで、案内含め護衛にと一緒に歩いていく。横目で癖のない黒髪が揺れるたび、小さく胸が痛む。
それは自分が持ち得なかった色のためなのか、シルフィールという存在に胸が痛むのか。どちらが原因か分からなかったが、リナは薔薇園につくまでちくちく痛む胸を、沈黙という形で無理やり黙らせた。
そのせいか、シルフィールとほとんど会話がなく、この時点でリナはシルフィールを、シルフィールはリナのことをほとんど知らなかった。
薔薇園にたどり着くと、ガウリイたちが馬を用意して待っていた。
馬は四頭いて、一頭を除いてそれぞれ手綱を持っている。シルフィールは残りの一頭の手綱に手をかけた。
リナは物静かそうなシルフィールが馬に乗れるのかと心配したが、やはり彼女も五聖家に連なる者、乗馬はきちんと学んでいた。
「リナ、夕方戻る」
「はい。お気をつけて」
リナは深くお辞儀すると、彼らはそれぞれ馬を動かした。西の門をくぐり、四人は馬を駆り走り去っていく。
それを見て、自分は決してあの中に入れないのだと、リナは改めて頭に叩き込んだ。
(ダメダメ、きちんと自分の立場を把握しなくちゃ……)
しかし、その後リナの固い決意とは裏腹に、ガウリイが落馬したという話でそれが砕け、飛散してしまうことになる。