リナはそのままガウリイに促されて歩いていく。城の中で、さらにガウリイに肩をつかまれた状態では、もう逃げることはできなかった。
その間、至るところから好奇心の目で見られて、リナは連れてこられたことを激しく後悔した。なんでこんなところまできてしまったんだろう、と。
理由は簡単だ。本来なら間近で会えない人物――ガウリイの側にいたいと思ったせいだ。なぜか、ガウリイに対してはそう思ってしまう。
きっと、家族以外で普通に話ができたのは、アメリア以外にいなかったせいだろうと、ガウリイの側にいたい、という気持ちを納得させた。
ガウリイがここまで自分にこだわるのは、セラフィーナに似ているからだろうと推測できる。
赤い瞳はゼフィーリアの王族に近しいものに多いと言ってしまったせいだろう。きっとセラフィーナとの関係などを聞かれたりして大変なことになるのだろう。
ガウリイがどうしてセラフィーナに拘るかは分からなかったが、リナに拘るのはそのためだろうと推測した。
リナは深いため息をつき、促されるままに歩いて、ある部屋に連れて行かれる。
「ここは?」
「ガウリイの私室だ」
「え?」
「お前こんなところに連れてきてどうするんだ!? それでなくても、城のやつらは好奇心に満ちた目でこっちを見てたんだぞ。こんな時に、女を私室に連れ込んでいるのを見られたら、どうなるか分かっているんだろうな!?」
我慢しきれずに叫んだのはルークだった。ゼルガディスも同じ思いだろう。眉がぴくぴくと微妙に震えている。
いくらリナが幼いとはいえ、流石に男の子には見えない。女性らしい体つきとは言えないが、骨格から華奢でどう見ても女の子だ。
二人の様子に、リナは、自分はもしかしてとんでもない問題を犯したのでは……と不安になった。
「分かっているからやったんじゃないか」
そんな不安を吹き飛ばすというか、増長させているのか、よく分からないが、あっけらかんとした口調のガウリイの声が届く。
「待て、なら堂々とまだ明るい間に戻ってきたというのも……」
「当たり前だろ。リナがよく見えるように、だ」
「……こんな時ばかり頭を働かせるな!」
ここに来て急に知恵がついたガウリイに、ゼルガディスもルークも頭を抱えて唸りたい気分だった。
それはもちろんリナもである。二人の狼狽状態から、いつものガウリイからは考えられないようなことをしでかしているようだ。
ガウリイから聞かされた暗殺者の話や、赤の半島の不穏な空気を考えると、暢気にしていてはいけないような気がしてきた。
それのに、ガウリイはいたって暢気で。
「そんなに考えていると頭が禿げるぞ」
と、明るい口調で言う。
おかげで、リナはどちらの言い分を信じていいのか悩む羽目になるのだ。
「誰のせいだ!?」
「さあ、な。オレだって王としていろいろ我慢していたことだってある。少しくらいわがままを言ってもいいだろう?」
「お前は言いすぎだ」
「とにかくメシにしようぜ。ただ、その前にちょっとリナと個人的に話がしたい」
リナはいまいち三人の会話と状況についていけないでいると、ガウリイから急に話がしたいと言われて、どうしようかとゼルガディスを見る。
ゼルガディスは一つため息を着いた後、夕食の支度ができる間までだと言い、ルークを促して室内から出た。
中にはガウリイと、どうしていいのか分からずとまどうリナが残った。
***
「いいのか?」
あっさり引き上げたゼルガディスに、ルークが心配そうに尋ねた。
心配性なゼルガディスのことだ、なんだかんだと理由をつけて二人きりにするのを避けるかと思ったのに、あっさり承諾してしまったのだ。
「仕方あるまい。あれは一度我を張ると収めることをしない。なら無駄に時間を費やすより、少し譲歩してやるほうがいいだろう」
いつもきつめに締めるより、たまには譲歩しないと、どこで爆発するか分からない。
春先の同盟からガウリイはどこか思いつめたような、それでいて諦めたような微妙な感じだ。
そんな矢先に、リナが現れた。
ゼフィーリア女王、セラフィーナによく似た少女が。
「だが……」
「あとでガウリイにも言って聞かせるし、リナにもここにいると決めたのなら、臣下としての立場をわきまえるように言ったほうが早い」
「否定はしないけど、結局、あの小娘を置くつもりなのかよ?」
「仕方ないだろう。ガウリイはその気だ。だが――」
ゼルガディスは重い口調で呟くと、一呼吸あけてから、更に重い口調で言い放った。
「場合によってはガウリイに悟られないうちに、リナをここから出すことも考えておいたほうがいいだろう」
「……」
「傷は浅いうちのほうがいい」
ゼルガディスはそれだけ言うと、長い廊下を歩き出した。
***
ガウリイの私室にガウリイと二人きりで取り残されたリナは、どうしていいのか分からずそわそわと落ち着きがなった。
怖いのだ。ガウリイの存在が。
全てを見透かしていそうな青い瞳、やすやすと自分を捕らえてしまう力強い腕。このまま彼の側にいたら、自分が変わっていきそうな予感がしてならない。
だから二人きりのこの空間が、リナにとって苦痛だった。
けれど、ガウリイからの話が終わらない以上、ここから逃げることはできない。そう思っていると、ガウリイはソファに座り、そして隣に座るように促す。
「リナも座れよ。疲れただろう」
「……う、うん」
ガウリイに促されて、リナはガウリイの座っているソファの端にちょこんと腰掛けた。今更ながらに自分がのこのことここまで付いてきたのを後悔した。
だいたいガウリイは自分にどうして欲しいのだろうか?
セラフィーナのときなら、ゼフィーリアという特別な国がついてくるため、友好を深めたいというのも分かる。
でも今は、リナという肩書きのないただの人間だ。
一応魔道士としての腕があるため、ただの、というのは語弊があるかもしれないが、それでも一国の王からすれば、一般市民が魔道士だった、くらいの差しかない。
考えれば考えるほど分からなくなるため、リナは自分のほうから口を開いた。
「あのっ、どうしてあたしをここに連れてきたの? あの二人は嫌々ながら、って感じだったけど……」
「ああ、あの二人はただ心配性なだけ。オレは、ただ、お前さんをそのまま放したくなかったんだ」
「だからどうして?」
ガウリイの答えにリナはより分からなくなる。
たったあれだけのやり取りで、どうして手放したくないと思うことができるのか。
リナは俯いて考え込んでしまった。
ガウリイはとまどうリナの様子がかわいく思えて仕方ない。
最初はセラフィーナに似ているからという理由から興味を引いたけれど、今はセラフィーナよりもリナのほうに惹かれ、興味も尽きない。
リナには人を惹きつける何かがあるのだろう。もしかしたら、その強い意志を放つ瞳なのかもしれない。不思議な赤い瞳はずっと見つめていたい気持ちになると、ガウリイは思った。
そして性格。今はゼルガディスとルークの態度から大人しくなっているが、王である自分に対しても自分の意思を曲げない頑固さなどは、王宮にいる女性には見られないものだ。
ガウリイはこういうことをしたらリナがどう出るのかと思うと、それだけで楽しかった。
「お前さん、自分の魅力がぜんぜん分からないのか?」
「魅力?」
「そう、人を惹きつけてやまないくせに、ぜんぜん自覚がないなんて――」
理由なんて分からなかった。
他にこんな女性を見たことがないから? セラフィーナに似ているから?
違う。セラフィーナのときよりも、もっと惹かれる。
リナの瞳を覗き込むように、ガウリイは少しずつリナに近づいていった。
ガウリイの動きはゆっくりしていたはずだった。
けれどもガウリイの言葉に、動作に目と心を奪われて、リナはガウリイが間近に迫ったことに気づくのが遅れた。
ガウリイはリナの頬に触れ、上から優しい瞳でリナを見つめた。
「がう、りい……」
間近に見つめられ、頬にガウリイの手の熱を感じて、リナの鼓動は早くなった。
魅力があるというのはすぐ目の前にいるこの男のほうだろうに、とリナは思う。芸術家が情熱を注いで作った彫像のように美しい顔立ちに体躯。そして存在感。
なによりそれだけに留まらせないのが、彼が完璧な人間ではないこと、だ。
時に失敗をし、そして謝ることを知っている、生きている人間だけに可能な技。鑑賞するだけの美術品には、決して持ちえないものだ。
つい目が奪われてしまう、というはこういう人間に対して言うのだろう。
それなのに、ガウリイのほうこそ分かってない――そう言いたくて口を開こうとした矢先。
「リナはどこに行こうと思ったんだ?」
「あ、えと……適当に。いろんなところを旅してみたいから」
「じゃあ、目的はない?」
「え、ええ」
リナにはガウリイの心を推し量ることができず、質問されたことに素直に答えた。
だから、ガウリイがリナの答えを聞いて、笑みを浮かべたのに気づかなかった。
「じゃあ、ここにいても問題はないんだな?」
「でも、あの二人が……」
「ゼルとルークのことじゃなくて、リナのことを聞いてるんだが」
「……」
「リナが嫌だというのなら仕方ないけれど、そうでないのならここにいても構わないだろう?
」
リナは頼まれれば嫌だと断れない性格だ。
それを見透かされたのか、ガウリイは遠まわしに断りづらい言葉を選んだ。嫌なら仕方ないとか、それまではと期限を切らないような言い方をしてくる。
気づくと、リナは小さな声で、ガウリイの思惑通りの言葉を口にしていた。
「別に、そんなことはないけれど……特に急ぐ旅じゃないし……」
ぼそぼそと答えるリナに、ガウリイは心の中でやった、と叫んだ。
これでリナは自分からここにいることを承諾したことになる。
あとは、ゼルガディスを何とかすれば問題はない。なんだかんだ言っても、ガウリイが我を張った場合、ゼルガディスが折れるほう多い。少し時間はかかるが、それはいずれ解決することだろう。
ゼルガディスが折れれば、ルークも折れる。ゼルガディスができないことを、ルークができるとは思わないからだ。
そうすれば必然と口を出さなくなる。
「じゃあ、いずれ旅立つ時まで、ここにいてくれるか?」
逸る心を抑えながら、ガウリイはなるべく普通の口調でリナに問いかける。
「う…うん。それ、くらいなら……」
「約束、してくれるか?」
「うん……ガウリイも刺客に狙われているみたいだし……あたしでよかったら力になるわ」
「ありがとう。じゃあ、約束の印に――」
頬に触れていた手を少しずらし、顎に手をかけて少し上に向けた。印象的な赤い瞳が目に入る。少しとまどいを含んだその瞳を見つめながら、静かにリナの小さな唇に自分のものを重ねた。
リナの体は小さく反応したが、嫌がるそぶりを見せることはなく、ガウリイはそのまま深く口付けた。