「リナよ、リナ=インバース!」
リナは堪えきれずに叫ぶように自分の名を口にした。
『インバース』はリナの父方の祖母の生家のファミリーネームだ。
しかし、祖母は一人娘で、祖母が嫁いだ後は家を継ぐものがおらず、インバース家は断絶して現在は存在しない。
リナにすれば、父親に関わる姓を名乗ることができ、でも素性を知られないという点で都合がいい姓だった。
「リナ、か」
「そうよ! だから放して!」
ガウリイに真剣な表情で見つめられると、なぜか恥ずかしいのとその視線が痛いと思ってしまう。鋭く突き刺すような視線ではないが、何かを訴えたいような思いを感じる。
それに以前セラフィーナとして会っていて、しかも似ているとまで言われたせいか、何か探られているようで怖い。
ガウリイはリナの悲鳴のような声に驚いたのか、掴んでいた手を放した。
「悪かった。それにしてもゼフィーリア人なのにオレのことを知っているんだな」
先ほどの流れを変えるかのように、いきなり別のことを問われるが、その質問もリナにしてみると返答に困る内容だった。
しかし、リナは最初にガウリイの名を口にしてしまったため、今さら誤魔化すことはできない。
ゼフィーリアでガウリイのことを知っているというのであれば、春先の同盟の件しかない。リナは仕方なく、ぽつりぽつりとそれらしい理由を考えながら答えた。
「えと……春先の同盟で来たでしょう?」
「ああ、でもあれは馬を走らせていたからゼフィーリアの民は分からないと思うが」
「まあ、そうね」
確かに同盟を結ぶという話題は国民の間に上っていた。いや、あえてその話題を取り上げて国民に流すようリナは指示していた。
ライゼールの侵攻に怯える民を勇気づけるために。
けれど彼らが滞在したのはたった二日間、時間で表すなら二十四時間強くらいしか滞在していない。
ゼフィーリアの民が見ることができたのは、ゼフィーリア城に入る時と出る時くらいだ。それも馬に跨ると、すぐさま出発してしまった。ゆっくりとその姿を見ることはほとんどできないだろう。となれば城の中に限られてくる。リナは答えに窮してしまった。
「もしかしてその赤い瞳のこともあるし、王族と血縁関係でもあるのか?」
「……違うわ」
「じゃあ、城で仕事してたとか?」
仕事――と言われてリナは仕方なく頷いた。
少なくとも王族と関係がると見られるより、そのほうがいいと思った。
しかしガウリイの追求は止まらない。今度はどういう仕事をしているんだ? としつこく尋ねてくる。
リナはまたもや仕方なく、自分の特技(?)を考えて、宮廷魔道士と答えた。
「お前さん、魔道士なのか?」
「ええ、これでも魔法が使えるから」
「でもオレが行った時にいなかったような気がするんだが……」
「あたしは……宮廷魔道士っていってもランクが下のほうだもの。たぶん、末席だったから気づかなかったんだと思うわ」
リナは適当に言い放ったが、ガウリイは納得いかないといった顔をしている。
でも、春の同盟の儀では、王宮内でもたくさんのゼフィーリア人がいた。宮廷魔道士たちは王族の色にちなんで、皆少し暗めの赤いローブを着ている。同じ服を着た人たちが並ぶ中、ガウリイが一人一人の顔を覚えているわけがない。
リナはそう判断して、ガウリイがそう思い込むように念押しする。
「あの時はたくさん人がいたもの。あたしだって、あの時は遠くからでしか見れなかったわよ?」
「そうか?」
「ええ。それに誰かさんは誰かさんに夢中で気づかなかったんでしょ」
あえて固有名詞を出さず、ぼかして答える。
そう、あの時、ガウリイは冗談めかしていたけれど、セラフィーナに『求婚したいくらいだ』と言っていた。
同盟を結ぶために、友好的に接していただけだろうが――そこまで思い出して、なぜかいらついた。
(そ、そうよ。別にあんなの真に受けていないんだから……)
別人になっていたとはいえ、あんな風に言われたことははじめてだ。
だから気になってしまうのだ、とリナは自分に納得させるよう、心の中で繰り返した。
それよりも、早くこの場をなんとかしなくてはと思いなおし、リナは立ち上がって、ガウリイの服を確認する。まだ完全とはいえないが、それでも思ったより乾いていた。
「服、乾いたみたいよ」
「あ、ああ」
リナは早くガウリイから離れたいのか、黙り込んでいたガウリイを急き立てるように促した。
ガウリイは仕方なく少し湿ってやわらかい感触のする服を着始める。
「そういえば、どうしてあなたはいきなり崖から降ってきたの?」
服を着ているのを見て、そういえば……と出会った(?)きっかけを思い出して、尋ねる。
「降ってきたって……いや、ちょっと狩りに出たのはいいけど、刺客に会ってしまってな。ゼルやルークたちと離れ離れになってしまうし、崖だったから飛び降りて身を隠そうとしたんだ。下に人がいるのまで確認してなかったからなあ」
「んな、のんびりと。……って刺客って?」
エルメキアは代替わりに問題なかったはずだ。少なくともガウリイが即位してから二年間お家騒動のような問題は持ち上がっていないはずだった。
リナはびっくりして聞きなおしてしまう。
「よく分からんが、ここ最近、やたら命を狙われているんだ」
「そんな時によく狩りなんてできるわね」
「そう言うけどさあ、命狙われてるんだから大人しくしてろって言われて、城で我慢しているだけってのも、けっこう辛いんだぞ。それにゼルもルークもいるから大丈夫だと思っていたし」
「ゼル? ルーク?」
「あー五聖家のやつらで、相談相手」
五聖家と聞いてあの時の側近二人か、とリナは考えた。
どちらがゼルでどちらがルークか分からないが、一人はとても頭が良さそうだと思った。
「その割にはのんびりしてるわね。悠長に服乾かしてご飯食べて。ぜんぜん気づかなかったわ」
呆れた口調で言うと、ガウリイのほうから「あはは」と笑い声が返ってくる。
でも本当にそんな厄介ごとに巻き込まれているようには見えず、関係ない者にそういった心配をかけさせない配慮はすごいと思った。
「まあ変な気配は感じてなかったからな…………って、言ってる側から登場らしいが」
「……え?」
慌ててリナは周囲を見渡すが、それらしき気配は感じない。
足音も聞こえないし、森の中、小鳥がさえずる声も変わった気配はない。
「冗談、でしょ……?」
「冗談ならいいがな。どうやら団体さんでご登場らしい」
ガウリイはリナに答えると剣に手をかけ、リナを庇うようにして立った。
先ほどの穏やかな表情から真剣な表情へと変わり、空気が張り詰めていくのがリナにも分かった。
そしてその少し後、黒装束に身を包んだ男達が、ガウリイの向いている方向から音もなくすーっと現れる。気配を消しているのに異様なプレッシャーを感じるのは、彼らが手練だからだろう。ガウリイの緊張を感じて、リナの体も緊張した。
リナは盗賊たちを相手にしたことは何度もあったが、このような存在は見るのも初めてだった。
睨み合うこと数秒、男たちはいきなり跳躍してガウリイに飛びかかる。
ガウリイはリナを抱えて後ろに飛びのいた。暗殺者たちの剣は空を切り、ガウリイはリナを抱えたまま無傷だった。
緊張した空気が漂う中、馬を駆ってくる者が二人。
「ガウリイッ!!」
「大丈夫か!?」
ちょうどタイミングよく現れたガウリイの援軍に、男たちはちっと舌打ちする。
ガウリイが一人でいるチャンスだった。だが、王の側近が現れた。彼らは政治的な面でも、力に関しても優秀なため、彼らの相手をしながら王暗殺を果たすのは難しくなる。
瞬時にこの場は引くと判断したのか、殺気が消えた。
けれど、彼らが退くよりも早く、ゼルとルークの声で現実に帰ったリナの声が響いた。
「氷の矢!」
声と同時に、かざした手から十数本の文字通り氷の矢が男たちに向かう。
通常ならよけきれるものだったかもしれないが、数が多いため、一人は運悪く氷の矢に当たってしまう。
それは途端に体にまとわりつき氷の面積を広げ、その場に止めることに成功した。
「おっしゃ!」
リナは暗殺者を一人捕まえたことに喜んだが、ガウリイたちはリナの使った魔法に驚愕した。
「お前さん……魔道士としてはランクが下だって言ったよな?」
「言った……けど?」
何がまずかったんだろう――でもリナは自分が魔法を使ったことが失敗だったと、ガウリイの表情を見て悟る。
ガウリイの側近二人の顔を見ても、驚愕の色を隠しきれていない。
「ランクが下だと? どこの国か分からないが、お前の国の宮廷魔道士は、お前さんのようなヤツが……いや、それ以上がたくさんいるのか?」
ガウリイに代わって、細身の青年がリナに尋ねる。
リナは春の同盟を思い出し、彼がゼルガディスという名だったことを思い出した。
が、それは言わず、「さあ?」とすらとぼける。
「どこの誰か知らないが、普通『氷の矢』であれほどの数を出せるものはいない。たとえトップクラスの宮廷魔道士でも、な」
「出せ、ない?」
「そうだ。言葉の通り『氷の矢』は『矢』だ。通常なら一、ニ本。できても五、六本が限度だ。それなのに、お前は十数本もの『氷の矢』を出した」
「え、『氷の矢』はそれくらいしか出せない……の?」
「魔道士なら誰でも知っていることだ。そんなことも知らず、そしてそんな力を平然と使うお前はいったい何者だ?」
初めて他人と力の差を感じ戸惑うリナには、ゼルガディスの鋭い声が突き刺さるようだった。
※魔法に関してはパラレルなので、原作とは違う設定になっています。
この話まででは説明できませんが、一応リナが使う魔法は他の人より強いとだけ言っておきます。