ゼフィーリア城は白い石を積み上げてできた城で、夜明かりをつけると薄く浮かび上がる様が幻想的だ。白い石が光を明かりを反射して、桜色に浮かび上がる。
昼は白亜の城のようで、夜は温かな優しい印象を見る人に与える。
さて、エルメキアでの出来事より一月前に戻る。
ゼフィーリア城の中には、人があまり近寄らない離宮がある。ここは前女王の王命で、許されたものしか足を向けることが許されない場所だった。
そこへ足を向ける人物が一人。
それは、前女王の夫ジョージ=ウォルト=ゼフィーリアだった。
彼は厚手のマントを纏い、夜だというのに明かりもつけずに離宮に入っていく。歩きなれた道なのだろうか、その歩みに迷いは見られない。
たどり着くと重い扉を開けて暗い室内に入っていった。室内は暗く、必要最低限の明かりしか灯されていない。彼は行きなれた部屋にたどり着くと扉を開けた。
「リナ」
「あ、父さん?」
ジョージは室内にいる栗色の癖のある髪の小柄な人物に声をかけた。
声をかけられた人物はくるりと振り返って明るい笑顔を返す。
しかも前王を『父』と呼んで。
「もう……行ってしまうのか?」
ジョージはそれを気に留めることもなく、旅支度をした娘――リナに訊ねた。
リナは旅にあった身軽な格好で、荷物も袋一つにまとめてあり、彼女の脇に麻で作られた質素な袋があった。
「うん。ずるずる延ばしちゃったけど……今のほうがいいでしょ。セラも元気になってきたし」
明るく返すリナが不憫に思えて、ジョージはリナを抱きしめた。
「……すまない。本当なら、お前がれっきとしたこの国の女王なのに……」
「父さん……」
抱きしめるジョージに身を預けて、リナは静かに目を閉じた。
ここで説明しておくが、リナは前女王とジョージの第一子にあたる。
それは前女王もジョージも認めているが、黒髪赤い瞳しか生まれてこないはずのゼフィーリア王家に、なぜかリナは栗色の髪を持って生まれてきたのだった。
ジョージと前女王はとても仲睦まじく、他の者と通じていたなどとても信じられない。いや、そんなことを考える者もいなかった。そんな二人に、なぜ栗色の髪の子が生まれたのか分からない。
ゼフィーリアにない色を持ったリナは、死産という形で国には報じられた。
そしてその二年後、事実上では第二子であるセラフィーナが生まれたのだった。
現在のゼフィーリア女王である。
リナの存在はごく一部のものだけしか知らされず、離宮でひっそりと生きることになった。
ただ、現在女王であるセラフィーナは病弱で、前女王が亡くなる前からリナが黒髪のかつらをかぶり、公式な場でセラフィーナを演じることがあった。
「まあ、あたしは女王なんて堅苦しいの、面倒くさいしさ」
なにを言っても言い訳のようにしか聞こえないのかもしれない。
それでも申し訳なさそうな表情のジョージを見ると、そう言うしかなかった。
実際、リナは鳥のように自由に羽ばたいてみたいと思っている。女王なんて面倒くさいだけだ。
家族と離れるのは辛いと思うけど。
「それにライゼールがあのまま引き下がるとは思えないし。もし万一ここが攻め込まれた場合、あたしはいないほうがいいと思うのね」
リナはジョージが納得できるようなことを口にした。
ライゼールに攻め込まれても、守ってもらうためにエルメキア軍が駐屯しても、人が増えればリナの存在に気づく人も出てくるだろう。
そうなった場合、説明するのに困るのだ。女王に瓜二つなのだから。
「自分でもあたしはゼフィーリア王家で異端だと思うわ。生まれるはずのない色を持っているんだもの」
「リナ」
「父さんは自分の娘だって言ってくれるけど、そう見ない人だって出てくるわ。そしてもし城が落ちた時にそれが分かれば、ゼフィーリア王家に対する不信感を生むと思うの。そんなのは駄目よ。ゼフィーリア王家は特別な存在でなくてはならないから」
リナは少し体を離して、ジョージを見つめた。その瞳に迷いがないのが、ジョージにとって救いだったかもしれない。
リナは意思が強く、また自分の置かれた立場も理解している。頭が良すぎるといえば良すぎるのだろう。でもそれが反対に不憫に思われる一因になってしまう。
リナなら聡明なゼフィーリア女王として国を良き方向へ導いていけるだろうに――とどうしてもそう考えてしまうのだ。
妹のセラフィーナは病弱なことも含め、リナほど頭は良くない。
仕える者はゼフィーリア王家を重んじる人が多いため、セラフィーナを利用しようなどという不遜な輩はいないだろうが、現在ライゼールによって赤の半島は不穏な空気に包まれている。
だからこそ国民を力強く率いることのできる女王が必要だというのに、その質を備えたリナは髪の色が違うというだけで、系図にさえ載せられていない。
どちらも血の繋がった自分たちの娘だというのに。
「すまない。リナ、すまない……」
「やだなぁ、あんまり深刻にならないでよ。それより……」
「どうした?」
「結局ピアスが見つからなかったのよね。ここから出るまでに見つけたかったんだけど」
「あれか……」
リナが身につけているピアスは、金の細工に赤い小さな石がはめ込まれたものだ。
これは前女王が身につけていた指輪の石を、なかなか会えない娘にと二つに砕いてピアスに加工したものだった。
だからリナもそのピアスに対して思い入れが強く、失くしてしまった片方を夜の人気のない時間になると探して歩いた。
結局今日まで見つからず、このまま旅立つことになってしまったのだが。
「そうか……見つからなかったのか」
「まあ、片方は残っているし、もし見つけたら大事に取っておいてほしいの」
「分かっている。お前の代わりに大事にしよう」
「ありがとう、父さん。あのね、あたしは父さんも母さんもあたしのことを思ってくれているの、ちゃんと分かっているから」
昔から夜遅くになるとリナの父と母はこうして訪れてくれたことを今でも覚えている。その時は、王族という立場を抜かして、親と子としての時間を過ごすことができた。
いや、こんな場所だからこそ、他の人の目を気にせずに親子としての時を過ごせたのかもしれない。一日の中で短い時間だったが、リナはその間両親に甘えて、寝付く時は手を握り締めてもらった。
反対に王宮でセラフィーナの身代わりをしている時のほうが、一歩下がって接する人が多かったし、ジョージも父としてより前王として振舞うことのほうが多かった。
「確かに行動は制限されていたけど、父さんと母さんからは愛情をたくさんもらえたって思ってる」
「そうか……それでもそう言ってくれるのか……」
ジョージはリナの言葉に目頭が熱くなった。
そして思い出したかのように、ジョージは懐から小さな袋を取り出した。
「少ないが持っていくといい。少しでも旅の足しになるように」
「ありがとう、父さん」
袋の中身は金貨と宝石だった。リナはそれを袋につめると、もう一度ジョージを見つめた。
ジョージもリナと会えるのはきっとこれで最後だろうと、わが娘の姿を目に焼き付けるかのように見つめる。
「これからどこへ行くんだ?」
「んー、そうね。セイルーン……かな?」
リナは答えながら春先のエルメキアとの同盟を思い出した。
美しくそして逞しい体躯を持つエルメキアの王――ガウリイ。
そういえば彼も王という立場ゆえか、ゼフィーリアの女王に対して謙ったところがなかった。気軽に名を呼んで、歩み寄ってくれた。
あの時、セラフィーナの姿だったけど、気軽に話しかけてくれたガウリイがとても印象的で――
「やっぱりセイルーンに行った後は、エルメキアに行くわ。あそこはライゼールから一番遠いし、あそこなら戦になってもそう簡単にライゼールの手に落ちることもないでしょうし」
リナはただ遠くからでいいから、もう一度ガウリイの姿を見たかった。
その思いがなんなのか知らない。
けれど、彼のことを考えると体が熱くなり、幸せな気持ちになれた。
だけどそんなことをジョージに言えるはずもなく、適当な理由をつけて行き先を決めた。
「そうか、確かにあそこなら平和だろう」
「うん…だからエルメキアに行くわ」
「リナ、元気で――」
「父さんもね。あとセラフィーナにもよろしく言っておいて」
「ああ」
二人はもう一度抱き合ってから、リナは静かに離宮から出ていった。
《補足》
女王の夫は『王配』とか『王婿』と言いますが、この話では分かりやすく『王』、もしくは『前王』と表現しています。