食事が一通り終わると、食後のコーヒーを飲みながら一息ついた。
ルークは味はともかく量に満足したらしく表情が明るい。その間、オレはリナに対する思いがぐるぐると頭を巡っていた。
そんな迷路のようなオレの思考に終わりを告げる声が届く。
「で、どうするんだ?」
「え?」
「え? じゃねえだろ。あいつに男ができて、それでいいのかよ?」
「良くない!」
ルークの質問に、自分でも信じられないほどきっぱりとした答えが返ってきた。
ほとんど反射的で、考えるとかそういったものじゃない。でも、それほど身勝手なことに、リナに他の男がいるというのが認められなかった。
……って、本当に身勝手だけどな。自分はフラフラしているくせに、リナに男ができたのは認められないなんて、なんてバカなんだよ、オレは!
「じゃあ、どうするんだ?」
「リナに……ちゃんと聞いてみる」
「聞いてどうする? もしいると答えたら? それにお前だって最近他の女と付き合い始めたんだろう? それを考えたらずいぶん身勝手じゃないのか?」
「うう……」
ルークに痛いことをズバズバ言われて、オレはぐぅの音も出ない。
でも自分の身勝手さを理解していても、それでもいったん好きだと自覚した気持ちを我慢できるほど、人間ができていない。
思いを決めてコーヒーを飲み干すと、オレはカップをテーブルに置いた。
「付き合い始めた女に関しては、次に会った時に終わりにする」
「ほう」
「もともと体だけの関係だしな」
「お盛んだな」
「るさいな。向こうから誘ってきたし、踏み込もうと思ったら入ってくるなって感じだったんだよ」
「へぇ……」
リナのことを置いておいても、ルビィとの仲が深まるわけじゃない。なら、早めに終わりにしたほうがいいんだろう。
ルビィの傷が癒えないのは気の毒だが、今のオレでは、無理やり踏み込んで傷口を広げるだけになりかねない。オレにできることは、彼女が望むように振舞うか、もう会わないかどちらかだ。
「だいたい、今まで他の女と付き合おうともしなかったくせに、なんでその女にはその気になったんだか……」
ルビィのことを考えていると、ルークが少し好奇心がはっきり見える視線で尋ねてくる。
「…………うるさいな。ルナさんに似ていたんだ」
「ルナさんに?」
「ルナさんをこじんまりした感じで……ああ、でも最初に会った時だけで、次に会った時はルナさんよりリナのほうを思い出したなー……」
「…………結局、お前はそこから離れないんだな」
「ほっといてくれ。」
自分だって今頃になって信じられないといった心境だ。
リナと別れてから、何度か社内の女性などに告白をされたことがあったけど、なんとなくその気になれなかった。
でもそれは、ずっとルナさんのことを好きだと思っていたからだ。
そんな状態だったから、ルナさんに似たルビィに惹かれたと思ったのに、結局ルビィに面影を重ねていたのはリナのほうだったなんてな。もう自分の馬鹿さ加減に苦笑するしかない。
でも、自覚してしまったらそれはそれで厄介で、自分の気持ちに拍車がかかった気がした。
とにかく、リナともう一度話をしたい。
「新しい男に関しては、リナにはきちんと聞いてみる。リナに好きな人がいると分かったら…………きちんと振られて諦めるさ。もともとオレがふらふらしていたせいだしな」
きちんと話をして、リナに新しい恋人がいるなら、素直にそれを祝福しよう。別れの時、リナに悲しい思いをさせているから、今幸せだと思っているならそれでいい。
少なくとも、きちんと振られれば諦めもつく……そう思っていたのに。
「お前の思いはそれっぽっちかよ」
「は?」
「一回振られたら諦められるんなら簡単だな」
「そうは言うけど……下手に諦めずにリナの周りをうろうろすれば、リナだって新しい男とうまく付き合っていけないだろうが」
「ハッ! 結局その程度の気持ちかよ?」
ルークは大げさに手を振って言い切った。
その態度にムカッとくる。別にその程度の気持ちなわけない。
でも、自分の身勝手でリナを悲しませたのに、やっと気持ちを切り替えたリナを、自分の気持ちだけで振り回していいはずない。
「そう言うけどな、リナのことを考えたら……!」
「俺だったら何回振られたってミリーナを諦めないぜ!」
「……それはストーカーと言わないか?」
「俺はあんな陰湿な真似はしない」
「……」
「ミリーナだって応えられないと言うけど、嫌がってはいない!」
きっぱり言い切ったルークに、オレは何も言えない。
ってか、これほどはっきりしていたら、こんなに悩まずに済んだし、リナを悲しませることはなかっただろうな。そう思うと、ルークの一途な想いも羨ましい。
結局、オレは来週金曜日にルビィに別れを告げた後、リナにこの間の謝罪と告白をすることに決めた。
とにかく、まずはそれからだ。
***
金曜日の夜、オレは『リトル・エデン』のカウンタで一人ウィスキーを呷っていた。
久しぶりに早く仕事が終わり、意気込んで来たものの、そこにルビィの姿はなく、九時を過ぎてもまだ現れない。
つまみに生ハムを摘みつつ、考えてみればルビィとは約束さえしてないことに気づいた。
あくまでルビィは『金曜日の夜十時までここにいる』と言っただけで、『待っている』とは一言も言っていないのだ。もちろん『その時会いましょう』という言葉も。
ルビィはそんな小さな約束さえしなかった。
時計を見ると、針は九時四十分を示している。あと二十分――その間にルビィは来るのだろうか。
馬鹿なことに、オレは彼女と別れるために彼女に会いたかった。
カラン……と望み通りに入り口の扉が開いて、そこにルビィの姿を見つける。
ルビィはオレを見つけると、オレの側までやってきて「待っていたの?」と尋ねる。「ああ」と答えると、ルビィは座ろうとしたので、「少し外で話さないか?」と返した。
「外?」
「ああ」
「ここじゃ話しにくいこと?」
「……っていうか、飲みたいならここでもいいけど……」
マスターは客の話をあれこれするような人じゃないけれど、なんとなく別れの話とかをするのは嫌だった。
ルビィは少し怪訝そうな顔をしたが、それでも置きかけたバッグを肩にかけ直した。
「別にいいわ。どうせその後にホテルに行くんでしょう?」
「……」
ルビィの言葉に笑み浮かべて濁し、マスターに酒代を支払ってからルビィと外にでた。
外はもう春のためそれほど寒くなかったが、少し風が出ていて、それがコートを揺らす。
「で、なに? 話って」
「あ、ああ。付き合ったってほどじゃないけど……その、好きな女ができたから、もう会うのはやめようと思って」
「……っ」
ルビィの表情が瞬時に強張った。
けれどすぐに元に戻って――いや、無理やり元に戻したんだろう。ルビィが口を開いたが、少し声が震えている。
「そ、そう。なら仕方ないわね。どうせ体だけの関係だもの」
「悪いな。ルビィには……体だけでなく、好きだと思うやつはいないのか? この際、思い切って言ってみる……とか?」
「別にあたしのことはいいわ。でも、上手くいくといいわね」
「ああ、幸せになりたいからな。でも、ルビィにも幸せになって欲しい」
「……! あたしは……」
俯き加減で言葉が詰まったルビィに、その体の小ささを感じた。小さくて、小さくて、このまま消えていなくなってしまうんじゃないかって思うほど。
気づくと俯いたままのルビィにそっと手を伸ばしていた。触れて抵抗がなくて、そのまま近づいてそっと軽く抱きしめる。
「お前さんにも、いつか体だけじゃなくて、好きだって思える相手ができるさ」
「……っ」
好きという言葉に反応して、ルビィの体が硬くなる。
それほどに傷ついたルビィの心。
「お前さんも幸せになれるように――」
小さな体に手を回して、ぎゅっと抱きしめる。
いつか人の温もりが愛しいと思えるように。また、温もりだけでなく心も満たされるように。
ルビィは抵抗することもなく、反対にオレの胸に頭を預けてきて、しばらくの間そのまま抱き合っていた。
風が吹いてオレたちの髪を揺らすまで。
ルビィはいつも同じ香水をつけていた。名前まで分からないが、バラの香りのどちらかというと甘さの少ないものを。
けれど近づいたルビィからは、その香水だけでなく甘い香りが漂ってくる。
これ、どっかで……そうだ、リナだ。あの時リナからした香りと同じなんだ。
「……り、な……?」
「え?」
思わず口をついてでたリナの名前に、ルビィの体が強張る。その後はオレから逃れようともがいた。
でもそれは、ルビィがリナだということを肯定していることにしかならない。
オレはすかさずルビィの黒髪を掴んで、下に引っ張った。ルビィも痛がることなく、ずるりと手に絡みついたまま下へと落ちて、代わりに栗色の髪が現れる。
「やっぱり、リナ……」
「いやっ!」
ルビィ……いや、リナは腕の中でもがいて、逃げようとした。
でも、オレはルビィがリナだとしたら、なんでこんなことをしたのか知りたくて、リナの腕を思い切り掴んだ。
「リナ!」
名前を呼ばれてびくっとするリナ。
「一体どうしてこんなことを……」
「別にそんなこと知る必要ないでしょ! もう……関係なくなるんだし」
「なんだよそれ!? それにオレは……!」
「じゃあ、なんでしたか言ってあげる! ただ単にいつもと違う格好で行ったら、ガウリイが引っかかった、ただそれだけよ!」
「オレはそういうのを聞いてるんじゃなくて!」
新しい恋に踏み出そうとしなかったルビィ。でもそれは、リナが変装した仮の姿で――
そんなことをするのは、オレがリナを傷つけたから?
それとも、付き合い始めればルビィがリナだとばれてしまう時が来るだろうから?
でも、それならどうしてそんなリスクを伴うオレについてきたんだ?
そうじゃなくて、リナがどうしてそんなことをしたのかが知りたい!
「他に何があるの!? 姉ちゃんみたいな格好をしたらすぐにその気になったくせに!!」
「違う!」
「何が違うのよっ!?」
「……っ! 確かに最初はルナさんに似ていると思ったさ。けれど……」
今ではルビィを見てもルナさんを思い出させないのに。
でも、そこまでリナは言わせなかった。
「ほら、やっぱりそうじゃない!」
「だから最後まで聞けっ……て」
「いやっ聞きたくない!! 痴漢ーっ助けてーっ!」
リナが騒いでちらほらといる周りの人が「なんだ? なんだ?」とこちらを気にして視線を向ける。
それに驚いて、オレはリナを掴んでいた手が緩み――リナはその隙にオレの手からすり抜けて、人波の中へと消えてしまった。
リナ……どうして……
次の日、オレは朝早く『カノン』を訪れた。
けれど、その日『カノン』の扉には、『本日は急用にてお休みいたします』という張り紙が張り出されているだけだった。