『リトル・エデン』に辿りつく頃、この間の女がちょうど出てくる時だった。
声をかける前に向こうが気づいて、こちらを見て微笑む。
「もう来ないかと思ったわ」
「いや、仕事で遅くなって」
「そう。あたし出てきちゃったけど、飲みなおす?」
「いや、それよりも……」
オレは女の手を取って、前に行ったホテルの方向へ促す。女は何も言わずにそのままついて来たため、オレはそのまま彼女の手を取って歩いた。
掴んだ手のひらから女の熱が伝わってくる。少なくとも、今隣を歩いている女は夢ないことが分かり、少しだけほっとした。
***
「んん……」
くぐもった声が塞いだ口から漏れる。大きなベッドの上で女にのしかかるようにして深いキスをした。
小さな体はオレの体にすっぽり隠れてしまっている。ただ時折漏れる声がその場に女がいることを教えていた。
「……あ……ね、なんか……あった、の?」
「どうして?」
柔らかいつきたての餅のような耳朶に口付けると、息切れしながら女が尋ねた。
その柔らかさにうっとりしながら少しずつ降りていく。その間にも女は小さく声を漏らし、切れ切れにオレに尋ねる。
「だって……前と、ぜんぜん……違う、わ」
「そうかな」
「なにか、あった?」
どうして女の感はこう鋭いんだろうか。
何かあったのか、一目瞭然だと言わんばかりに女は再度問う。
「……はぁ、……言いたく、ない、こと?」
「そう、だな。それよりも……」
「な、に?」
「そろそろ名前を教えてくれないか? このままじゃ名前を呼びたくても分からないから困る」
耳元で尋ねると、女の体がぴくっと動き、すでに朱色に染まっていた頬が更に赤みを増した。
本当に耳が弱いんだ……と思い、その後、リナも同じような反応をしたっけ――と今腕の中にいる女ではなく、他の女を思い出す。
どうしてオレはこうなんだ。今側にいる女性ではなく、他の誰かを思い浮かべるなんて。
自分がどれほど優柔不断で周りの女を振り回したのか、と考えて、自分の不甲斐なさを実感した。
そうだ。この女だってルナさんを忘れるために利用している。
「どうしたの?」
「あ、いや……それより名前……」
「あら、自分から名乗りもしないくせに、人の名前だけは聞くの?」
「ええと……」
「それにあたしたちは恋人でもなんでもない。ただの行きずりの関係でしょ?」
「……」
はっきりと『行きずり』と言われると、なんともいえない。
オレもこの女を利用しているし、この女もオレを何かの理由で利用しているということだろう。
お互い利害が一致しているからこうしているだけであって、そこに愛情とかはないと言われた気がした。
「そうかもしれないけど、そこから発展する仲だってあるかもしれないだろうし」
「発展、ね……」
「あ、オレはガウリイってんだ。名乗ったからな」
「……」
「お前さんの名前は?」
「……好きに呼んで」
女はいい加減面倒くさそうに答えた。
これは、これ以上関係を進めないというけん制なんだろうな。この女が何を望んでオレに抱かれるのか分からないが、オレとの仲を発展させる気はないのだろう。
しかしこのまま行くと、好きなの女性の名を呼んでしまいそうだ。特に今日は自分から告白する前に振られてしまい、頭の中はルナさんが占めている。
そして、運悪いことにこの女はルナさんに似ていた。雰囲気も、誰にも寄りかからないような強さも。
彼女には悪いけど、身代わりにするなら最適で――
「そう言うけど……そうしたら好きな女の名前を呼ぶぞ」
「……」
「実はお前さん、その女性に似てるし」
「……」
「なあ、それでもいいの………………ぐはあっ!!」
いきなり頬をグーで殴られて、話している途中で叫び声になった。
「ふざけないでよっ! 確かに行きずりの関係だけど、そこまで甘えないで!!」
「だって好きに呼べって言ったじゃないか」
「そこまで甘えるなって言ってるの! 誰かの面影を重ねているのぐらい分かるわよ。でもそれを表に出さないのは、相手に対する礼儀でしょっ!?」
「それはそうだけど……」
「なら、もう少しそのない頭を使って考えなさい!」
「……ぷっ」
びしっと言い切られて、オレは殴られたことも忘れてふきだした。
こういう言い方、リナに似てる。リナも昔オレがもたもたしていると、「あーもうガウリイってば手鈍いわね。こうすれば楽でしょ!」と横から口を出してきていた。
「な、なによ?」
「いや、今の言い方が昔付き合っていた人に似ていて……」
「そ、そう……」
「えっと……じゃあ……ルビィ、ってのはどうだ?」
「は?」
「だから名前。言っとくけど、これはオレの知り合いにはいない名前だから」
「……好きにすれば」
どうにか彼女の機嫌は落ち着いたらしく、オレは彼女を『ルビィ』と呼ぶことにした。
どこかで彼女は別人だと思わなければ、ルナさんに対する想いが溢れそうだった。
いや、違う。ルナさんにはっきり断られたために、さっきまで逆に意固地になっていたところがあった気がする。こんなに想っているのに、応えてくれないなんて――と。
けれど、今ルビィがスパッと言ってくれたため、彼女をルナさんと重ねることをやめた。
ルビィはルナさんじゃない。同じように断るでも、ルナさんは大人の態度を崩さないで諭すようにした。
でも、目の前の女性ははっきりと駄目なものは駄目だという。
このはっきりした態度はオレにとって羨ましい。彼女のようにはっきりと自分からルナさんに好きだったと告白していれば良かった、と今になって思う。全ての間違いはそこからだろう。
自分から切り出せなかった臆病で情けない自分。
けど、それを知っていても、妹であるリナと付き合うのに何も言わなかったルナさん。
結局、一番傷ついたのはリナなのだろう。
最後まで気持ちを吹っ切ることができずに、リナを悲しませてしまった。
今でも思う。一つだけでいい。どんな願いでも叶えてもらえるなら、最初に戻ってルナさんにきちんと告白して振られたかった。
そうすれば、こんな風に引きずることはなかったかもしれない。
リナを悲しませることもなかったかもしれない。吹っ切ってリナと真剣に付き合えたのかもしれない。
でももうそれは全て遅いことだった。時を戻すことは人間にはできないのだから。
そんな想いを忘れるために、今目の前にいるルビィにのめりこんだ。
執拗に彼女を求め、いつの間にか誰を抱いているのか分からなくなっていく。
オレが抱いているのは……
オレが求めているのは一体誰なんだろう?