紅 7

「はあ……せっかくのお布団……暖かいお布団……」

 リナはブツブツ言いながら星明りの下歩いていた。
 すでに夜も半ばで動物たちも寝静まっているのか、しんとした中リナのぼやきだけが聞こえる。
 特に行くあてなんてなかった。セイルーンに行ってアメリアとゼルガディスに会うのもよかったが、またガウリイと鉢合わせする可能性が高い。
 そんな危険は冒せなかった。そうなったら、出てきた意味がない。

「やっぱ、あそこで会ったのは失敗だったよね……」

 リナは二年間一人でもそれなりにやってきたと思っている。
 違う。ガウリイのことを考えれば、ゼロスの言いなりになるのは癪だったけど、それで良かったとも思っている。

「自己犠牲ってのはガラじゃないんだけど、でもこればかりは……ね」

 リナは更にそう呟くと足を止め、満天に輝く星空を見上げた。

「でも、少しの時間でも、会えて嬉しかった……嬉しかったよ、ガウリイ……」

 輝く月を見て、長年保護者をしてくれた青年を思い浮かべる。

「お人よしで……どこまでもあたしに付き合ってくれて――だからこそ、人としての生を全うして欲しいよ……」

 自分といたら、絶対に天寿を全うすることなどできない。
 でも真実を話せば、あのお人よしの自称保護者は、ぜったい離れないというのは目に見えていた。
 それを嬉しく思うけれど、ガウリイの人生と天秤にかけることはできない。リナが進もうとしている道は、引き返すことのできない道だ。それをガウリイにまで押し付けるわけにいかなかった。
 リナは悩んだ末、ゼロスの手を借りてガウリイの思いを封じて離れた。
 それが魔族の言うことを聞くような形になっても、リナは後悔はしていなかった。

 後悔したのは、偶然とはいえガウリイと再会してしまったことに対して。また、少しでも一緒にいたいために、理由をつけて同行してしまったことだ。
 こんなに早く封印が解けかけてしまうとは予想外だった。だけどそれはもう過去のことであり、元に戻すことはできない。

「はぁ……とりあえず疲れたわ。朝まで休もう」

 リナは、丁度いい岩陰を見つけ、そこへと向かった。
 今日はたくさんの星が出ているほど天気がいい。気温も暖かいほうだから、マントに包まって眠れば十分だった。
 リナは、周囲に別の気配がないことを確認した後、持っていた荷物を枕にして横になった。

(ガウリイ)

 目を閉じれば、いまだに別れた時のことがリナの脳裏に鮮明に浮かび上がる。

(ガウリイ……)

 リナは昔を思い出しながら瞼を閉じた。

 

 ***

 

 二人が別れたのはサイラーグに程近い小さな町の宿だった。

「ガウリイ、ちょっといい?」
「なんだ?」
「えへへ。宿のおっちゃんにいいワインを貰ったの。一緒に飲もうかと思って」

 リナは嬉しそうにワインとグラスを二つ持ってガウリイの扉を開けた。
 そのまま、ととと……と入ってきて、ベッドの上に座り込んでいるガウリイの横にちょこんと座る。

「へえ。こりゃいいのだな」

 ワインのラベルを見ながらガウリイも嬉しそうになった。奮発のし甲斐があるというものだ。

「でしょ。一人で飲むのももったいないから、ガウリイにもちょこっとだけあげるわ」
「おいおい。ちょこっとだけか?」
「そ。ちょっことだけ」

 そう言いながらリナはワインの栓を外すと、グラスを並べて同じだけの量のワインを注ぐ。
 グラスは黄みがかった透明の液体で八分目まで満たされていた。

「はい」
「サンキュ」

 互いにグラスを持ち、かちんとグラスの端を合わせてから口に含む。口の中にワインの微かな甘みと酸味が広がった。

「美味いな」
「そう? あたしはもうちょっと甘いほうがいいわ」

 どうやらワインは甘さ控えめで、どちらかというとガウリイの好みにあっているらしい。
 リナは少々不満だ。どうせなら美味しく飲みたいのだ。

「んー。残念。せっかくいいワインなのになぁ」
「大丈夫。オレが全部飲んでやるって」
「じょーだん! んな、もったいない真似できるわけないでしょ。あたしだって飲むわよ」

 二人はグラスのワインを競うように飲み干し、更に継ぎ足して飲み始める。
 程なくしてワインは早々に空になった。

「ああ、もう空だ」
「ふえ? もぉ?」
「ああ……って、お前さんもう酔っ払ってるじゃないか」

 ワインを飲んでいるときは気づかなかったが、見ればすでに紅色に染まった頬、なんとなく潤んだ瞳、ろれつの回らない喋り方。
 それほど酒に強いわけではないのに、ガウリイと競うように飲んだせいか、気づくと酔っていたらしい。

「お前さん、限度ってもんを考えろよ」

 ガウリイが呆れて言うと、リナは反発して。

「なによぅ、しかたないじゃない。がうりのようにざるじゃないんだからぁ……」
「はいはい。分かったから。とりあえずワインも空になったし、そろそろ自分の部屋へ戻れよ。な?」

 時はすでに真夜中に近い。年頃の娘だという自覚があるのなら、ガウリイの言うとおり、すぐ部屋に戻ったほうがいい。
 けれど、リナの目的はまだ他にもある。というか、これからなのだ。
 帰りたくなかった。
 いや、帰れなかった。

「やだ。なんか面倒くさい」

 それでも恥じらいがあるのか、ここにきた目的をなかなか口に出せず、リナは短く言うとそっぽを向いた。

 

 ***

 

 本来なら、恋人同士ならともかくそうでない男と女がこんな時間に一緒にいたら、他の人に誤解を招きかねない。
 男であるガウリイは特に問題に思わないが、若いリナには問題がある。付き合ってもいないのに、そういう目で見られたらリナが気の毒だとガウリイは思った。
 ガウリイと一緒に旅をするようになったのは、リナが十六歳の時。
 奥手でそんな経験は見られず、そのままガウリイと旅をするようになった。保護者という名目で一緒に旅をする間、リナにそういう素振りはまったく見られなかった。
 そんなことになれば、リナの意思とは関係なく自分に縛り付けてしまう。リナ自身が望んだことなら良いが、そうでないならリナを傷つけるだけだと、自制心を働かせた。

「ほら、立って。寝るなら自分の部屋で寝るんだ。これはオレが片付けておくから」

 ガウリイはリナのワイングラスを取り上げてサイドテーブルに置き、リナに立つように促した。面倒くさくても、リナのためならここから出すべきなのだ。
 だけどリナは一向に動こうとせず、反対にガウリイを見つめた。

「ねえ、今日はここにいちゃ駄目?」
「リナ?」
「あたしじゃ、そういう対象にならない?」

 潤んだ瞳で見つめられて、ガウリイは狼狽えてしまう。
 いまだかつて、リナの口からこのようなことが出ることがなかった。
 けれど、ずっと待ち望んでいた言葉。
 それはあまりに唐突で現実味がなくて、夢のように感じる。おかげでガウリイは自分の頬を思い切り掴みたい心境に駆られた。
 だけどそれよりも先に、リナの細い腕がガウリイの首に回り、その小さな唇がガウリイの唇に触れた。

「リ……ッ!」

 あまりに突然のことでガウリイは身を引こうとするが、リナの腕が巻きついていて、反対にリナの重みでベッドの中に倒れこんだ。
 ガウリイの顔にリナの癖のある栗色の髪がふわりと軽く触れて、その感触に身震いした。

「あたしじゃ駄目? あたしは……あたしは……」
「……ッ!!」

 泣きそうなリナを見て、ガウリイは我慢の限界を感じた。
 自分の上に乗っていたリナを抱きながら、体をくるりと反転して自分の中に押し込める。

「今さら、嫌だって言っても聞かないぞ」

 ガウリイはその言葉とともに、リナの口を自分の口で塞いだ。

 

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