紅 4

「どうしたのよ?」

 リナは珍しく難しそうな顔をしたガウリイに尋ねた。
 獣油が炎が揺らめく部屋で、リナは酒にあんまり強くなく、すでに半分酔っていて頬がほんのり赤く染まっていた。
 素面のリナならガウリイの変化をすぐに察することができたのだろうが、どうやらそこまで頭は回らなかったらしい。

「いや……なんか、しっくり来ないんだ……」

 ガウリイは別れた時の記憶の曖昧さと、とてもじゃないがいつもの口論で別れてしまったというリナの言葉に納得できないでいた。
 いや、納得できないどころか信じられない。

(オレはリナが好きだった。でも、リナが気づいてくれるまでゆっくり待つつもりだった。でも、だからこそリナの側から離れることは絶対ないはずだ)

 最初は子どものお守りのはずだった。勝気な分危なっかしくて、だけどリナの輝きは本物で、気がつくと異性というより、リナという存在に惹かれている自分がいた。
 そして、そんな自分なら、何があってもリナの側を離れないはずだという確信もあった。
 だが、それに反するように、たかが口論であっさりと別れてしまったというのだ。しかも、なぜその後、自分がサイラーグにて復興に力を貸しているかも今となっては分からなかった。

「ガウリイ?」

 酔ったリナは、ガウリイが真剣に考え込むのを訝しんで不安げにガウリイを見る。

「悪い。……頭混乱してる」
「ガウリイ?」

 ガウリイはそう答えると、もどかしさから持っていたグラスを掴む手に力が入る。リナはガウリイの悩んでいる姿を黙って見つめていた。

(そう、混乱しているんだ、オレは。今まで信じていた生活が、リナの言葉によって脆くひびが入った感じだ。誰かに作られた偽りの平和。偽りの生活……)

 この二年間の間に築いたものが、足もとから崩れていく気がして体に力が入った。
 全て偽り――その中で生きてきたのだ。
 それに。

(誰かって……誰だ――?)

 ガウリイは寒気を感じ、それから久しく使っていなかった頭を回転させて必死に考える。
 けれど、その答えは見つからない。

「ねえ、ガウリイ。そんなことはいいからガウリイの二年間を教えてよ。シルフィールとは……もう結婚したんでしょう?」

 考え込んでしまったガウリイの気を逸らそうとしたのか、リナが少し不安そうな表情で問いかける。
 けれど、それさえも唐突すぎて、ガウリイは返事に迷う。
 普通に考えれば一緒に暮らし二年も経っているのだから、結婚していると見るのが普通だ。けれどガウリイはシルフィールと結婚したわけではなかった。

「いや、それは……」

 ガウリイはどう答えたものかと考えながら、適当に濁そうとする。
 とにかくそんなことよりも、なぜリナと別れたかの方がガウリイには大事だった。
 同時に、今ここにいるリナという存在が。

「ガウリイ?」

 酒により頬をほんのり染めたリナが、首をかしげて聞いてくる姿に愛しさ感じる。
 以前はよく見られた仕草と表情。そのたびに彼はいつも理性と欲望が心の中で闘っていた。
 リナは表面上は別れた二年前を変わらない。だけど微妙な仕草などがやはり二年前とは違うとガウリイは思った。
 それはリナの中に仄かに女を感じさせ、リナのことが好きだったということに拍車をかけた。

「リナ……」
「なに? ……ガウッ!?」

 気づくとガウリイはグラスをテーブルの上に置き、リナを引き寄せていた。
 ガウリイは、驚きガウリイの顔を見つめるリナのその柔らかい唇に口付ける。

(そうだ。二年前もずっとこうしたかったんだ……)

 舌でゆっくりとリナの唇をなぞる。その感覚に震え抗議しようとして開いた唇に、すかさず自分の舌を侵入させる。
 その後は、その行為に我を忘れて、吐息さえ奪い取ってしまうほど激しく貪った。

「んんー……がぅ……」

 軽く唇が離れるたびに、リナから言葉にならない抗議の音が漏れる。だけどガウリイはお構いなしに、リナの口内を犯し、唾液をすすった。
 それはリナの体の力が抜けなすがままになった後も、ガウリイが満足するまで続けた。
 唇が離れたと同時に、脱力したリナがガウリイの胸に崩れる。リナは抗議の言葉さえ忘れ、ガウリイの上で荒い息を繰り返している。
 こういうことに慣れていないリナに更に愛しさを感じた。

「リナ……」

 ガウリイは力の抜けたリナの背を撫で、愛しそうにリナの名を口にする。
 なぜ二年間この名を口にしなかったのか不思議なほど、今は飽きるほど彼女の耳元でその名を囁きたい。

 

 ***

 

 リナはガウリイに名を呼ばれるたびに背筋が震えた。それなのに、頬はこれでもかというほど熱い。
 なにより二年前にはこんなにストレートに想いをぶつけられたことはなく、リナはどう反応していいのか困ってしまう。
 けれど、今は二年前と違うのだ。
 たまたま偶然再会したけれど、今はそれぞれ違う道を歩いている。
 そしてその道はもう、重なることなどないのだから。

「だめ……」

 小さな手でガウリイの胸を押して自分の体を少しでも離そうとする。でもそれは非力で叶うことはない。

「リナ……」
「いやっ、はな、して……!」
「嫌だ」

 逃れようともがくせいか、逆にガウリイが抱きしめる力が入る。痛いほどに。
 それが怖くて、リナは知らぬ間に叫んでいた。

「いやっ! シルフィールを抱いた手で触らないでっ!!」

 逃れるために出た言葉にガウリイの体は硬直した。その間にリナはガウリイから逃れる。
 別にガウリイが悪いわけではない。そういう仲でもなかったし、しかも二年間会っていなかったのだ。別に他の女性がいてもおかしくないのに。
 けれど、リナの言葉はガウリイを確実に傷つけた。ガウリイの表情や仕草を見ていれば十分に分かった。

「ご、ごめんっ、あんたが誰といようと、別にどうこう言える立場じゃないのに……」
「いや、オレのほうこそ悪かった」
「ううん、それより……あたしそろそろ部屋へ戻るわ……」

 慌てて席を立ち、入口へ向かう。
 扉を閉める時、小さく「おやすみなさい」というと、ガウリイのため息が聞こえてきた。

(ごめん。ごめんね、ガウリイ……)

 リナはひたすら心の中で謝りながら、自分の部屋へと戻った。そして中に入ると鍵をかけ、ベッドに倒れるように突っ伏した。

「はあ……」

 こんなはずじゃなかった――と俯いたまま、迂闊に彼の部屋に行った自分をリナは責めた。
 久しぶりの再会は楽しく過ごすはずだった。いや、楽しくするはずだった。
 なのに、久しぶりの再会と、酒の酔いで彼の変化を見逃した。引き寄せられ彼の瞳を覗き込むまで、そんな可能性はないものだと決め付けていた。

「馬鹿よ、あんたは……なんで、変わってないのよ……」

 リナは額を手で押さえ、苦々しい表情をした。
 変わらないガウリイが嬉しいと思う気持ちと、これでは駄目だという気持ちが交錯する。
 それはどちらも本物で、だからこそリナを苦しめた。

「約束は――きちんと守ってもらわなければ困りますよ、リナさん?」

 下を向いているリナに突然かけられた声。ある意味聞きなれた声だった。
 その声は困ると口で言いながらも、どこか面白がっているような感じにとれる。
 そして、まだ暗い部屋の片隅の闇から一つの気配が生じた。

「ゼロス……」
「リナさんにも事情があるかもしれませんが、約束は約束です。きちんと守ってもらわなければ、こちらとしても困るんですけどねぇ」
「……」

 リナはゼロスの登場に、一気に酔いが覚めていくのが分かった。

 

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