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 遥斗さんはあれ以上、昔の話をしてくれなかった。

『人1人の人生――いい事も悪い事もある。それに、1日で語れることでもないんだ』

 この言葉が、わたしの頭に残っていて消えない。何歳まで生きたのか分からないけど、あの場で語るには短すぎる。何より、わたし自身が思い出せなければ、意味がない気がする。
 でも、それはいいことなんだろうか? 遥斗さんは未練があるから、記憶が残っているって言ってた。未練が残る記憶を持ちながら、生きていくのはいい事ではないと思える。
 まあ、わたし自身が覚えて居ないというのは、わたしにはそんなに未練に思う事がないのかしら? 何も分からない、思い出せないまま、あれこれ考えるのは、堂々めぐりにしかならない。
 気持ちを切り替えなきゃ。少なくとも、お姉ちゃんに気を遣わせたくない。家の前にたどり着くと、深く息を吸い込んで、努めて明るい顔をして玄関を開けた。

 

「ただいまー」

 三和土で靴を脱いで隅に置いてあるスリッパに履き替える。そのままリビングに向かって扉を開けると、お姉ちゃんが「おかえり」と返してくれる。

「ただいま。もう準備してたんだ。すぐに手伝うね」
「ゆっくりでいいよ。今日は簡単メニューだから」
「うん。荷物置いてくる」

 階段を上って2階へ向かう。自分の部屋に入って鞄を置いて、制服を脱いでささっとハウスウェアに着替える。洗濯のシャツと空のお弁当箱を持って、1階へと降りた。

「今日は何を作るの?」
「今日は鮭のホイル焼きをメインにしようかと思って。冷凍してる鮭が入れっぱなしになっているのに気づいちゃったのよ」
「あー、そういえば、かなり前に安かったから買ったっけ」
「でしょう。キノコ類も冷凍庫にあったからね。これで、少しは冷凍庫に空きが出るでしょ」

 お姉ちゃんはそう言いながらアルミホイルをちょうどいい大きさに切っていた。ご飯も炊飯中らしく、炊飯ジャーから湯気が出始めてる。

「じゃあ、お味噌汁作ろうか?」
「そうね。適当な具材で頼むわー」

 冷蔵庫と冷凍庫を見ながら、3個1パックの豆腐を見つけたので、オーソドックスにお豆腐とわかめの味噌汁に決める。あ、野菜室にほうれん草がある。先に、ほうれん草のお浸し作っておこう。後でお味噌汁に追加してもいいしね。
 ほうれん草を水で洗って土を取って、サランラップに巻いてレンジでチンする。熱が通るのを待ちながら、お姉ちゃんに「そういえば、お父さんとお母さんは?」と訊く。

「お父さんは食べてくるって。お母さんはもうちょっとで帰ってくるって。だから、今日は3人分」
「食べてくるの?」
「そう、なんか後輩に相談されちゃったらしくて、飲みながら話を訊くんだって」
「なるほど」

 平日は大抵、お母さんとお姉ちゃんと3人でご飯。お父さんはお仕事が忙しくて、早くても9時過ぎになっちゃうんだよね。お父さんも課長になって中間管理職で忙しいみたい。
 お父さんの事を考えていたら、お姉ちゃんが鮭の上にキノコを載せていたんだけど、その手が止まった。

「理世、ちゃんと話はできた?」

 お姉ちゃんがそう訊ねるのと、レンジのチンという音が重なった。
 レンジの蓋をあけながら。

「うん、ありがとう」
「そう。良かった」
「でも、知りたい事は話してもらえなかったの」
「知りたい事?」
「うん。知りたかったら、わたしが思い出すしかないみたい」

 でも、前世の記憶なんて、どうやって思い出せばいいのか分からない。それに、遥斗さんの言うように、知らない方がいいのかもしれない。
 でも、わたしは遥斗さんとの記憶を、聞いた話ではなく、自分で知りたいと思う。

「あんたも大変ねぇ」
「うん、でも、遥斗さんと一緒に居たいって思うから。だから、知りたいって思うの」

 昨日会って、今日話しただけなのに、一緒に居るのが自然に思えてくるし、もっと会いたいと思ってしまう。
 前世は何かしらの要因で、遥斗さんと一緒に居られなくなった過去があっても、それを思い出さなくても、確かにわたしの中に、遥斗さんへの想いがある。これは、鈴木理世として生まれて、初めて抱いた感情だった。

「遥斗さん、ね。1日でかなり仲良くなったものねぇ」
「……う、それは……」

 お姉ちゃん、鋭い。遥斗さんと話してる時、あれだけ顔を真っ赤にしてたのに、またもや頬に熱を持つ。
 話を逸らすために、レンジの庫内からほうれん草を取り出そうとして、熱さにびっくりする。端を持って、水道水を流して冷やしていく。
 今日、遥斗さんから聞いた内容を知れば、お姉ちゃんは素直に喜んでくれるかな?

「遥斗さんからは、その……馴れ初めみたいな話を聞いただけなの。全部は時間がなくて話せないって。その話を聞いて、なんとなくそれだけじゃないって思って。でも、わたしは遥斗さんと一緒に居たいの」

 ほうれん草の水を切り、まな板の上に綺麗に並べて、等間隔に包丁を入れていく。
 作業をしながらも思う。遥斗さんが隠したそれ以上の前世の話。でも、前世と同じことを繰り返さなければいいだけ、なのかもしれない。わたしも遥斗さんも普通の高校生だ。宗教も、権力も関係ない。『女神の愛し子』というものがどれだけの意味があったのか分からないけど、日本ではそんなものは関係ない。
 だから、今はわたし達の気持ちの問題だろう。

「お姉ちゃんは、反対する?」
「したいけど。でも、1番大事なのは、あんたの気持ちだから」
「……」
「だから、前世がどうのと言う前に、幸せになることを考えなよね」
「うん、ありがとう」

 お姉ちゃんの前向きな発言に、わたしは素直にお礼を言った。

 

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