わたしが感情的に訊ねると、お姉ちゃんは顔をしかめて口籠った。……って、本当に何を話していたの⁉ 余計気になるよっ。
「俺が君のお姉さんの後ろ姿を見て、君と間違えたんだ」
「わたし、と?」
「ああ」
少しバツが悪そうな顔をしながら、お姉ちゃんに変わって近江さんはそう答えた。
「昨日、名乗ったけど、君の名前を聞き忘れて……全く、抜けてるよね。だから、後ろ姿が似ていたお姉さんと君を、間違えたんだ」
「そう、ですか。でも、どうして?」
どうしてこの人は、わたしに関わろうとするのだろう? どうしてわたしは、この人が関わると気になって気になって仕方がないんだろう?
いつもなら、こんな目立つ人と自分は、縁のないものだと思って、関わろうとしないのに。
「それは、」
「梨世、あんたはいいから。図書室に行くんでしょ?」
「そ、そうだけど、別に急ぐわけじゃないし」
「とにかく、こいつは私の学年でもいい噂を聞かないの。そんなヤツに、関わる必要はないから!」
お姉ちゃんの、いつもと違う強い口調に、どうしようかと迷う。確かに図書室に行くつもりではあったけど、行くには2人が居る所を通らなければならないし。何より、お姉ちゃんがこの人を避ける理由が分からない事のほうが、気になって仕方ない。
「お姉ちゃん、少し、この人と話をさせて」
「梨世?」
わたしはお姉ちゃんにそう言うと、視線を近江さんへ向けた。
「お姉ちゃんと何を話していたんですか? お姉ちゃんは訳もなく人を攻撃するような人じゃないんです。それなのに、こんなに怒るなんて。それに、昨日の事だって……」
お姉ちゃんの警戒具合から、昨日この人に抱きしめれた事は言わない方がいい。余計に心配させるだけ。
「さっきも言った通り、君と間違えた。よく見れば違うのにね。名前を聞き忘れた事に気付いて、焦ってたんだ」
そう言って、わたしを見つめる目はすごく優しくて、他の女の人と扱いが違うのが分かる。分かるけど、どうしてそうなるのかが分からない。
それと、この人に見つめられると、わたしの鼓動が速くなる事が分かった。昨日の事だけじゃない。この人を見ると、心の奥底から今までに感じた事のない気持ちが溢れてくる。この気持ちが何なのか分からないけど、嫌なものじゃない。
「どうして、わたしなの?」
「君は覚えてないみたいだけど、」
「待ったぁ!!」
近江さんが答えようとしているところに、お姉ちゃんが割り込んでくる。
「お姉ちゃん!」思わず非難の声を上げた。
「梨世、ごめん。だけど今は知ってほしくない」
「どういう事?」
何を知って欲しくないのだろう? 恐らく、わたしがここに来るまでに話していた事だと思うけど、わたしに知られたくないっていう話が分からない。
お姉ちゃんは、ため息を1つついて。
「梨世、こいつは近江遥斗。2年Aクラスのある意味、有名人」
「ある意味?」
「こいつ顔良いでしょ。だからモテる。だけど、片っ端から振ってるの」
うん、それ見た――と、言いかけて、慌てて口を噤んた。余計な口は挟まない方がいい。
「まあ、そういう男だから、梨世に関わらせたくない。振られた女子から恨み買いそうだしね」
「……」
確かに、昨日みたいな振り方をしていたら、気持ちが反転して逆恨みは有りそう――これも思ったけど、とりあえず黙って聞いた。
すると、今度は近江さんの方を向いて。
「この子は梨世。鈴木梨世。私の妹で1年生。さあ、あんたが知りたい事は話したから。もう、行ってくれる?」
お姉ちゃん、近江さんにすっごく塩対応だよ……。
でも、お姉ちゃんの言った理由だけで、これだけ拒否反応するかな? 他にも何かありそうなんだけど。
というより、結局お姉ちゃんが仕切って、近江さんと話が出来ていない。
お姉ちゃんが、わたしの心配をしてくれているのは分かるけど、何も知らないまま話を終わらせたくない。
というか、この人と話が出来ないのが辛い。どうしてか分からないけど、この人と会えないのは嫌……。
「梨世、あんた……」
「あ、……あれ?」
気付くと、涙が頬を伝っていた。自分でも、どうして泣いているのか分からなくて、手で拭おうとしても、後から後から溢れてくる。
「済まない。泣かせるつもりはなかったのに。俺は、いつも肝心なところで失敗する」
近江さんは悲しそうにそう言うと、右手でわたしの頬に触れて涙を拭った。いきなりの行動で、止まらなかった涙も出るのを止めたくらいびっくりした。
次いで、顔に熱が籠もり真っ赤に染まる。
「ああああっ、あのっ⁉」
ち、近い! この人、距離感がバグってる!!
「ああ、済まない。どうも、今の距離感が分からなくて」
「今の距離感?」
「あ、いや、気にしないでくれ。とにかく、涙が止まったようで良かった。君に泣かれるのは辛い」
「はぁ」
やっぱり、この人は昔に会った事がある? この人の言い方が、そう思わせる。なにより、わたしがこの人の事を懐かしく思うのと、離れたくないという気持ちに駆られる。
どうしてなの?
「あなたの言う事が理解出来ない点があるけど、わたしは前にあなたに会っている?」
「ああ」
「その時、あなたとわたしは、かなり親しかった?」
親しい、という言葉では説明できないほどの感情を、わたしはこの人に対して抱いている。でも、流石にそれ以上の関係だったのかを、訊く勇気はなかった。
「はっきり言っていいのなら」
「言って」
「梨世!」
「お姉ちゃん、止めないで」
近江さんの前に、お姉ちゃんの静止の声が入るけど、お姉ちゃんには止めさせない。だって、わたしが訊きたいんだもの。
「君と俺は、昔、婚約者だったんだよ」
近江さんから出てきた言葉は予想外で、わたしは思わず叫んでしまった。
「こ、婚約者ぁ⁉」