トクトクと通常より早い鼓動が相手の胸から聞こえる。そのせいか、外の騒がしさが全然聞こえない気がする。
えーと、図書室で本を読んでいたのに、これは夢なのかな?
思わず思考を放棄しそうになるけど、相手の抱きしめる力強さとか、触れている面の熱さとか、そういったものが夢じゃないと告げている。
とはいえ、相手は先程告白してきた人を冷たい言葉であっさり振った人。とてもじゃないけど、この状態が信じられない。
だけど、この人はわたしの名前を知っていた。小さな、小さな呟きだったけど、「見つけた、リセ」と聞こえた。……微妙に違う気もしたけど、かなり近かった。
彼が呟いたように、わたしは梨世――鈴木梨世という名前――どこで知ったのか分からないけど、名前は合っている。『りせ』という名前の子は、この学校には誰もいないはず。なにより、先ほど告白してきた人と態度が全然違う。
でも、わたし、この人に心当たりないしなぁ。学校では地味なほうだから、こういう美形でモテそうな人とは縁がないし。
何故、こんな状態になっているのか、心の中でいろいろ考えてみるけれど、心当たりなと思い浮かばない。
……仕方ない、ちゃんと聞こう。
「あのぅ、すみませんが、あなたは誰ですか? こうされる心当たりがないんですけど……」
相手の胸に顔を埋める形で喋るので、しっかり伝わっているのか不安になる。
けど、ちゃんと伝わったのか、彼は抱きしめる力を弱め、わたしの顔をよく見ようと屈みこむ仕草をした。
「……覚えていないのか? 私は貴女に会うために探していたのに」
「……え?」
背中に回されていた手はいつの間にか、頬に添えられ真剣な表情で上から覗きまれて、その表情に戸惑う。おかげで視線を逸らすことが出来ないし、何より……。
――わたしに会うために、探していた?
そう返した彼の声音に、表情に偽りを感じられない。別に嘘を見抜くのが得意というわけじゃない。でも、どうしてもわたしを覗き込んでくるその瞳に、嘘が見つけられない。
それに、わたしはこのまなざしを知っている、気がする。
いや、ちょっと待って、どうして……そう思うの? どうして、わたしはこの状況をそれほど不快に思わないの?
「わ、わたしは、あなたを知らないってば!……だっ大体、さっきの人に対応したような冷たさはどこへ行ったよの⁉」
思わず本音がポロリと口から零れ落ちてしまう。
だって、この人、さっきと全然違うんだもの。
「私は貴女を追いかけてきたのに。厭うなど……未だにこの身には、貴女への想いが溢れているのに」
「ど、どういうこと?」
わたしを追いかけてきたってどこから?
わたしへの想いってなに? 会った記憶さえないのに。
何を言っているのか、何一つ信じられないよ。
……というか、わたしの質問に全然答えてくれてないんだよね、この人。
それに、男子高校生の一人称が『私』ってのも変なんだけど――考えれば考えるほど、何一つわからない。思い当たる節もない。
それでも。
それでも、こうしていると何故だが安心する。知らない異性に抱きしめられているのに――わたしって頭おかしいのかな? と思ってしまう。
とにかく、この状況を、受け入れているのは問題大ありなので、放してもらうように抵抗する。
だけど、相手もそう簡単に諦めるわけがなくて、背中に回っている手に力が入るのがわかった。逆効果だった。どうしてこうなる?
「は、放して!」
「……」
「あの、放して。……ちょっと、聞いてます?」
うう、どうしよう。何ひとつ改善されてない。
この人、痴漢と言うには、告白してきた人に対して辛辣だったのに、なんでわたしには……。
疑問に思っていると、抱きしめていた力が少しずつ弛められた。
「……すまない。貴女は覚えていないのに」
「覚えていないって、どういうこと?」
「そのままの意味だ。すまない、混乱させてしまった」
そう言うと、彼はわたしから手を放して、苦笑とも言えるなんとも言えない笑みを浮かべた。
「俺は近江遥斗。――覚えおいてほしい」
「おうみ、はると……さん」
わたしが彼の名前を繰り返すと、彼は先ほどとは違う嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……うん、ありがとう」
彼はそう言って、わたしに背を向けて図書室から出て行った。
彼が去ったあと、わたしは熱くなった頬を手のひらで覆いながら独り言ちた。
「……なんだったのよ? あれ……」
信じられない。本当に信じられない。誰か、今起きたことを簡潔に説明して!