ヴァレンティーネは一瞬きょとんとした表情をし、そして次は満面の笑みを浮かべる。
「ヴ、ヴァールさん?」
「やっぱりユウカで良かった」
「え?」
「実はね、ユウカを選んだのは、僕の代わりをして欲しいからって理由じゃなかったんだ」
「…………はい?」
ちょっと待て。初耳だ。優花は今信じられない言葉を聞いたような気がした。
助けと願ったのはこの世界じゃなかったのか。
「あの時は切羽詰ってたからちゃんと説明できなかったけど、『助けて』ってのは『世界を』じゃなくて、『兄さん達を』――だったんだよ……ね」
少し視線をそらして、だんだん語尾が弱くなるヴァレンティーネに、優花は眉をひそめた。
というより、何言ってるの、という感じだ。
「……。あの、いちおー神様の立場にある人がそれはどーかと思うんですが……?」
話の内容に、目が点の状態で声に抑揚なく尋ねる。
ついつい言葉遣いも敬語になってしまう。
「まあそうなんだけどね。でも『この世界を救ってくれる人』ってのを探すってのは、すごく難しいことだと思わない?」
「世界を救う?」
「うん。本当の意味で。僕たちがしてることは、この世界の寿命を延ばすことで精一杯だった。だから、本当の意味でこの世界を良くしてくれる人って言えば、すごく大変なことなんだ」
はっきりと言うヴァレンティーネに、前に語ってくれたベルディータの言葉が重なる。
世界のことを考えたら、万が一でも優花のようななんの力のない者を選ぶわけがない。時間がないなら尚更に。
それでも、ヴァレンティーネが選んだのは優花だった。
「ごめんね。今回ここに呼んだのはそのこともあったんだ」
「そのこと?」
もう少し説明してほしい、と優花はヴァレンティーネを見上げると、その視線は優しくてやっぱり兄弟だ、と優花は思った。
顔立ちも似ている。
ただ、青みがかった白銀の髪と、光沢のある漆黒の色では雰囲気が違うので気づきづらいが。
「僕が呼んだってことで、ファーディも兄さんもユウカのことは気になると思ったんだよね」
「ファーディ?」
「あ、ファーディナンドのこと」
「ファーディナンドさんはファーディって言うんだ」
「うん、そう」
ファーディナンドの愛称を聞いて、優花はそっちの方が言いやすいな、と思った。
けれどファーディナンドに対して直接呼びかける気にななれなかった。そんな風に話しかけたらいろんな意味で大変そうだ。
愛称で呼ぶことの意味を知ってしまった今は。
「で、話を戻して」
「うん」
「ユウカのような人に接していれば、きっと昔のような気持ちを思い出すかなって思って」
「意味がよく分からないんだけど……」
「力がある人を呼ぶのは、すごく危険な賭けなんだよ。力があるからといって、その人が見ず知らずの世界を救ってくれるなんて期待は出来ないでしょう?」
「あー、確かにそうかもしれない」
幼馴染の慎一なら喜んで勇者とかやりそうだけど、この場合、魔物と戦っても仕方ない。力があって、問題の術式をどうにか出来る人じゃなければ意味がない。
そしてそんな力を持っているということは、今までこの世界を守ってきた三人より強いということ。
更に、この世界の行く末を心配して、なんとかしてくれるかどうかまでは分からない。召喚した相手が暴走した時に、力ある人ならベルディータ達でさえ止められないだろう。
「――で、考えた結果、この世界が残り僅かな寿命になったとしても、兄さん達が少しでも生きていることをよく思ってくれるような、そういう人を選んだ。そう思えるだけでも、もう少し生きたいって思う気持ちに、力になるから」
「……初耳です。もう少し早く聞きたかった……」
兄を、近しい人を思う気持ちはいいが、そういう理由ならもう少し早く知りたかったと思う。
それよりも、せめてファーディナンドにくらいは説明してくれれば、あんな風なスパルタ教育は避けられた気がする。
少し恨めしい気持ちでヴァレンティーネを見てしまう。
「だからごめんね、って。一応兄さんのほうからファーディには話してもらったんだけど……あれも生真面目だから」
「生真面目なのは認めるけど……」
「一応兄さんから話してもらったから、ユウカも旅に出れるようになったんだけどね」
ああ、なるほど、と頷く。意外なことにファーディナンドはさっさと放り出してくれると思ったのに、思っきり反対された。
なのにベルディータと話をした後は、すんなりと宮から出してくれことを思いだした。
今頃だけど納得いった、という感じだ。
「あーなるほど。あの時二人でそういう話してたんだ」
「うん、多分。本当に謝罪の言葉だけじゃすまないと思ってるんだけど……。でもあの時は時間もなかったし、こんな風に残れるとは思わなかったから」
申し訳なさそうに肩を落として謝るヴァレンティーネ。
優花のことを真面目だと評したが、ヴァレンティーネも真面目なほうだと思う。真面目というか律儀というか。これだと神様をしていた時は大変だったんだろうな、と想像して、優花は怒る気になれなくなった。
「えと、もう終わっちゃったことなんでいいですよ」
「でも、まだまだ大変だよ。魔物は残っているし、さっきのようなことになるかもしれない」
「そうかもしれないけど……でも、今はやれるところまで頑張ろうって思ってるから」
いつまでもその立場に嘆いているのは相に合わない。やるべきことがあるならそれをすべきだろう。
優花の心は今、前を向いていた。
「そう? 良かったー!」
肩を落としてがっくりしていたのに、急に嬉しそうな笑みを浮かべる。
瞬間に感情が百八十度ころりと変わった。
その態度に嫌な感じがして。
「あ、あの……もしかしてヴァールさん引っ掛けました?」
「そんなことないよ。すっごく気にしているうちの一つだったのは事実だし」
「そ、そうですか」
「うん。ユウカがそう返してくれるとは思っていてもね」
(……。やっぱりはめられた)
満面の笑みを浮かべるヴァレンティーネを見て、優花の首ががくりと垂れる。
さすが千年も苦労人をしていない。優花の行動パターンなどお見通しのようだ。
もういいけどね、とヤケクソ加減で心の中でぼやく。
「とりあえず話をしたかったのはその辺かな」
「そうですか」
「なんか疲れてる?」
「ええ、思いっきり。」
心配そうに覗き込むヴァレンティーネに優花は即答する。
意識を失っている時でさえ精神的に疲れるなんて、ものすごく嫌なことかもしれない。
「えと……疲れているところに悪いけど、そろそろ戻った方がいい、かな?」
「はぁ」
「気づいてない? ずっと呼ばれていることに」
「え? 呼ばれてる?」
ヴァレンティーネとのやり取りが衝撃的なのと、周囲は何もない空間だったので、周りに注意していなかった。
周囲を見回しながら耳を澄ますと、馴染んだ声が聞こえてくる。
『ユウカ!』
「これ……ベルさん?」
「うん、そう。ちょっと話過ぎちゃったみたいで。向こうで数時間経ってるかな」
「数時間!?」
「うん。ユウカを呼んで気づいてもらえるまでだいぶかかったし。話も結構込み入っちゃったし」
「うわー、そんな長い間気を失っている状態だったんだ!」
それだと傷のほうはベルディータが治してくれたとはいえ、出血がかなり酷かったら、それが原因だと思われているかもしれない。
ベルディータのことだ、あまり心配かけさせると、これからの行動が制限されそうで怖い。
「や、やばい。わたし戻ります!」
「うん。長い時間ごめんね。それと――本当の気持ちを話してくれてありがとう」
「……いえ。わたしも聞いてくれてすっきりしました。おかげで自分でも気付かなかったことに気付いたし」
「そう、なら良かった。それと――」
「はい?」
気づくと何度も呼ぶ声が聞こえる。心配そうな優花の名を何度も呼ぶ声が。
けれどもそれを引き留めるヴァレンティーネの声に、優花は振り返る。
「ユウカを呼んだ理由はそういう理由だから、あまり世界のためって気を張らなくてもいいから」
「…………はい」
そうか、そのために呼んだのか、と今理解する。
話はだいぶ紆余曲折していたけど、それでも自分でも知らなかったことを知ったりと、かなり有意義な時間だったと思える。
「それともう一つ」
「それと?」
「兄さんのことだけど、ユウカだったらきっとわかると思うよ」
「え?」
「兄さんの心。今のユウカのままでも。だから――」
声が途切れる。
たぶんベルディータの声に気付いた時から覚醒が始まったのだろう。
ヴァレンティーネの姿も薄れていく。
「ヴァールさん!?」
消えていく姿に手を伸ばすと、小さな声で「兄さんをお願い」と聞こえた。
白い世界に光があふれ眩しくなる。
「待って――!」
必死に手を伸ばしても消えていく姿。
悲しく思っていると、伸ばした手をしっかり握る者が現れる。
「ユウカ!」
「……ベル……さん?」
目を開ければ光が眩しい。
その光を遮るように、心配そうなベルディータの顔が見えた。