『いや、特に何者ってほどのものじゃないと思うよ。彼女も言っていたでしょ?』
「確かにそうだが……魔物を消すなど、何かしら力を持っていそうではないか」
何もわからずに戸惑う――先ほどまでの優花の心境はこういうものだったのだろうか。
思わずそう考えてしまうほど、ベルディータはヴァレンティーネに翻弄されていた。
『そう言われてもね。彼女は力という力は持ってないよ。彼女の言うとおり、ほんの少し人より生き物の感情に敏感なだけ。でも、僕が必要だったのはそこじゃないんだ』
明るめの口調から、少し真剣な口調へと代わる。
そのためベルディータは次の言葉を待った。
『兄さんとファーディナンドには怒られそうだけど、僕が最後の最後に望んだのは、この世界の継続じゃなくて兄さん達をどうにかしてくれそうな人だったんだよね』
「――は? どういうことだ?」
『兄さんが言ったように、数百年か千年か――どちらにしろ、この世界自体が変わらなければ、いつかは兄さん達だって寿命は尽きる。二人とも最盛期よりだいぶ力が落ちてるでしょう?』
言われて自分の力の衰え具合に気づく。
数百年前はもっと力を自由に使えた、と。
今それが出来ないのは、術式を読んだり人を相手にしたりと、常に力を使っているからだ。
「確かに。使うばかりだからな」
『うん。だからもし力ある人を呼ぶなら、根本的に変えてくれるような人じゃなければいけない。そうでなきゃ、焼け石に水にしかならないから』
真面目に語るヴァレンティーネに、ベルディータは素直に頷いた。
今までこれ以上世界を荒廃させないためになんとかするので手一杯だった。
力は使わなければ自然にある力を取り込み、ある程度回復はできるが、それも出来ないほど彼らの力は削られていくのみだった。
それでは、確実にこの世界は滅びの道に向かうことになる。
「確かにな。今のままではただ単にどれだけ続かせることができるか――が問題だったからな」
『他の世界に力のある人がいないわけじゃなかったんだよ。でも、そういう人がこの世界のために動いてくれるかというと、また違うよね?』
「――その通りだな」
すでに力を持っているのなら、別の世界でそれなりの地位にいそうだし、この世界に来たからといって、この世界を救ってくれるとは限らない。
逆に力を持っているということは、この世界の独裁者になる可能性もある。
力ある者を呼ぶというのは、そういった危険性があることを、ヴァレンティーネはきちんと考慮していた。
『だから僕が最後の最後に望んで声を飛ばしたのは、兄さん達がこれから少しでも自分らしく生きるということをさせてくれそうな人を選んだ。それがユウカなんだ』
「……」
『力のない彼女には悪かったけど。でも、彼女のおかげで兄さんもファーディナンドも変わり始めたよね?』
笑みを浮かべながら尋ねるヴァレンティーネに、ベルディータはそのとおりだと苦笑するしかない。確かに優花のおかげで変わったことは事実だから。
ファーディナンドには怒るということが主だが、感情が。
ベルディータには誰かと――いや、優花と一緒に居たいという気持ちが芽生えた。
「そういう理由でユウカだったのか。それにしてもユウカに怒られることは覚悟しておけ。もちろんファーディナンドにも、だ。あれは一生懸命この世界のことを考えていたのに。おかげでユウカはそのとばっちりを受けているしな」
『えー。二人に話すの? でも僕はもう死んでるんだよ?』
「お前が呼んだんだろうが。責任取れ。大体お前はこんな性格だったか?」
暗さの欠片もない口調に、ベルディータは軽い眩暈を感じた。
全く、弟はこんな性格だったのか――と、改めてヴァレンティーネを見る。
『そうだよ。そんなに違うと思う?』
「覚えている限りではまったく違う。一体どうしたらそういう性格になるんだ」
『まあ、僕にはもう神であるという重責もないし。それに彼女の中は温かくて優しくて、昔の苦労なんか忘れちゃうんだよね。気づくと昔に戻ってる? みたいな』
確かにあの前はこんな感じだった――とやっと思い出す。
しかし、それはまだ成人する前の子供の頃の話で――。
「戻りすぎだ……」
『はは。でも、兄さんも懐かしかったでしょう? 『ベル』って呼ばれて』
「――確かにな。『ヴァール』」
にこにこと笑顔で話すヴァレンティーネに、ベルディータは軽いため息をついた。
『ベル』――昔、成人するまでの間呼ばれていた名。
彼ら一族は、幼い頃は名の持つ力に振り回されるため、真名を短くしたもので呼ばれる。そうすれば真名ではないため、その名前の力に振り回されることはない。
成人する前――力が安定するまで、ベルディータはベル、ヴァレンティーネはヴァールと呼ばれていた。
それはお互いもう戻れない懐かしき日々の名だった。
「久しぶりに、なんの意味も持たない名を聞いたな」
『まあ、彼女は意図してやったわけじゃないと思うけどね』
「だろうな。それにしても私の名はともかく、お前達の名前を平気で口にするとは」
『あはは、だって彼女は僕らに何も望んでないもの。だから言えるんだよ、名前の持つ意味など関係なく、ね』
それは確かに、とベルディータは頷く。
彼らの名前は人とは違う。名前は彼ら自身だ。それを口にされれば気づかないわけがない。
そのため、昼間もファーディナンドの名前を出して文句を言った時点で、優花の居場所はファーディナンドに筒抜けだった。
とはいえ、その時は名前の持つ意味を教えるには、優花のことを知らなさ過ぎた。
「ユウカは我々の名も、人の名も、個体の識別のために使っている、という感じだな。だから名前になんの含みも持たない」
優花が地面に書いたものを思い出しながら、「いや、あるにはあるが、私達が考えるような意味ではなかったな」と小声で付け足した。
ヴァレンティーネもそれに同意する。
『そうだね。それより話を戻すけど、人よりも感情に敏感なこと――それが彼女の特長だけど、それよりも大事なのは、何よりも相手に対する誠実さ、優しさなんだよね。そしてこの世界が一番必要としているものでもあると思うんだ』
ベルディータは素直に頷く。
千年前の怨念と、そのために自らを責める気持ち。
その中で、優花のように相手を思いやれる心は大事なことだ。
『世界を救うような圧倒的な力ではなく、人の心にいつの間にかに浸透していくような心の持ち主――だと思ってる。魔物にまで影響があるとはさすがに思ってなかったけど。まあ、いいことだから問題ないよね』
「ヴァール……」
『真面目なんだよねー。しつこく助けてって言っていると、そのたびに一つ一つこういう理由だから駄目って丁寧にお断りするんだもん。それにどういう人に頼んだほうがいいかって、説明までしてくれて。まあ、最後は時間なかったから無理やり連れてきちゃったけど』
これはまた、優花もつくづく気の毒に――としか言えない。
けれどヴァレンティーネの人選は誤っていないとは思う。
『本当に……見てるとファーディなんかも怒っているけど楽しそうだよ。あのカタブツが、だよ。本当に感情が出てきたというか、ね。だから僕がいなくなっても、彼女のことで手いっぱいで、悲しまないでいてくれるみたいだし――』
「ヴァール……」
『僕は……彼女で良かったと思ってる。最後の最後で使った力が、兄さん達のためになったからね』
「お前は……心配しすぎなんだよ」
弟が自分たちのことを考えて選んだというのを聴いて、心の中では嬉しく思いつつ、それでも照れくさくてぶっきらぼうに返事を返す。
長い間一人でいたベルディータは、優花が推測するように人との付き合いがなかった。
それになまじ自分で解決できる力があるため、面と向かって心配されると居心地の悪さを感じてしまう。
僅かに染まった頬を見られたくなくて、右手で覆うようにして横を向いた。
『兄さんのその顔。やっぱり彼女に感謝しなきゃね』
「うるさい。まったく……」
『本当だよ。彼女じゃなかったら、力で解決する道を選んでいたかもしれないしね』
「否定はしない。ユウカに言われて気づいたが、確かに自分も力で解決しようとしていたしな」
『弱者だから分かる……か。普通なら簡単に言える言葉じゃないね』
全くだ、とばかりに頷く。
普通ならプライドが邪魔して自分のことを弱いと言う者は少ない。居ないわけではないが、自分の実力をきちんと評価できるものは少ない。
それでも謙虚な言葉を口にする者は、たいてい他の者に『そんなことはない』と言ってもらいたい気持ちのほうが強いだろう。
けれども優花は自分を弱者であることを認めつつ、その中で出来ることをしようとする。
そんな優花を放ってはおけないと思ってしまう。危なっかしくて思わず手を出したら、その手を戻すことが出来なくなってしまった。
「どうして、こいつは力もなく弱くて危なっかしいくせに、頑固にも自分の意思を通そうとするんだ。見ているこっちがハラハラする」
『ははは。兄さんがそんな風に慌てるなんてね。でもね、兄さん。ファーディもそうだけど、この世界のためにって理由で彼女に手を出したら許さないよ?』
「……別に世界のためじゃない、と言ったら?」
そう、世界のためじゃない。
今日会ったばかりなのに、優花には何故か心を開き、そして惹かれはじめている。今はまだ抑えられるが、これ以上想いが深まれば、自然と優花を欲しくなるだろう。
そういった感情は、人もイクシオンも変わらない。
いや、逆に誰か一人と決めたら心が動かないのは彼らのほうが強い。でなければ長い時を共に過ごすことなど出来ないから。
『うーん……そうだね、なら彼女の意思によるかな』
「ユウカが拒まなければ構わない――ということか」
『まあね。でも、今は拒否するんじゃない? 気持ちはどうあれ』
確かにあの意気込みを見る限りでは、全てが片付かない限り拒否し続けるだろう。
言霊による誓約が生きている間は、二人の仲が進展すれば、優花はそのまま一族の仲間入りになってしまう。
『ま、それまでは我慢してね』
「するさ。数百年も待ち続けたのだから、もうしばらくの間待てないわけではない。ただ……」
『横から掻っ攫われるのは嫌?』
「当然だ」
『らしいけどね。ちょっとライバルになりそうなのがいるし』
「ああ。だから保険をかけたんだからな」
ここまで本気になった相手を気軽に手放すことなどできない。
けれど邪魔になりそうなものはいる。
だから優花の意思を曲げない程度に手は打った。
「まあ、たまには追いかける側になるのも面白そうだからな」
『兄さん……ほどほどにね。彼女はそういう面では慣れてないみたいだし。それと……』
「分かっている。ユウカはまだ平常時の魔物しか見ていない」
『うん。その辺だけは気をつけてね』
「分かっている。だから側にいると決めたのだからな」
ベルディータはヴァレンティーネに答えながら、優花の頭を撫でる。
口から出た言葉はすべて本当の気持ち。だから、それが嘘にならないように、優花の側にいて守ると誓う。
『うん、任せたよ、兄さん』
「ああ」
『そろそろ朝が来るね。これから忙しくなるよ』
「そうだな。まずはファーディナンドの説得からか」
『頑張ってね』
「それはユウカに言ってやれ」
『無理無理。ユウカが起きているときに出たら、彼女に負担をかけちゃうからね。んじゃ、僕はそろそろ彼女の中に戻るから、よろしく言っておいて~』
「おいっ!」
手をパタパタと振りつつ、笑って消えていくヴァレンティーネを見て慌てて叫ぶ。
けれど、死んでしまったはずの弟の顔に憂いは見られず、ベルディータの顔に自然に笑みが浮ぶ。
それと同時に、優花を見たとき妙な懐かしさを感じたのは、きっと優花の中にいるヴァレンティーネの意識のためだと思った。