第05話 夜明け前(1)

 深夜、ベルディータは熟睡している優花の髪を撫でていた。
 彼女の髪は自分のこしのあるストレートな髪と違い、細くて柔らかい。指に絡ませると少し癖があるためそのまま絡みつく。撫でた感触は柔らかくて気持ちいい。
 何度撫でても起きない優花は、ベルディータの力によって眠っていた。
 眠りに入る前の優花を思い出して、ベルディータは小さく笑った。

 

 ***

 

「ユウカ、何をしている?」

 ひとしきり叫んだ後、優花はベルディータの前でいそいそと毛布をめくり始めた。その行動が分からなくて、ベルディータは優花に問いかける。
 けれど優花は何も言わず、毛布をめくるとその小さな体を潜り込ませ、さっさと毛布を被ってしまう。

「ユウカ?」
「……………寝る。」
「は?」
「寝るの! もう付いていけない! これ以上の話は断固拒否!!」

 ベルディータの顔を見ないで叫ぶと、毛布を頭の半分くらいまで被ってから「おやすみ!」と叫ぶ。その後は完全に無視された。
 まあ、仕方ないかと思いつつ、それでも興奮気味な状態に、すぐに眠れるものではないと思い、ベルディータは静かに優花の頭に手を伸ばした。
 今はゆっくり眠れるように――と精神的な緊張を解くようそっと力を使った。
 しばらくしてから聞こえてきたのは、優花の安らかな寝息。その姿に安心して、ベルディータは優花の頭にもう一度手を伸ばした。

 

 ***

 

 丸まった優花はベルディータにとって小さく、まだ子供の大きさくらいしかない。けれど抱き上げた時の体は、子供のようなすとんとした体形ではなかった。
 小さいのに顔立ちも幼いのに、丸みがあって肉感がある。成熟とまではいかないが、その体はもう大人になりかけていた。
 優花の顔立ちは人目を引くような美しさはない。大きな目が印象的だが、それが更に幼さを感じさせてしまう。
 でも、幼さい見た目とは反対に、しっかりとした考え方が気に入った。

「全く面白いな。それに――何故か懐かしく感じる……?」

 何故か優花から感じる懐かしさ。それは優花を見た時から感じているもの。
 ヴァレンティーネが選んだということは、その辺りにも関係してくるのだろうかと思ったが、聞けば優花は別の世界の人間。ベルディータとの接点などどこにもないはずだ。
 なのに、どうして懐かしさを感じるのか。

「何故そう思うのだ? ユウカはいったい何者なのだ?」

 その答えは分からない。
 今までなんの接点もないのだから、懐かしさなど感じるわけがないのだ。
 本来ならば。

 

 ***

 

 今日、ベルディータは久しぶりに聖水鏡宮を訪れた。
 宮にはヴァレンティーネがいた頃から、よく出入りしていた。だから慣れた様子で見習いの格好をして入り込む。あの格好をしていれば咎めるものはいないし、いたとしても力で適当にやり過ごすのがいつものことだった。
 その日、直接ファーディナンドの所に向かわなかったのは、ヴァレンティーネ亡き後の宮の様子を見るためだった。
 が、入ってすぐ窓から巫女の恰好をした子供が飛び出したのを見た。服装から位の高い巫女だというのは分かる。が、何故窓から飛び出るのか。
 ベルディータは不思議に思いながら中に入り、そしてファーディナンドから事実を聞かされる。
 先ほどの子供が次の神で、そしてそれが嫌でファーディナンドに喧嘩を売り、挙句に逃げたのだと。
 正直、怒りの感情が沸いた。あれほど自分たちが守ろうとした世界を任されたのに、それが嫌で逃げるとは――と。

「でも、お前は何も知らなかったのだな」

 ファーディナンドに会って、初めて次の神はヴァレンティーネがどこかの世界から呼び寄せた『人間』だというのを知った。
 それだけの力を使ったのだから、寿命が更に縮まったのだとファーディナンドは怒りの感情を露にしている。それなのに託された者はなんの力も持たないただの『人間』だというのだから、ベルディータ自身同じくそう思った。
 けれど反対に興味も沸いた。
 ヴァレンティーネが命を縮めても呼び寄せた『人間』がどんな者なのかと。
 それにファーディナンドに喧嘩を売るという行為をしてのける、その性格に興味を持った。

 イクシオン族は寿命という寿命を持たない。己の持つ力が尽きたときが寿命であり、力を使い続けると寿命は短くなるが、あまり使わないでいるとそれだけ長く生きることができる。
 神として力を行使し続けたヴァレンティーネはそうして寿命が尽きる矢先、その後を頼める者を呼んだ。他の世界から無理やり呼んでまで、自分の跡を継がせたかった人物に対する興味のほうが勝る。
 怒るファーディナンドを置いて探しに出た。
 宮から出て森を歩いているとすぐさま尋ね人は見つかった。
 怪我を負って、血を流している姿で。
 すぐに何があったのかは想像できた。慣れない森を歩き、魔物にでも出会い負傷したのだろう。
 ベルディータはどうやって声をかけようか少し迷った後、本当に力がないのかという意味合いをこめて、「生きていたのか」と尋ねた。

 その後の話は彼にとって意外だった。
 何も知らないから言えるのかもしれないが、それでもかなり言いたいことを言う少女に、だんだん興味がわいてくる。
 しかも平然と自分は力がないから人に頼るし、自分にもそうしたほうがいいと言う。
 挙句の果てに、魔物とは知らなかったようだが平然と魔物と話しをするし、しかもその後きれいさっぱり消してしまった。なんとも本当に不思議な光景だった。
 何故ヴァレンティーネがこの少女を選んだのか、とても気になりファーディナンドに話をした。それを彼はわざと曲解した挙句、この場を設けたのだ。
 本来なら即座に却下するような話。けれど、相手は優花。まあ話すくらいならいいかと思った。優花なら面白い話が聞けそうだったし、他の者と同じだと判断したら適当な理由をつけて断ればいい。そう思っていた。

 けれど、優花はなにも聞いておらず、また力に対して慎重だった。そしてベルディータに過去のことまで語らせた。
 何より魔物に関しての考え方が他の誰も気づかないような考え方で、しかもその考え方が合っていて、綺麗に魔物を消すことが出来た。
 なるほど、ヴァレンティーネはこのために呼んだのか、と思った。
 更にに驚いたのは、安全なこの場所で適当にしているより、魔物を探して旅をしたいと言う。
 そして、何かと危険なこの世界を移動するのに、力は受け取らないと必死になって拒否する。
 力が欲しいという者が多い中、力を欲しない優花が新鮮だった。自分を変えないために、力は必要ないのだと言い切る優花が。
 気づくと、深みに嵌まっていることに気づいた。
 これ以上踏み込んだら、絶対に元に戻れない。関わるのを止めるべきだという声が頭の片隅でしたが、何故か感じる懐かしさと優花への興味にその声を無視した。

 

 ***

 

「全く……なんでこんなやつを選ぶんだ、あいつは」

 もっと普通の人間なら、適当な扱いをして終わりだっただろうに、なんでこんな放っておけない危なっかしい人物を選ぶのか――何を基準にしたのか全くもって分からない。
 自分の弟は、一体全体なにを考えて優花を呼んだのだと不思議に思う。

「全く……他の世界には力のあるやつがいなかったのか……それに――」

 ここまで関わってしまうと、彼女の側を離れることはできなくなる。
 それに、優花なら優花が選んだやり方で、この世界を変えてくれそうな予感がした。
 つい一人ごちりながら、優花の髪をつんと引っ張った。

「ユウカにしてみても、さぞかし迷惑だったろうに――」

『それでも、彼女にしか僕の願いは叶えてもらえそうになかったから』

「……っ!?」

 声が聞こえた後、優花の体の上が淡く光り、徐々に人の形になる。
 ベルディータは黙ってそれを見つめていた。

『他に誰もいなかったんです。僕が助けて欲しいと願った人は……』
「お前は……」
「……って、久しぶり、兄さん。こうして二人きりで話すのは本当に久しぶりだね』

 口調も最初は堅苦しかったのに、すぐに砕けたものになった。

「ヴァレンティーネ……?」

 笑顔で返したのは亡くなったはずの弟――ヴァレンティーネの姿だった。
 しかもあっけらかんとした感じで、悲壮感が全く見られない。

「どういう……ことだ、これは?」

 弟であるヴァレンティーネは、優花の召喚と引き換えにその命を亡くした。
 一族の者は肉体はそのまま力であり、力がなくなればその肉体を失うため、人のように遺体が残らない。
 魂魄のようなものがあるのかどうかは不明だが、そんなものは見たことがなかったため、ベルディータはヴァレンティーネの登場にかなり驚いた。

『あ、驚いてる? 驚いてるね!』

 暗さのかけらもない笑顔で言われて、ベルディータは一瞬呆けた後、すぐ戻って。

「驚いてる? ではない! これは一体――」
『えーとね、僕は本当だったら消えるはずだったんだよ? 本当に力はちょっとしか残ってなかったしね。だから彼女を無理やりこっちに連れてきて、残った力でなるべく彼女の手助けになるように知識を与えて、それで終わるはずだったんだ』
「それで?」
『もう肉体も保っていられなくてね。それくらい切羽詰っていたんだけど、一応彼女に情報だけは――って思ったんだよね。でも……』

 半分透明なヴァレンティーネは、死んだという割りにあっけらかんとしている。
 というより、前に会った時はやつれて生気のない感じだったはずだ。それなのに、今の彼は何やらとても元気だ。
 更に自分のことを『僕』と言っている。神という地位についてからは、自分を戒めるためにもと、公私とも『私』で通していたはずだ。
 弟のあまりの変わりように呆然としていると、ヴァレンティーネは苦笑する。

『でもね、彼女が僕のことを悲しんでくれて、そして意識しないまま身の内に留まらせてくれたんだ。だから僕は完全に消えることなく、彼女の中でこうして意識を保ってられるんだ』
「……ちょっと待て。そんな高等な技術――」

 普通一つの肉体に二つの意識など共有などほぼ無理に近い。
 出来ないというわけではないが、精神的な負担などを考えればかなり難しい。

『うーん。まあ、共有ってほどじゃないよ。ちょっと彼女の中の一部を間借りしている感じ? そうそう、驚くことに彼女が消した魔物も一緒にいるんだよ。今はもう眠って起きないくらい大人しいんだけど』

 すごい人選んじゃったでしょ? と自慢げに言う弟に、ベルディータは優花が眠っていることも忘れて叫んだ。

「すごいではない! 一体お前はどういう人選をしたんだ! ユウカは一体何なのだ?」

 

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