白い空間をしばらく漂った後、ふと背中に何かを感じて、優花はそっと目を開けた。
手を動かすと硬くて冷たいものにあたる。なんだろうと数回撫でてみると、それは大理石のように磨かれた石の床だと気付いた。
(なに? ってか、ここどこ?)
横たわっていた体を起して周囲を見回してみると、結構広い部屋だ。数本の柱以外何もない。上を見上げると高く、しかも暗いのでどこが天井になるのか分らないような所。
こんな時はどういう行動をすれば一番いいのか――今までの記憶を掘り起こしても、最善の策が見つからない。どうしようかと固まっていると、遠くで微かな音が聞こえた。何の音だろうと一瞬身を竦める。が、すぐに人の足音だと気付く。
(誰かいる? この際誰でもいいから助けて!)
その人物は柱の影になった所にいたので、気づかなかったようだが、優花が気づく前からそこにいたらしい。ここにいる人物がどんな人か分からないが、暗くてどこか分からない所に一人でいるよりマシだ。
優花はその人に助けを求めようとする。が、その顔を見て、優花はすごく驚いた。
「助けて――……って、もしかして、ふぁーでぃなんど……さん?」
その顔はここに来る前に見た光景の中にいた人だった。それにしても映像で見るよりも生きている方が綺麗だと、何となく感心してしまう。
緩いウェーブの青みがかった銀髪。紫色の切れ長の瞳や引きしまった口元から意志の強さを見せていて、ただ綺麗というだけではなくしている。
見惚れていて気付くのに遅れたが、優花が尋ねても彼は何も言わなかった。聞こえてなかったのかともう一度尋ねてみる。
「あの……聞こえてます?」
「これは面白い。すでに私のことは知っておられるようですね」
「はあ、知っているというかなんというか……ですね」
「ようこそキトへ。新しき神よ――」
「は……い!?」
(いいいいま神……とか言わなかった? 可笑しいなあ、これもさっき見たのの続きかな。だったらもう一度眠って……)
夢の続きならそれらしく寝なければ――と優花は体を横たえようとする。
「何をしておられるのです?」
「なにって、夢ならちゃんと寝なければと思って」
「……夢ではありませんよ」
「ならなんだって言うんですか? これが夢じゃなかったらドラマの撮影? だったら邪魔ですよね。すぐどこか行きますから」
学校の屋上にいたはずなのに、何故ドラマの撮影に入り込んでしまったのか、とりあえずその疑問は置いておくことにした。
立ちあがって出口を探そうとするが、この部屋には銀髪の青年しか居ないようだ。
「あれ? 他に人は?」
「今ここには、私以外誰もいません」
「だって撮影でしょ? 他にもいろんな役の人やカメラマンとかいるもんじゃない……の?」
真剣な表情の青年を相手に、語尾が段々弱くなっていく。
嘘だ、まさか、冗談じゃない――思いつくのはそんな言葉。
『優花ってば、いつの間にかに異世界いっちまったりしてな』――面白そうに言う慎一の顔が浮かぶ。
(シンちゃんの馬鹿ーっ! 変なこと言うから本当になっちゃったんじゃないのー!?)
別にこうなったのは慎一のせいではない。
が、どこかに怒りの矛先がなければやってられなかった。
それでも内心冷や汗だらけになりながらも、先に言っておかなければ、とばかりに先に口を開いた。
「あのっ! 助けてとかなんとか聞いちゃいましたけど、絶対に何かの間違いです! わたしには何の力もないんで、早く戻してくださいっ!!」
「……戻れませんよ。すでに道は閉ざされました」
「え!? ちょ、悪い冗談はやめてください! なんで別の世界の、しかも一介の女子高生に、この世界の神様(?)が助けてなんて言うんですか!?」
夢だとしてもありえないほど現実離れしている。というか、そんな自ら苦労するような夢なんて見たくない。
現実だとしたら、もう少しマシな人選をするべきだ、と進言したい。
「冗談ではありません。あなたはヴァレンティーネ様がお呼びになった方。何かしらの能力を秘めているに違いありません」
「ないです! なら、そのヴァレンティーネさんが間違っただけです!!」
「なんと失礼な。ヴァレンティーネ様が、その辺にいくらでも転がっているような凡人を選ぶわけがないでしょう!?」
「ころが……」
言ってることがものすごくキツイく、優花は頭に石をぶつけられたような感覚を味わう。
(でもねぇ……わたしはその辺に転がっている凡人なんだよ、と、あなたが盲信(?)しているヴァレンティーネという人は人選を間違ったんだよ)
と心の中で呟く。
もちろん言えるような雰囲気ではないので、あくまで心の中でだ。
ファーディナンドと言ったか、彼はどうもヴァレンティーネ――神のことを盲目的に信じているように見えた。
さてどうしたらこの場を乗り切り元に戻れるか考える。ただし、この場を乗り切っても、元の世界に戻れるかどうかも不明だったが。
「戻れないと申したでしょう?」
「う……どうして人の心を読んだかのようなタイミングでそういうこと言うんですか!!」
優花の思考を読んだかのようなタイミングでの駄目押し。
堪えきれずに叫んでもファーディナンドはどこ吹く風だ。その姿を見て、優花は手を握ってぷるぷると小さく震えた。
そしてしばらく間をためた後、堪えきれずに叫ぶ。
「わたしが一体なにをしたって言うのおおっ!?」
生まれてこのかた、こんなわけのわからない状況に陥るほど悪いことなどしていないはずだ。もちろん善いこともしているわけではないが、それはまた別の話で。
そんな優花の心境はファーディナンドの一言であっさりと崩れる。
「この際、あなたのこれまでの行いは一切関係ありません。ヴァレンティーネ様がお呼びになったという事実だけが問題なんです」
きつい視線を優花に向ける。
一歩後ずさりたいのを我慢して、優花も負けずに叫んだ。
「だから知りませんってば!!」
「知らないのであれば知って頂くまでのこと。力がないというのなら、それが分かるまであるふりでもしなさい」
「それって詐欺じゃあ……」
「全ては力のないあなたが悪いのです」
「……」
呆気にとられて何も言えなくなる。
こうも見事に責任転嫁されると、それが真実のように思えてくるから不思議だ。
「すでにヴァレンティーネ様が亡くなり、あとを継ぐ者が呼ばれたことはこの宮では周知の事実」
「あとを継ぐ者……?」
「そうです。それがあなたということになります」
「ちょ、ちょっと待ってください! それじゃ、わたしだってことを黙っていれば……」
どうやらファーディナンド以外に、ヴァレンティーネのあとを継ぐ者がいるということしか知らないらしい。だとしたら、彼が話さなければそれが優花だと知る者はいない。
できればこのままそーっと見逃してくれ――と思ったのは仕方ないだろう。今なら元の世界に戻れなくても、神などと大それたものにならなくて済むじゃないか。
「無理ですよ。この部屋はヴァレンティーネ様の代わりを呼ぶための部屋。私はこの部屋に入る時、ヴァレンティーネ様と共に入りました。出ていく時は新たな神を連れて出ていかなくてはなりません」
「そんなこと知りません! いっそ失敗したとか!!」
「無理です。というか失敗なんかしていません」
「いやいやいや、わたしが出ている以上、どう見ても失敗でしょう!?」
ここには神と呼べる存在がいるということは、どこかに相応しい人物だっているはずだ。
なんで優花が呼ばれたのか全くもって謎といっていい。
それに異世界というものがあるのなら、地球とここ以外にもあるはずだ。その中からもっと相応しい人物を探せばいい。
「もう一度誰かを呼びなおすとか!」
「無理ですね。そのような力、私にはありません」
一言であっさり却下される。
それにしてもファーディナンドの考えはよく分からないな、と優花は思う。
神に仕えているのだから、精神修行がなっているのだろうか。何を思っているのか、その表情からも雰囲気からも読み取れない。
けれど負けてもいられない。
「そこをなんとか! ってか嘘つかないでください、ファーディナンドさんだって“力”あるでしょう!? それに神様に一番近いんだし!」
「無理です…………え?」
「え……って何?」
「なぜ、私が一番ヴァレンティーネ様に近い、と?」
「は? だってファーディナンドさんが言ったんじゃない。この部屋にヴァレンティーネさんと二人で入ったって。次を任せるような人を呼ぶのに、適当な人と一緒にするわけないもの」
何を言ってるんだろう、と顔をしかめる。
どう考えてもヴァレンティーネにとっても、ファーディナンドは大切な人にしか思えない。そして反対にファーディナンドにとってもヴァレンティーネが特別だと。
ファーディナンドの口調から、また、ここに来る前の光の記憶からすれば、すぐに推察できる。
だから最後の時を二人だけにしたのではないのか――そう尋ねると、ファーディナンドの口元が少しだけ緩んだ。
「なかなか見るところは見てるんですね」
「はあ……」
「では、それを思いきり活用して頑張ってください」
「はいいい!?」
待て待て待て、話が変な方向に向いてしまった――と、思った時には遅かった。
作り物の笑顔で、にこやかに笑っているファーディナンドを見て冷や汗をかく。
「む、無理です!」
「無理でもなんでもやってもらいます」
「そんなっ!? もっと相応しい人が絶対いるはずですってば!!」
「そうかもしれませんが、今それを探している暇はありません」
「だからって……」
「力がないということは譲歩しましょう。ですから、表面上だけでも頑張って“神様”をしてください。そうしたら衣食住だけは何とかなりますからね」
「さ、さいですか……」
嫌みをこめた極上の笑顔。
ここまで言われるともう何も言えない。ふりでもいいからやれというのだ。
しかも拒否権はない。
(でもなあ……。神様扱いされるより、ファーディナンドさんを様付けで呼ぶ、下僕その一のほうが絶対あってるよね……)
これから自分はどうなっていくのか――そう思うと深い深いため息が出た。