久しぶりに安心できたせいか、朝までぐっすり眠りこんだ。
おかげでこの館の主であるフィデールと、昨日やって来たアスル・アズールとどんな話をしたのかなんで全く想像していなかった。
どちらかというと、扉をドンドンと叩く音が聞こえるまで――正確には無理やり扉を開けて入り込んでくるヤツの姿を見るまで、すっかりその存在は忘れていたといっていい。
「だ、誰!?」
「おーい、いつまで寝てる気だ?」
「アスル・アズール!?」
「オハヨ。」
「オハヨ、じゃないっ! いきなり入ってくるんなっ!!」
昨日のことを思い出して、部屋の奥まで入ってこようとするアスル・アズールの顔に思い切り枕を投げつけた。
当たったとしても軽いのだから、大したダメージは与えられないのは分かっている。でもそれを軽く受け止められると、更にムカっと来るんだよね。
「ちっ……避けやがって。つまらん」
「ちっ、じゃないだろ。朝飯に遅れるからわざわざ呼びに来たんじゃないか」
「だったら扉をたたいた時点で相手の反応を見るのが普通だってば! 勝手に入ってくる方が問題だろ?」
なんていうか、面の皮が厚いというか――王族なんだから仕方ないのかもしれないけど――いちいちムカつくっ!
会ったときは気が合いそうな気がしたけど、それは間違いだ。
コイツは遊べそうな奴なら誰でもいいという節操なし! 気を抜けば、自分がオモチャにされる可能性が高い。
あ、そっか。こういうヤツは過剰反応するから面白いんであって、平然としていれば面白いと思わない。慌てず何気なく無視するのが一番いいんだっけ。
「わざわざ呼びに来てくれてありがとう。でも着替えるから先に行ってやがれ」
「おい……」
……。あれ? なんか語尾が変になったような気がする。うーん……怒ってる気持ちが出てしまったかな?
どうも根が素直だから本音が出てしまうんだよねえ。ま、いっか。
「あー悪い悪い。私口が悪いからねぇ。仮にも王族のアスル・アズールに移ったら悪いから、あまり近寄らないほうがいいよ~。というわけで、ハイ強制退去。バイバイ」
にっこり笑って扉を指さすと、アスル・アズールはため息を一つついてから、意外にも素直に出ていった。ちょっと拍子抜けしたけど、今のうちにさっさと着替えよう。
首まであるゆったりしたシャツを着て、ズボンを履く。日本みたいにゴムとかだと楽なんだけど、いちいち中に入れた紐で固定しなければならないのが面倒だ。
そして今日はその上に長めの、まるでコートのような上着を羽織る。女と思われないようにというのと、アスル・アズール避けの一石二鳥だ。鏡を見て姿かたちを確認すると、昨日の魔法が効いているようでコンタクトをしない前から目の色は緑だった。
よし、万全だ。きちんとチェックをしてから、私は食堂へと向かった。
***
食堂――というより、食べる場所にしているというだけなんだけど――に入ると美味しそうな匂いが充満していた。
すでにいるこの塔の主であるフィデールに「おはよう」と言いながら、アスル・アズールのほうはさっくり無視する。
「ミオさん、露骨ですね」
「起きぬけに無理やり部屋に入ってくるヤツにかける言葉なんてないね」
「それは酷いな。わざわざ起こしに行ってやったのに」
「あれは起こすって言わない。起きぬけを襲うって感じ。アンタは健忘症か。昨日私に何したか記憶にないのか? これ以降、許可なしに人の部屋に入るな」
ギロリ、と睨みつけるけどあまり効いてないよう。
『傲岸不遜』ってのを形にしたら絶対コイツになるな、ったく。
「この塔の主でもないのに言うなあ」
「私はフィデールからちゃんと部屋をもらってるからね」
「部屋をもらってる……なんて女みたいだな」
「失礼な。間違いで呼び出された哀れな私に、住む場所を提供するのは至極当然な成り行きじゃないか」
搾りたての果汁百パーセントのジュースを、ふざけんなよこのヤロウといった気持で一気に飲み干す。
部屋については当然とは思わないけど、別にフィデールとの関係に疾しいものはない。
「あの……お二人ともいい加減にしませんか。特にミオさん、いつも言ってるじゃないですか。怒っていると食事が美味しく感じない、と」
「そりゃ……どっかのバカが変なこと言わなければ怒る必要もないけど?」
「ほーお、そのバカを見てみたいな」
にゃろ、目の前に鏡を置いたろか。こいつツラの皮が厚すぎる!
……は、いかんいかん。こういうのは相手にしてはいけないんだっけ。冷静になれ、冷静に。
現実に戻ってパンを二つに割って、ジャムをつける。一口かじった後は、野菜がたっぷり入ったスープをひと掬い味見して。うん、出汁がよく効いていて美味しい。
食事は朝から豪華だ。果汁百パーセントのジュースや牛乳、お茶など飲み物も数種類、野菜たくさんのスープ、パンが三種類、定番の卵料理やベーコン、ソーセージなど。しかも男の人用だから量もたくさん。食事時だけはここに来てラッキーって思うんだよね。
美味しい料理をたくさん頬張っていると、フィデールが声をかける。
「あ、ミオさん実は……」
「ん?」
「昨夜急に決まったんですが、彼とミオさんと三人で聖地に行ってみようという話になったんです」
「聖地?」
聖地ってあの大神官がいるってとこだっけ。なんでまたそんな所に?
疑問に思うけど食べるのは止めない。カリっと焼けたベーコンをパクリと口に入れて噛みしめた。
「ミオさん……貴方にも関わることなんですから」
そう言われてもいずれ帰る身だし、悪いけど聖地うんたらより今のご飯のほうが大事だし。というかそんな所に行って墓穴掘りたくない。
数回噛んでから飲み込み、一息ついてから。
「だって関係ないでしょ、私には」
「そうなんですが……」
「あるだろ」
これ以上巻き込まれたくないんで遠慮したいんだけど……口ごもるフィデールに変わってアスル・アズールが口を開く。
ムッ、出てくるなよ、うるさいな。
「なんでさ?」
「フィデールの召喚魔法は成功している。なのに、何故、ミオが出てきたのか――しかも、それが男だと言うし?」
「う……」
なんか“男”ってところ、妙に強調された気がするんだけど。
うーん……やっぱり女だってのバレバレだよなぁ。長く一緒にいるとバレるだろうなってのは考えていたけど……ちょっと予定より早かったな。表に出てくるのが――だけど。フィデールはわかっても黙っていてくれそうだったのに。
何もかもアスル・アズールのせいだ。とはいえヤツは睨んでもどこ吹く風――なんか悔しい。
「確かにねえ、どうしてだろうねえ? やっぱり失敗したからじゃない?」
「……すみません」
「あっフィデールのことを言ってるんじゃなくて……ええい、アスル・アズールの厄病神!」
ここにきて数日、フィデールとはいい関係だったのに、アスル・アズールが入ったらもう滅茶苦茶だよ。
「俺に言われてもな。真実を知るには聖地に行ったほうが早いから行くって決めたんだよ。ミオだって早めに帰りたいんだろ?」
「そりゃそうだけど……でもフィデールは? 大丈夫なの?」
「私のほうは……これから調整に入りますので、数日後には皆で行けると思います。それにミオさんも嫌がらないで一回行ってみたらどうでしょう。とても綺麗な所ですよ」
なんかちょっと疲れた顔をしてるフィデール。
昨日急に決まったってことは、あのあと二人で話をして、無理やりアスル・アズールに押し切られたんだろうなって想像できる。気の毒に。
でも大丈夫なのかな。フィデールは家族には利用されているし、他の臣下には頼りされているみたい。そうなるとスケジュール調整とかも大変そう。
「フィデールも了解してるならいいけど、あまり無茶しちゃ駄目だよ?」
「はあ、まあ頑張ります」
「頑張ります、じゃなくて、頑張りすぎて倒れないようにって言ってるんだけど」
「はあ……」
情けなさそうな顔で返事を返すけど、どう見てもこれから無理をして数日間開けるんだろうな。
そんなのを想像して、はーとため息をつく。
「駄目だこりゃ。じゃあ、何もしないでいるのは悪いから、今日から私を手伝わせること。文字も読めるしそれなりに使えると思うから」
「ですが……」
「あんたに無理をさせないように、って考えるとそれが一番。魔法も順調に覚えてるから、護衛代わりにもなるしね」
最後の譲歩案。それにフィデールにくっついてればアスル・アズールも変なことはしてこないだろうし。
でもフィデールに無理をさせたくないってのは本当。こういう所で働くのは初めてだけど、仕事自体は経験あるし、少しは手伝いくらいはできると思う。
なんていうか……フィデールのほうが年上だけど、なんか真面目すぎて不器用な弟って感じなんだよね。放っておけないというか。
「ちょっと待て。なら俺はどうしてればいいんだ? 二人してここを空けて、客である俺を放っておくのか?」
「いや、あんた客じゃないし。押しかけじゃないか」
「押しかけって……フィデールはちゃんと客として扱ってるぞ」
「何を言う。そういう意味でなら私も客。だけどこれ以上フィデールに迷惑をかけてはいけない――って思うから手伝おうって思っているんじゃないか。一緒にするな」
フィデールにとってはどちらも厄介者には違いない。
でも美味しいごはんを食べさせてもらっているから、少しは手伝おうとしてるのに。
はあ、二人とも同じくらいの年だし、同じ王族なのにこんなに態度が違うんだ。
目の前のテーブルを左右に挟んで座っている二人を見ながらそんな感想を抱きつつ、食後のお茶をずずっとすすった。