010 どうしても勝てない(フィデール)

 雑事を片付け自室に戻ったのはかなり遅い時間になってしまった。扉を開けて明かりを灯すとふう、とひと息ついた。
 それにしてもあの二人の組み合わせは心臓に悪い。最強の上、最凶コンビではないじゃないですかー! と悲鳴を上げて逃げたくなる。
 いやいっそ、逃げてしまおうか――思わず後ろ向きな気持ちに支配され、ふう、とため息をついた。どうせ逃げらることなど出来ないのだ。
 上着を脱いで椅子の背もたれに深く腰かけるのと同時に、扉を叩く音がした。

「誰ですか?」

 分かりきったことを尋ねながら扉を開けた。
 ミオさんがここに来るわけもなく、こっそり話をしたいのは彼くらいだ。

「分かりきっていることのは野暮というものだぞ」
「挨拶みたいなものでしょう。挨拶もなしに人の部屋に入る人よりマシです」
「ほう、言うじゃないか」
「いつまでも貴方にやられてばかりでは進歩がありませんからね」

 私の答えにニヤリと笑みを浮かべた彼は部屋の中に入り込んでくる。
 どうやら数年経っているが、我が道を行くという態度は変わっていないようだ。

「火酒を持ってきた。飲めるだろう?」

 瓶を片手にニヤリと笑う彼に、またため息をついた。
 自分が酒に弱いことを知っているだろうに……なんて嫌味なんだ。

「貴方の言う“下手な歌”を聞きたいのなら構いませんけどね」
「おいおい、酔ってもらっちゃ困る。メインは話だ」
「だったらそんな強いお酒を持ってこないでください!」

 人が酒に弱いのを知っているのに、こんな強い酒を持ってくるなど、嫌味でやっているとしか思えない。
 いつもこんな風に彼にペースを崩される。彼の性格、自分の性格――それらを見ても彼には勝てないと分かっているのに、それでも余裕を崩さない態度に嫌味の一つくらいは言いたくなる。
 もっとも彼にすると嫌味にさえ思っていないらしいが。

「水で割ればいいだろう。果実酒にしようかと思ったが、それだと樽ごと持ってこなくてはいけなくなるからな。本当ならこれだけでも足りないんだ」
「……貴方ほど飲める人は少ないですよ。どうでもいいですが、私の部屋を酒臭くしないでください」
「お前も着眼点はそこなのかよ」
「貴方に合わせてズレた方向から見ているだけです」

 まともな方向から向き合っていると精神的なダメージが大きすぎる。
 とはいえ、まともな方向からじゃなくてもそれなりにダメージは受けるが。

「まったく……使いも出さずに何の用ですか」
「俺が来た理由なんて聞かなくても分かるだろうが」
「やっぱりミオさん――ですか」
「当たり前だろう」

 やはり放っておいてくれなかったか――というのが本音だった。
 もちろん彼を誤魔化せると思ってはいない。だけどもう少し時間が欲しかった。

「確かに私は“玉の乙女”を召喚しようとしました。けれど召喚されたミオさんは――」
「男だった――と言いたいのか?」
「……」
「ミオが本当に男だと思っているのか?」

 やはり誤魔化すことはできなかった。私は観念して首を軽く左右に振った。

「いいえ。――まあ、初めは本当にそう思いましたけど」

 ミオさんの顔は整っている方だったが、切れ長の目が少しきつい印象を与える。それがどちらかというと中性的な雰囲気を感じさせる。加えてあの口調と服装。この世界に来た時は、この世界の女性が着る服というよりも、男性でも簡素な服装だった。それとあの髪と瞳の色で誤解してしまったのは確かだ。
 ただし、すぐに女性と気付いたけれど。

「あの恰好はさすがに……見た目も聞いていた乙女とは全くかけ離れていましたので」

 最初は自分の腕を疑った。けれど、嬉しい誤算もあった。兄たちも見た目からミオさんを論外だと決めつけたことだ。
 おかげでミオさんが男性か女性かを問いただす前に男性だと決めつけて、彼女を視界に入れることがなくなった。自分がミオさんが女性だと気付いた時には、周りは彼女が本当は女で、“玉の乙女”ではないかという考えを持つものなど居なかった。

「それにしても、貴方はよくすぐに分かりましたね。ミオさん男として見られるよう振舞ってるつもりみたいですし、その辺にいる女性とは明らかに格好も性格も違いますし」
「ふふん。俺が見抜けないとでも思ったのかよ。俺はお前と違って人を見る目があるんでね」
「……そんなこと言ってると、いつか足下を掬われますよ」

 まったく豪胆な男だ、と思う。だけどそれに見合うだけの実力がある。
 言いたいことを言い、それを実行できる力を持つ彼のことを羨ましく思う自分がいるのは確かだ。
 とはいえそれを表に出すのは死活問題に発展する。苦笑しながら薄めた火酒を口に含んだ。

「それでどうするつもりだ」
「どうするって? ……ケホッ」

 アルコールに軽くむせる。どうやらまだ強すぎたらしい。
 仕方なく冷えた水でもう少しだけ薄める。

「おい、そんなに薄めると酒の味が分からないじゃないか」
「私にはこれくらいでいいんです。貴方と一緒にしないでください。それよりどうするとは?」
「そのままだ。話どおりもう一度乙女を召喚するつもりか? したとしても出てくる者など居ないがな。お前の名前が更に落ちるぞ」
「落ち……。そ、そんなことは分からないじゃないですか」

 彼の言葉に動揺して、コップを持つ手が震える。
 彼はそんな私の動揺をよそに、度数の強い火酒をくいっと一気に煽った。

「もう一度召喚しても何も出ないか、またはミオがその場に登場するか――どちらにしろミオ以外あり得ないだろう」
「それは……それは、貴方は彼女を“玉の乙女”だと認めている――ということですか?」
「そうだ」

 短い肯定の言葉。
 曖昧なところもなく、迷いもないそれは、自分が恐れていた事実を確定するのに十分だった。
 少し自棄気味になって、コップに入っている薄めた火酒を一気に飲み干す。先程と同じようにむせたが、はっきりいって素面ではやっていられないという気持ちからだった。

「おい、飲むのは構わないが話はまだある。酔って暴れるのはやめてくれよ」
「それはいいですね。もう、暴れまわりたい気分ですよ」
「暴れるのはいいが、壊れたら困るものが多いんじゃないか? お前の部屋だろう」
「う……確かにここには魔法に関する大事な物が……って、そうじゃなくて、ですね!」

 駄目だ。どうしても言いくるめられて勝てない。気づくと自分の攻撃(?)は躱されて、新たな攻撃にされて返されている。
 学び舎の時代から数年、あまり成長していないということなんでしょうかね、とため息をついた。
 ならば、こうして時を無駄に過ごすのは勿体ない。早めに本題に入ることにしよう。

「これ以上騒いでも無駄なようですね。なら、話を元に戻します。はっきり聞きますが、ミオさんが“玉の乙女”ということでいいんですね?」

 彼女が本当に乙女なら、これからの対応を変えなくてはいけない。
 本物だとしたら女性だとバレるとあれこれ問題だ。それに父や兄たちに利用されないようにしなくてはいけない。
 もっとも彼女が大人しく言うことを聞くことも、予言どおりになるとも言いがたかったが。

「そうだ。お前は召喚に失敗していない。となると、出てくるのは“本物になる可能性の者”だ。そして現在、ミオは“可能性のある者”ではなく、本物の“玉の乙女”になった」
「本物になる可能性のある者……?」
「本来、“玉の乙女”とは異世界からくる黒髪黒目の女性が候補になる」
「候補?」

 “玉の乙女”とは、異世界から召喚した黒髪黒瞳の女性のことを指す言葉ではなかったのか。
 はじめて聞く、“本物になる可能性のある者”という言葉に、眉をひそめる。

「候補とはなんですか?」
「知らなかったのか?」
「ええ。乙女とは異世界から来る者、としか」
「なるほど。そうだな、過去に三人同時に異世界から来た者たちがいる。その中で本物の“玉の乙女”と認められたのは一人だけだった。それからラ・ノーチェでは、異世界から来る女性が本物かどうか見極めるようになった」
「……初耳ですね。たぶん父も知らぬことかと」

 やはり彼の地はその辺りのことについて詳しいようだ。
 同じ大国として名を馳せているここでさえ、そのような情報はない。

「“玉の乙女ラ・ペルラ”が“玉音の乙女エル・イディオーマ”と呼ばれるのもそのせいだ。どうもこの世界に来た時点で、彼女たちは元いた世界の言葉を失うらしいな」
「言葉を失う?」
「そうだ。ミオはこの世界の言葉に不自由していないだろう?」
「そう、ですね。普通に話をしてましたし、文字も読めているようです」
「だろうな。この世界の言語しか理解出来なくなるらしいからな。元いた世界の言葉を失い、その代償にこちらの言葉を得る。だからすぐに話も通じるんだ」

 確かにミオさんはここにある本を普通に手に取って見ていた。
 しかも、分からない文字などないようで、一度も聞いてきたことがない。

「成る程……それでミオさんはこの世界に対して戸惑いが少ないんですね。それに――彼女の学には驚きます。政というか、そういったことに関して結構聡いうというか。私が説明しなくても先に理解してくれます」

 それに学もあるようで、かなり難しい本も気にせずに手に取り、最後まで読み切る。この世界の女性よりも政治や人の心の動きのも聡い。
 特に生い立ちなどを聞いたことがなかったため、ミオさんについて詳しいことは分からないが、娯楽的な本よりも国に関した本を選んで読んでいることから、この世界のことを私の言葉以外からも知ろうとしているのが窺えた。

「なるほど」
「おかげで助かっていますけどね。代々乙女とはそういった存在なんでしょうか」
「それは聞いたことがないな。たぶん個人差だろう」

 この世界は国政に関してはほとんど男性が行うせいか、女性はそういったことに関して学ぶ場所がないのも要因の一つだが。
 それでも彼女はそういったことに関してすぐに理解を示す。だから彼女が乙女だと認められたらどうなるか、その危険性を考えて男として振舞っているのだろう。
 最もここの中だと緊張もある程度とけるのか、女性らしい気遣いなどを見せることもあるが。どちらにしろ、彼女は六代目のようにおいそれと利用されるような人間ではないだろう。
 そこまで理解すると、話を元に戻す。

「話を戻しますが、“本物になる可能性のある者”とはどういう意味なんでしょうか?」
「そのままだな。乙女は言葉を操る者でもある。だから自力で元の世界の言葉を取り戻した時、その女性は乙女として完全に認められることになるということだ」

 言葉を取り戻した時、というところに、はっと気づく。ミオさんはあの時この世界の言葉でない言葉を使っていた。
 それが意味するものは――

「ミオさんは先ほど別の言葉を使いましたよね? それが、貴方がミオさんを本物の“玉の乙女”だと断言する証拠ですか?」

 慎重に尋ねると、彼はそうだ、と軽く頷いた。

 

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