一人で騒いでいる男に、私は軽くぺしんと叩く。
「うるさいっ」
いい加減現実に戻ってくれ。でないと話が全然見えないんだ。それに早く戻ってバイトに行かなければ、私の夕飯のおかずが一品どころか二品、三品と少なってしまう。万年欠食児童の私には死活問題なんだよ!
ここがどこで、どうやったら電車に乗れるのか、さっさと説明しろっての!
「……あ」
「目、覚めた?」
叩かれた頬に手をあてて、男はしばし呆然とした後、私に向かって深々と頭を下げた。
「……このたびは大変申し訳ありませんでした。私、フィデール=アルカ=イルミナードと申します」
深々と頭を下げるフィデール=アルカ=イルミナードと名乗る人。
こんなに長い名前なのにフルネームで名乗るなんて、なかなか律儀な人だ。
「はあ……。あ、私は日月珠生です。んで?」
「本来なら、あなたではなく他の方を呼び出すはずでしたのに、なぜか手違いであなたを呼び出してしまったようで……」
「呼び出す?」
周囲を見回すと以前と違う風景。窓から見える家々は、耐震のための鉄筋コンクリートという感じではなく、いかにもレンガを積み上げて作ったようなもの。
目の前の青年の服装も、日本では見られない――というか、ヨーロッパとかでも着てる人はいないんじゃないかと思うような民族的な衣装。
そして、なにより足元の魔法陣、フィデールの呼び出すという言葉。統合的に考えて――
………………これって異世界召喚?
あはは、まさか。夢だよね。うん。夢だ。
………………あ、やなこと考えちゃった。もしかしたら、階段から落っこちて大怪我して、実は集中治療室……なんてことはないよね? 意識不明で現実逃避のために夢見てる、なんてすごく嫌なんだけど。
今まで適当に考えてたけど、さーっと血の気が引くのが分かる。
「あの、ヒヅキミオさん?」
フィデールが心配そうに覗き込む。
さすが白人男性。私より大きいな。私、女だけど身長あるほうなのに。
「あー、それ全部が名前じゃないから。ええと、この場合、ミオ=ヒヅキのほうがいいのかな。名前が珠生、姓が日月」
「なるほど。ではミオさんでよろしいですか? それともヒヅキさんの方がいいですか?」
「あ、うん。珠生でいいよ」
夢なら夢でどっちでも。
……って、ちがーう! ただの夢ならいいけど、本体が集中治療室は嫌だって。
「あう。痛いのだけはヤダなあ。それに治療費もかかる……集中治療室なんてすごく高そう……今の私に払えるかなぁ?」
「はい? 痛い、ですか? 別に怪我はされてないようですが……」
とぼけている男――この際、夢だから名前なんてどうでもいい。
うん。もし夢だったら、せめて目が覚めた時に美形の夢を見た、くらいに済ませたいものだ。生きていればの話だけど。
……って、思うとまた騒ぎたくなるじゃないかっ。
くわっと、平和そうな男を睨みながら。
「だってこれって夢じゃないの!? 私ここで意識取り戻す前、思い切り階段から落ちたんだよ! となると大怪我して病院にいて、意識不明の重体かもしれないんだよっ!?」
「えと……少々意味が分かりませんが、夢ではありませんよ。私は別の世界からある方を召喚しようとして失敗し、結果あなたを召喚しましったのですが……」
「召喚? やっぱりじゃあ、異世界に呼び出されちゃったってこと!?」
「はい、そうなりますね」
さっきとは逆にパニックになって叫ぶ私に、平然と返事するフィデールと名乗った男。
おいこら。間違って呼び出した割りに態度がでかいぞ。少しずつ心を落ち着かせてから、私はじと目でフィデールを睨んだ。
「あのさ、間違いで違う世界に呼び出されちゃ堪らないんだけど」
「それは……本当に申し訳ないと思ってます」
「本当に?」
「はい。なので、多少時間がかかりますが、あなたを元の世界に戻すことは約束します」
「戻れる!?」
「はい。魔力を溜めるまでと、本物の“玉の乙女”を呼び出さなければならないので、多少お時間を頂きたいんですが……」
時間がかかると聞いてすこし悩む。それから、それでいいと妥協した。今現在、あの生活にちょびっと疲れていたから、多少の骨休めはいいかもしれない。
それに集中治療室で生死が分からない状態より、異世界で元気なほうが絶対いい。
ましてや、戻れるってちゃんと分かってるなら気楽だし。話の流れから、間違ったってことだから、厄介ごとに巻き込まれる可能性は低いだろうし。
と、頭の中で色々計算してみた結果だったが。
「あー…………うん、まあ別にいいよ。時間がかかっても戻れるなら」
「ありがとうございます」
フィデールは私が素直に了承すると、安心したのか嬉しそうな笑みを浮かべる。
うわ、それ反則。かなりいい顔してると思ったけど、笑うと更にいい顔になるよ。なんかお人好しオーラも出てるし。
「では、それまで――」
フィデールが口を開きかけた時、ザワザワとざわめきと数人の足音。
なんだろ?
「しまった……」
「どーしたの?」
フィデールが今度は心の底から嫌そうな表情に変化する。
うーん、なんだろう、と思っていると、先ほどの足音の人たちか、この部屋の中に勝手に入ってくる。
「おい! 成功したんだろうな? フィデール!」
「当然だろう、兄上。それくらいしか役に立たないんだから」
おーい、なんかすごい見下した言いようだな。私こういうの嫌いなんだよね。そういうお前にどれだけの能力があるんだよ、と問いつめたくなる。
口を開こうとした矢先、一番最初に入ってきた男が、私を見てヒステリックな叫びを上げる。
「なんだコイツは!? どこが“玉の乙女”なんだ!!」
「またこれは……。わが弟ながら、ここまで間抜けなことをするとはな」
「これでは殿下の存在価値はなくなりますな」
と、口々にフィデールに対して文句をつける。
話の内容から、派手派手しい恰好の二人がフィデールの兄で、後の三人は付き人なんだろう。
とはいえ、兄弟らしき二人はフィデールと顔が似てないから、腹違いとか血が繋がらない――ってヤツだろうか。
あと気になったのが、お付きがフィデールのことを『殿下』と呼んだこと。
殿下って……あの殿下? 王族とかの?
ってことは、フィデールって何番目かは分からないけど、おうぢさまってことか?
……悪いけど、すっごく意外。
王宮というか、そういう所って権謀術数渦巻くというか……そういうのを相手にするなら、性格悪――訂正、したたかになりそうな気がする。
でも、フィデールは気のいい好青年って感じだから、身分が上の人って感じが全然しない。
逆にさっき入ってきた人たち――特に兄らしき二人――の性格の悪いこと悪いこと。フィデールをネチネチと苛めてる。けど、こういうのって楽しいのかな? 生き生きしているみたいだから、楽しいんだろうけど……なんか嫌な楽しみ方だな。他にいい人生の楽しみ方はないのか。
それにしてもフィデールも言い返さずに黙ったままだし。とにかく兄弟の会話って感じじゃないのは確か。でも、事情を知らない私が助けに入ることはできないんで――いや、遠慮なくド突いていいならド突くけど――仕方なく成り行きを見守る。
それにしても、こいつらの言う“玉の乙女”って、なに?
「……申し訳ありません。アルタール兄上、マルフィール兄上」
「フンッ。下賤な血が入ってる貴様に、兄上呼ばわりされたくわないな!」
「全くだ。父上も何を考えてあんな女に……」
「私の母のことは今は関係ありません!」
静かに聞いていたフィデールが、さすがに母親のことは黙っていられないらしい。
握り締めた拳を震わせながら、同じく震える声で反論するフィデール。その声に二人はそれ以上言うのはやめたみたいだ。
話の内容から分析すると、フィデールには少なくとも兄が二人。でもって、フィデールのお母さんは高貴な血筋の方ではないらしい。
でも絶対に育て方は上の二人より絶対いいと思うな、この場合。
それにしても話を聞いていると、フィデールより私のほうが先に限界に達しそう。これ以上こんな話を聞いていたら、無意識に殴りかかってそうだ。……どうも血の気、多いんだよね、私。
「とにかく、その小僧はどうにかして、一刻も早く本物の“玉の乙女”を呼び出せ!」
「そうだ、そのためにお前はいるのだからな!」
長男らしき男が偉そうに言うと、それに追随するように付け足す次男らしき人物。どうやら二人一組・ワンセットらしい。いや、二人羽織かな。偉そうにしてるんだけど、口ばかりだし一人で何とかしようという気もないらしい。
じーっと見てると、次男(勝手に決定)が私の視線に気付いたのか、いきなりビックリした表情になる。それから更に言い募ろうとしている長男の袖を引っ張って、私が睨んでいることを教える。
すると、二人は怖いものでも見たような顔になり、慌ててフィデールに「とにかく早くしろ」とだけ口早に言った。
「……かしこまりました」
フィデールは見た目丁寧に返事をし、軽く頭を下げる。
それを見て二人は軽く鼻を鳴らし、来た時のように戻っていった。
それにしても、私、そんなに怖い顔してたかね。そりゃ、いい加減その口閉じろ、頭カチ割るぞ、このヤロウ、などと思ってはいたけど。
先程の自分の様子を考えてから、フィデールの方に視線を移す。彼は拳を握りしめたまま、いまだに頭を下げたままだった。
けど、背の低い私には見えてしまった。唇を噛んで堪えているフィデールの姿が。やっぱり内心ものすごく怒ってるんだろうな。それでも形だけでも礼をするのは偉いと思う。
うん。やっぱりフィデールの方が人間が出来てる。怒って出ていく兄達に、それでもその姿が見えなくなるまで礼をしたままだ。私が「居なくなったよ」と告げると、やっと上半身を起こす。
そして、今度は私に謝るのだった。
「申し訳ありませんでした。嫌なところをお見せしてしまいましたね」
「いや、別に。殴りかかりたい心境には駆られたけどね」
「いくらあなたがこの国の民でなくても、あの二人はこの国の王太子殿下と、第二王子ですから、そんなことをしたら王族に対する不敬として処罰されてしまいますよ」
「そりゃ、そうかもしれないけど……何あれ!? フィデールに対する態度悪すぎ!」
そう言って起こると、フィデールから「ありがとうございます」と嫌みのない返事が返ってくる。
「いや、お礼言われてもね。どうして怒らないの?」
「……別にいつものことですから」
本当にそれでいい? だって聞いていれば、いくら身分が低いお母さんでも、あの二人は血の繋がった兄なんでしょ? それなのに、あの言い方はないんじゃないのか。
「まあ。何を言っても変わらないのでしたら、聞き流していた方が楽ですから。この国は身分にうるさいですからね。私の母はこの城に勤める女官でした。父は城勤めしていた母を見て気に入り、私が生まれたわけですが――本来なら側室にさえなれないような身分ですから、形だけでもその存在を認められているだけマシですよ」
「……私がこの国に関して口を出す権利はないけどさ。やっぱり酷いと思うよ。あんなのが次期国王なんていったら、私だったら絶対他の国へと引っ越すね。先が見えてる」
身分とかのしがらみってヤダね。日本は基本的には四民平等だから、あんまりそういうの感じたことない。貧富の差はあれど、謂れのない侮蔑ってのは少ないと思う。
ない、とは言わないけど。
「そう、できたらいいのですが。一応、魔力が高いので王族として認知はされていますから。それがなかったら出ていけるんですが……。母も私など産まなければ、自由だったでしょうに」
どこか遠い目で呟いたフィデールの内容にカチンとくる。
「こらっ、出自は仕方ないとしても、そうやって自分を貶めないの! その言い方じゃあ、お母さんにも失礼だよ」
そりゃ、この世界の避妊とか堕胎とか……そういうのはよくわからないけど、産まないという選択肢が全くない訳じゃないと思う。お母さんの体が心配だけど。それでも産むという選択をしたというのは、フィデールが生まれてくることを望んだからじゃないだろうか。
それなのに、フィデールがそんな言い方をしちゃ駄目だ。
納得いかない顔をしていると、フィデールは困った笑みを浮かべる。
「とりあえず、それは置いておきましょう。今ここで議論しても仕方ないことですから」
「……そうだけど」
「それよりも、先程のように、この国は一刻も早く“玉の乙女”を呼び出そうとしています。なので、あなたを帰すより、そちらの方を優先することになってしまいますが……」
「ああ、別に構わないよ。衣食住くらいは何とかしてくれるでしょ?」
「はい、もちろんです」
衣食住さえしっかりしてればなんとかなるから大丈夫。
私はほっとしたら、さっきから良く出てくる単語が気になった。
「あ、そうそう気になったんだけど、“玉の乙女”ってなに? 本当はそれを呼び出そうとしたんでしょ?」
私はまずは一番気になることから尋ねた。
だってすごく重要な人っぽいもんね。知らずに関わってしまったら、明らかに面倒事になりそうだと思うのよ。