第2章 自覚~思いが通う瞬間-10

 シルフィールは一晩最後にリナの言った言葉を反芻していた。

『人は血筋や家柄のみで動かない』

 その言葉はシルフィールの胸をまたしても射抜いた。
 ここに来てから、人々に望まれているのは良く分かっている。でもそのことに胡坐をかいていなかっただろうか――と今になって気づかされた。
 周囲が望んだのはシルフィール=ランドールというランドール家の養女で、王であるガウリイとつり合いの取れる家柄の娘。特に戦になってもおかしくない状況が控えているため、婚姻、そして次の王位継承者を望んでいるためだ。
 そして、それは王とつり合いの取れる身分の者なら、シルフィールでなくても構わない。
 昔の名前――シルフィール=ネルス=ラーダではありえないことだった。

(わたくしは、わたくし自身が望まれているのだと勘違いしていた……)

 シルフィールはここに来て、人々の心を掴む努力をしただろうか。ガウリイにも気に入られるようにと努力したのだろうか、と考えた。
 何度か考えた結果、すべて『していない』という答えにしか行き着かなかった。
 なら、自分には見せたことのない表情を、リナに見せるのも仕方ないのかもしれない。
 どういういきさつかは分からないが、リナは他国の者のためか、エルメキア五聖家の者に対しても率直な意見を言う。
 ガウリイはそれが気に入ったのかもしれない。
 いくら血筋が良くても、その立場を利用しようとする人はいる。佞臣や奸臣などはどうしても排除することはできないように。
 そんな気を緩めることのできない城内で、駆け引きなどを必要としない相手がいたら、その人を心の拠り所にするのは当然かもしれない。

(わたくし……わたくしは間違っていたのですね……)

 シルフィールは深く頭をたれて、今まで無駄に過ごした時間を悔いた。
 そして、その後ガウリイに望まれるように、周囲の人々にもランドールの娘でなく、シルフィール個人が望まれるように努力をしようと決意する。

 

 ***

 

 次の日は、アメリアを招いての狩猟パーティの予定だった。
 出席者はガウリイを筆頭に、ルーク、ゼルガディス、シルフィール、そしてアメリアの五人のはずだった。
 けれど、アメリアは周りに憚ることなく、リナがいなければ行かないと言った。すでにガウリイにリナと親しいとばれてしまったため、アメリアに隠す気は毛頭ないようだ。
 アメリアのための狩猟パーティだ。主役がいなくては話にならない。
 ゼルガディスはアメリアとリナとの関係は気になったが、問い詰めることなく、リナも狩猟パーティに出席させることにした。
 リナは最初、身内だけのパーティに出席するなど、と断ろうとした。けれど、ゼルガディスに、狩猟パーティなど暗殺者に狙われる可能性が高い、だから護衛のために来て欲しい――と言われて、仕方なく同席することになった。
 リナにとって、不幸にもその日は雲一つないほどの晴天だった。

(これなら雨が降っていきなり中止……なんてことにはならないわね。でもアメリアったら気にし過ぎなのよ)

 リナは馬に乗りながら、そんなことをぶつくさ考えた。
 前回の落馬騒動で、乗馬にしようか馬車を使用するか迷ったが、暗殺者が現れた時に馬で個々に対応したほうがいいと判断した。
 幸いリナも馬に乗れるので、それぞれ自分の馬に乗ると、すぐ近くにある北の森に向かった。

 森に着くと、その後に供としてついてきた者たちが急いで平らな場所にシートを広げた。馬は近くの木に繋ぎ、連れてきた狩猟犬を数等連れて、ガウリイたちは森の中に入っていった。
 もともと狩りは男がするものだ。そのため、アメリア、シルフィール、リナの三人は、共として付いてきた人たちを横目に三人で香茶とお菓子で話し始めた。
 とはいえ、シルフィールは何か他のことを考えているようで会話についていけず、もっぱら話すのはリナとアメリアだ。
 もちろん二人はシルフィールも会話に入れるような内容にするが、シルフィールは二人に対して答えると、後で一瞬考えたような表情をする。そのため、そこで会話が途切れてしまい、どうしても会話がうまく流れないのだ。
 さすがにこれはおかしいと感じて、アメリアがシルフィールに尋ねた。

「シルフィールさんどうしたんですか?」
「え? あ……」
「もしかして体調でも悪いんですか?」
「いえ、あの……少しお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「はい?」

 遠慮しがちに尋ねるシルフィールに、リナは昨夜のことを思い出した。
 昨日の話は、彼女の中で何がどう変わったのかは分からないが、身分だけで満足していた時と違う。それ以上のなにかを望み始めたのだ。
 なにかが変わり始めた――とリナは感じた。

「わたくしは……わたくしは今まで街の診療所で働いていました」
「ええ、それならガウリイさんに聞きました」

 と、アメリアがあっさり答える。
 逆にリナはシルフィールが、前はそんな生活をしていたことに驚いた。シルフィールのお嬢様然は様になっていて、さすが両家のお嬢様、と感じさせるものがあったから。
 そんなリナの動揺には気づかず、シルフィールはさらに続けた。

「普通の身分の方とも気軽に話して、それはそれで楽しかったと思います。けれど、ランドール家の養女になる時、今までの気軽な気持ちは捨てなさいと言われました。もうただの娘というだけはない、と。けれど、アメリアさんは王女であるのに、侍女などにも気軽に声をかけて話をします」
「うちは父からして気軽な雰囲気ですから」

 アメリアの父親であるフィリオネルは、リナのことも勘ぐることなく、ただ、娘の親友という目で見る。だから、アメリアはのびのびと育ったのだろう。
 シルフィールも同じだったようだが、養女になったときから変わってきたのだろう。

「わたくし、分からなくなったんです。王族であっても、色々な人に気軽に話しかけるのはいけないことではないのでは――と。アメリアさんは王家の一員として、どういう風にあるべきだと言われていますか?」

 シルフィールは今までの溜め込んでいたものを吐き出すかのように一息に話した。
 必死な表情から、昨夜リナの言った言葉をきちんと理解し、そして変わろうとしているのが見てとれる。
 アメリアのほうはそんなやり取りがあったことなど知らない。けれど、シルフィールの表情が真剣だったため、アメリアも真面目な表情になって答えた。

「シルフィールさんの話では、わたしとでは生活してきた場所がちょっと違いますね。そうなると一概に言えませんが、シルフィールさんは診療所で働いていた時はどういう風に人と接していましたか?」
「ええと……」
「そして、その時は皆さんシルフィールさんのことをどういう風に見ていました?」

 アメリアもシルフィールの迷いを察したのだろうか、リナが説明する前に彼女なりに考えて、シルフィールに問う。
 シルフィールは昔を思い出しているのか、少し視点を彷徨わせた。

 しばらくして、シルフィールが口を開こうとした瞬間、森のほうから爆音が聞こえ、皆一斉にそちらを向いた。

「まさか……っ!」

 リナはいち早く反応した。いきなりのことでオタオタする従者達を押しのけて森の中へと入っていく。
 その後をアメリアとシルフィールが続いた。それに気づいてリナは振り返る。
 もし暗殺者達とやり合っているのなら、アメリアはともかく、シルフィールには向かないだろう。悪いが反対に人質になる可能性もある。

「シルフィール様は皆と一緒にいてください!」
「――嫌ですっ! わたくしも攻撃魔法はあまり使えませんが、防御と治療系の魔法なら使えます。守ることはできますわ!」
「ですが……」
「わたくしも、心配なのです!」

 シルフィールの一歩も引かないきつい表情に、リナはそれ以上言わなかった。それに防御魔法を使えるのなら、自分の身くらい守れるだろうと判断したからだ。
 三人で木々の合間を走り抜けると、大人数の暗殺者を相手にしているガウリイたちの姿が目に入る。しかも信じられないことに、ゼルガディスが負傷しているのだ。

「ゼル!」
「ゼルガディスさん!」

 剣技では二人に劣るものの、魔法と剣との合わせ技なら、並みのものなど引けをとるものではない。それなのに、足を負傷して、どうやら自分で『治療リカバリィ』をかけているようだった。
 ゼルガディスは大事な戦力だ。
 リナは早く治せるように暗殺者たちに『魔風ディム・ウィン』を放つ。強い風に一瞬怯んだ隙に、アメリアとシルフィールを彼らの元へと走らせた。

 

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