第1章 出会い、そして、再会-15

 ガウリイにとってゼルガディスの言葉は衝撃的だった。
 どこかで望みはあるだろうと思っていたのに、そんなものは欠片もなかった。
 そして、自分の思いを通せばリナが傷つくだけだと知って、体が凍りついた。

「そんな……それじゃ、どうしたら……」

 震える声で小さく呟くガウリイに、ゼルガディスは深いため息をついた。
 自分が引導を渡したとはいえ、ここまで衝撃的だと見ている側も気の毒でならない。どうにかしてやれるものなら、してやりたい気持ちになる。
 ルークも同じなのだろうか、ゼルガディスに縋るような視線で見つめた。

「リナが……ここが、自分の居場所だという思いを与えてやること――とか」
「居場所?」
「先ほどの話は推測でしかないが、もしそうなら、リナは自分の居場所がなかったことになる。あちこち旅をしたいと言ったのも、もしかしたら自分の居場所を探すためかもしれん」

 半分はそうであってほしい、というゼルガディスの願いもあった。
 そうであれば、リナがここにいることにしたのも、ただ単に居場所ができたというだけになる。ガウリイがどうのという邪推をしなくて済む。

「……なるほど」
「なら、 エルメキア城ここが自分の居場所だと、ここにいていいんだと思えるようにしてやることではないかと思うんだ。俺には他に思いつかん」

 ガウリイとルークはゼルガディスの話を聞いて、そうだな、と思った。
 それにしても、リナの調書は思ったより重く、三人はなんともいえない気持ちだ。
 あそこでガウリイと出会わなければ、旅を重ね、いつか想い人ができて自分の居場所を作ることができたかもしれない。
 けれど、ガウリイと出会ってここへ連れてこられた以上、何かの厄介事に巻き込まれるかもしれないのだ。
 あの日、城に戻った時、ガウリイがリナを連れている状態を目にした者は多く、エルメキア王に縁の者だと思っている人は多いに違いない。
 そして、今暗殺者に狙われているガウリイにすれば、ともすればリナが人質などに使われる可能性もある。
 ガウリイは自分のしたことを思い出して、今頃になって悔いていた。

「連れて……連れてこないほうが良かったんだな」
「さあ、な。それは分からん」
「また無責任な……」
「仕方あるまい。どんな状況でも本人が幸せだと思えば幸せなんだ。いくら贅の限りを尽くしても幸せだと思わなければ意味がない」

 幸せの定義など人それぞれだ。リナの幸せはリナにしか分からない。
 ゼルガディスはもうひとつの可能性を封じるために、それをガウリイに遠まわしに言う。

「お前が権力を振りかざして潰してしまう可能性もあるのだということだ。そのためにも、自重して欲しいと思う」
「……分かった」

 ガウリイは頷かざるを得なかった。
 その後、三人は気まずい雰囲気で酒を飲み干し、夜が更けてからそれぞれ眠りについた。

 

 ***

 

 問題の日から数日、ガウリイはリナのためだと思うと、無理を言わなくなった。それよりも、自制心が効かなかったらどうしようかと悩み、なるべく自分から距離を取るよう心がけた。
 リナはガウリイの態度が変わったのはゼルガディスが何か言ったせいだと察した。
 けれどここにいる以上、ガウリイと線を引いたほうがいいと思い、ゼルガディスに尋ねなかった。
 リナにとってあの時の温もりは信じられないほど心地よいものだったが、それは自分の手に入るものではないと自覚したせいかもしれない。
 あれはエルメキアの正妃になる女性が手に入れるものだ、と。

 それでも、リナはエルメキア城で自分の居場所をなんとか確保しつつあった。
 ガウリイの側にいる時はゼルガディスかルークがいる時のみにし、会話もどちらかというとガウリイより側近である二人との方が多い。ガウリイに接する時は常に臣下としての立場で対応した。
 それにリナ一人でガウリイの私室を訪れることも、ガウリイがリナの部屋を訪れることもないため、その後、変な噂が立つことはなかった。
 周囲から見るリナの立場はガウリイの側近というよりも、側近であるゼルガディスとルークの補佐という感じだ。

「リナ」
「どうしたの? ゼル」
「リナは今日忙しいか?」
「いいえ。特にこれといってないわ」
「そうか、今日はランドールからある女性が来るのだが、彼女の相手をしてほしいんだ」
「ランドール……五聖家のうちの一つね」

 リナはエルメキアの五聖家の名を頭に浮かべた。
 ガウリイの家のガブリエフ家、ゼルガディスのグレイワーズ家、ルークのラングフォード家、そして、前王のブライアース家。ランドール家は今まで名前だけしか聞いたことのなかった。
 確かあそこには王になるのに丁度いい人がいないと言っていたはずだが、娘ならいるのだろうか、とリナは考えた。

「ああ。女性の名はシルフィールという」
「シルフィール?」
「シルフィールは現当主であるデビット=ランドールの姪なんだ」
「そう」
「当主は子ができないらしく、どうやら最近シルフィールを養女に迎えたらしい。彼女をガウリイの相手にと望んでいるようだ」
「……そ、そう」

 ガウリイの相手に――そう聞いた時、リナは動揺した。
 ゼルガディスが二人の間に距離を置かせたのが災いし、反対にリナは自分の気持ちを客観的に見てしまったていた。
 最初は流されるままだったけれど、どうしてガウリイにはあんなことを許してしまえるのか?
 あれこれ考えて、なんてことはない、ガウリイに惹かれていることに気づいた。
 そう気づいてしまった。ガウリイに対して異性への淡い想いを持ち始めたことを。
 けれどそれは悟られてはいけないものだ。ここにいたいのなら、誰にも――特にゼルガディスには悟られてはならない。
 リナは心を押し隠して、ゼルガディスにどうしたらいいのかと尋ねた。

「そうだな……とりあえず何を、というわけではないが、当分の間城に滞在するらしい。彼女が退屈しないよう、話し相手になってやってほしい」
「分かったわ」

 リナは頷くと、持っていた資料を置きに行くから、と言ってゼルガディスの前から消えた。
 リナは頭が良かったため、ゼルガディスはその点ではとてもいい拾いものだった。
 ただ、ガウリイとのことを考えると頭が痛くなったが、それもガウリイが我慢しているため、現在のところ問題はなく済んでいた。

 

 ***

 

 お昼を過ぎると、豪華な馬車が城の入り口に辿りついた。どうやらゼルガディスが言っていたシルフィールが来たらしい。
 ゼルガディスについてリナは迎えに行くと、馬車の中から黒い長い髪の美しい女性が静かに登場した。

「お久しぶりです。ゼルガディスさん」
「久しぶりだな。シルフィール」

 二人は知り合いらしく、気軽に挨拶を交わした。
 リナの目から見るシルフィールは、ずっと憧れ続けたさらさらの黒髪に、そして黒い瞳。整った顔立ちで、美しい大人の女性に見えた。
 こんなにきれいな人だから、ガウリイもきっと彼女のことを好きになるだろう――そと思うと、リナの胸はちくちくと痛んだ。

「ああ、シルフィール。紹介しよう。今俺たちの手伝いをしてくれているリナだ」
「リナ=インバースと申します。よろしくお願いします」
「リナさん……でよろしいかしら? よろしくお願いしますわ」

 突然話しを振られたリナは、慌ててシルフィールにおじぎをした。
 リナに向かって微笑むシルフィールは優しいお姉さんのように思えた。

「それでは中に行こうか。ちょうどガウリイも一休みをしたい頃だろう」
「はい」
「シルフィールはガウリイと直接会ったことはなかったな」
「ええ。だから初めてお会いすることになりますわ。とても綺麗な方とかで、わたくしとても楽しみにしているんです」
「……そうか。では行こうか」

 ゼルガディスはシルフィールの手を取ると城の中へと足を向ける。
 シルフィールがつられて一歩を踏み出すと、つけている香水の香りか、微かに甘い花の香りがリナの鼻腔をくすぐった。微かに衣擦れの音がして、艶やかな細い絹のような髪がリナの前を通り過ぎる。
 ただそれだけなのに、なぜかリナの胸は小さく痛んだ。

 ゼルガディスがシルフィールとリナを連れて執務室にたどり着いた時、彼の読み通り、ガウリイは書類に目を通すのに飽きて、執務室のソファで横になっていた。
 ルークがガウリイに向かって苦情を言っているが、ガウリイは聞く耳持たずといった雰囲気だ。ルークがわざとらしく大きなため息をつくが、ガウリイはぜんぜん堪えていない。
 同盟の後、表立った動きはない。が、ライゼールがいつ動きだすか分からないため、なるべくできることは早めに対処しておきたいというのが、ゼルガディスの考えだ。
 そのため国内の細かい政の予算案、予定表、決済を求める書類などがこの部屋にたくさん集まってくる。ガウリイはそれらに目を通さなければならなかった。
 しかし、もともと考えることが苦手な彼が、執務室にこもって書類と睨めっこなど続くわけがない。
 今日も昼食を終えて一時間でガウリイのやる気はどんどん失速していった。時間は午後の一休みをするには早かったが、まず一息ついてガウリイのやる気を取り戻すことが先決だとルークは考えた。
 ルークはベルを鳴らし女官を呼ぶと香茶の用意をするよう言い伝える。
 それと同時に、ランドールのシルフィールが城に着いたことを伝えられた。ルークは指を折って人数を数え、この執務室に入るだろう人数分の香茶と茶菓子を頼んだ。

 女官が香茶を運んでくるのと、ゼルガディスがシルフィールとリナを連れてきたのは、時間的にあまり差はなかった。
 ちょうど女官が下がった後、三人が入ってきた。ガウリイは起き上がり、同じ五聖家に連なるシルフィールに挨拶した。
 シルフィールもガウリイの姿を見てほんのり頬を染めながら、淑女として完璧な挨拶を交わす。
 リナはそれを横目に蒸らしていた香茶を入れると、ガウリイ、シルフィールと順に置いていく。室内には香茶の香りが漂い、ここが執務室であることを忘れ談笑を始めた。
 ガウリイとシルフィールは初対面ながら、同じ五聖家のものとして同じ話を共有できた。ゼルガディスもルークもそれにのって楽しげに話しに加わわった。話は主に昔のことや、即位に関しての話だった。
 けれど、リナ一人だけその話は分からずに、ただ黙って聞くしかなかった。香茶の入ったカップを両手で持ち、軽く揺らしながら香茶が揺れるのを眺める。
 その間もシルフィールがガウリイのことを『ガウリイ様』というのを聞いて、また胸がちくんと痛んだ。

(ガウリイ様……か。様をつけても、まだ名前で呼べるだけいいわよね)

 今ではしっかりリナの中に定着したガウリイの呼び方、『陛下』。それはここに居たいのなら、決して他の呼び方に変えてはならない。
 胸のざわつきはいっそう高まり、同じ部屋にいるのが息苦しく感じた。
 だいたい五聖家の者の集まりなのに、なぜ自分はここにいるのだろう、とリナは苛つきながら考えた。
 一旦そう考えるとその思いは膨らみ、リナは残りの香茶をぐいっと飲み干すと、女官が持ってきたワゴンの上に置いた。カチャリという音を聞いて、ガウリイたちはやっとリナの存在に気づいた。

「談笑中、申し訳ありません。用がありますので、下がらせていただきます」
「リナ……」
「御用の際は、ベルを鳴らして他の者をお呼びくださいませ」

 リナは形どおりの礼をすると、逃げるように執務室をあとにした。

 

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