「あの……いい加減離してくれないかしら? ってか、あのタオル取ってくれればいいんだけど」
いつまで経っても離さないガウリイに、リナはもじもじしながら、ガウリイの後ろを指差した。
タオルはそのままの体勢でも、ガウリイが手を伸ばせば届く範囲にある。
「ああ、すまん」
ガウリイはタオルを取ってリナに渡した。リナが受け取り、体を隠し始めると、遠慮してかゆっくりと後ろを向いた。
リナはそのタオルを体に巻きつけると、ガウリイのそのままそっちを向いていてと言い、素早く服が置いてある場所まで向かう。
体の水分をしっかりふき取るよりも、見られないようにと慌てて服を着込んだ。
***
ガウリイは衣擦れの音を聞きながら、なにか話さなくてはと思った。
なによりセラフィーナに似ている少女をこのまま手放したくはない。
「なあ……」
「なに?」
返ってきたのは敬語なしの簡潔な言葉だった。動転して、ガウリイがエルメキアの王だということを忘れているのか。
それとも敬語なしで話ができるような環境にいたのか、どちらか分からないが、敬語なしの普通の会話は、ガウリイの心の渇きを急速に潤していった。
「お前さん、ゼフィーリアの人か?」
「……そうよ。どうして?」
「あー……お前さんの赤い瞳が……えと、ゼフィーリアって赤い瞳が多いんだろう?」
「そんなに多くはないわね。ただ他の国に比べたら多いわよ」
リナは服を着るのに夢中で、ガウリイの質問の意図など考えずにありのまま答えている。
ガウリイは反対に、赤い瞳はゼフィーリアでも少ないのか、と改めて思った。しかしそれを表面に出さずに、更に深く尋ねる。
この質問の仕方をゼルガディスあたりが聞いていたら、ガウリイもやればできるのか、と賞賛しそうだが、そこは興味のある人物だからという理由で彼の能力は限定されている。政治的に使えないのが残念だ。
「少ないのか?」
「まあ、ね。王族に近い者のほうが多いけど……」
「王族、か」
確認するように呟いたガウリイの声で、リナの雰囲気が変わった。
どうやら踏み込みすぎたのか、それとも冷静になって警戒心がでてきたのか。これ以上踏み込むのは良くないと判断した。
リナが、ゼフィーリア女王とどういう関係にあるか分からないが、瓜二つの容姿に、そしてゼフィーリアに特徴的な赤い瞳――まったく無関係ではないだろう。
けれど、リナの警戒状態から、あまり知られたくないことなのだろうと察した。「あのね、でも……!」という慌てたリナの声からも十分わかる。
ガウリイは、リナの警戒心など気づいてないような笑顔を見せて。
「綺麗な赤い瞳だよな、お前さんの目」
と、笑顔を向ける。そこには、リナがゼフィーリアの王族に関係あるかどうかという探るようなモノは見せない。
ガウリイの笑顔を見て、リナは少し安堵したようだった。緊張していた顔が緩んでいく。
「そ、そう? 確かにあたしの家系では、珍しく綺麗な赤だって褒められるのよね」
「だよなあ。まるでルビーみたいだ」
「……ほ、褒めてくれてありがとう……」
純粋に賞賛の眼差しで見ると、リナは頬を染めながら答える。どうやら、リナは褒められるということにも慣れていないようだ。
とはいえ、よくうまく立ち回れるよなあ、とガウリイは心のうちで自分に感心していた。普段の彼なら、ここまで頭を使って相手との会話に駆け引きを用いない。
でも、そこまでしてリナとの会話を引き伸ばし、近くにいたいと思う。そこで、自分の状態を思い出し、わざとらしくくしゃみをしてみせた。
「……っしゅん!」
「風邪?」
一瞬、顔をしかめたリナに、ガウリイは少し呆れて。
「あのな、いくら暖かくなったとはいえ、ずぶ濡れの格好のままいたら、くしゃみの一つも出るぞ」
「あ、そうだったわね。……って、乙女の入浴タイムを邪魔した罰よ」
「乙女って……どこにこんな真昼間から川で水浴びしてるのがいるんだよ……」
エルメキアは割りと治安はいいほうだが、昼間から若い女性が裸で水浴びするのは、やはり危険だ。
「うっさいわね。とりあえず火をおこしてあげるから、そこから出て服を乾かしなさいよ。ほら、タオルとマントも貸してあげるわ」
ガウリイは言われたとおり川から出ると、リナからタオルとマントを受け取った。濡れた服を脱いでマントを腰に巻きつける。服はそのまま豪快に絞って水分を切る。
リナはその間、落ちている枯れ葉と小枝を集めて、魔法を使って火をおこした。火が大きくなって安定すると、ガウリイは近くの岩に水分を切った服を伸ばして乾かし始めた。
王族がこんなことをするのが珍しいのか、気づくとリナがじっと見ていた。ガウリイはもともと大雑把な性格だ。
彼にすると、ごく普通のことをしているだけだったのだが。
「ん、どした?」
「べ、別に……。なんか、アンタって本当はエルメキア王のそっくりさん? って思っただけ」
「えーと……一応ホンモノなんだけどな」
やはり大雑把な行動が王族らしくなかったのか……とガウリイは小さくため息をついた。
目の前にいるガウリイは、その容姿はともかく、野宿や旅に慣れている普通の人だとリナは思う。
でも目の前にいるのは、エルメキアの王なのだ。
それは同盟を結んだ時に相手をしたリナが良く知っている。こんなに目を惹く人を忘れるわけがない。
しかしいったん砕けた口調で話してしまったため、いきなり敬語になるのは変だろうと思ってそのままの口調で話した。どうせこのときだけの関係だ。
(とはいえ服が乾くまで動かなさそうね……)
ずぶ濡れの彼をそのままにして、はいさよならはできない。仕方なく火を挟んでガウリイと向かいになる場所に座る。ガウリイはどかっと胡坐をかいて座っていたが、リナは居心地悪そうに小さく座った。
何か話したほうがいいんだろうかと思うけど、何を話していいのか分からない。下手に話せば、ガウリイが王だと分かっているのにぞんざいな口をきいたとか、文句を言われそうな気がした。
しかしそれで間が持てるわけがない。沈黙が続いた後、ふと、急に騒いだせいか、お腹が空いたと思った。
リナは麻の袋から携帯の食料を取り出した。荒い小麦粉を卵とバターで練って厚くて固く焼いたもので、よく噛むせいか一つ食べるだけでも満足できる。この世界で旅をする人なら常食として誰もが持ち歩いているものだ。
それを割って口に放り込もうとした瞬間、運悪くガウリイの視線に気づいてしまう。
内心、見るな、と思いつつ、かといって面と向かって言えるわけもなく、リナは少し恨みがましい目でガウリイを見る。
するとガウリイのほうはリナの視線なの気にならないのか、「うまそうだな」と暢気な口調で返ってくる。
「携帯食だからそんなに美味しくないわよ」
「でもオレ腹減ってんだ。うまそうだなぁ」
「ふーん……でもちょうど一つしかないから」
「くれないのか?」
見ると、ガウリイのくれーくれーというオーラが滲み出ている。敵も去るもの、一筋縄ではいかないようだ。でも、その態度がリナの気に障る。
ガウリイは名家の生まれで物に関しては不自由なく育っただろう。自分が欲しいといえばくれるものだと思っているところがあるのかもしれない。きっと不自由なく、何でも与えられて育ったのだろう、と。
それはリナの邪推なのだが、制限されて育ったリナには、ガウリイの気軽な態度がそう見えた。
リナはふつふつと湧き出てくる怒りを抑えるために、一つため息をついてから。
「……くれないのか? じゃなくて、欲しいなら『ください』でしょう? それに何か得たい場合は、お金が必要なのよ。そうよ、金よ金!」
少し大げさに言ってみると、ガウリイはあっさりと。
「ください。あ、悪い! 金はすぐに払えないけど。でも、あとでちゃんと渡すし……!」
「…………あーもう、分かったわよ! あげればいいんでしょう!?」
邪気のない笑顔で素直に『ください』と言われれば、あげないわけにはいかない。
仕方なく、リナは割った携帯食の片方をガウリイに手渡した。
ずいぶん偉そうなことを言っている自覚があったが、ガウリイは特に気にする風でもなく、笑顔で言われたとおり『ください』と言った。
なんでも与えられてきたのではなく、ガウリイの性格が素直なんだろう、と推測できた。こうなると変に邪推した自分に対して嫌な気持ちになる。
それをガウリイに責任転嫁しながら、これが王だからと偉そうなやつだったら、しばき倒して立ち去ることもできるに……とブツブツと小さな声でぼやいた。
「あ、そういえばお前さんの名前は?」
「は?」
「だから名前。お前さん、オレのことは知っているみたいだけど、オレお前さんの名前知らないし」
「別に……服が乾いたらさよならするんだから必要ないでしょ。『お前さん』とか『あんた』でいいわよ」
別にガウリイのことが嫌いではない。だけど一介の旅人がその国の王と仲良くできるわけがない。
いや無理だ。だったら深入りしないほうがいい。
リナはガウリイの視線から目をそらし、焚き火に小枝を足すためにてを伸ばした。けれど伸ばした手をガウリイに取られてしまう。
「お前さんの名前が知りたいんだ」
ガウリイの表情は真剣で、握られた腕はびくともしない。
穏やかな性格の人だと思っていたけれど、このような強引な面もあるのか、と戸惑う。
「はな……してよ……」
「名前を教えてくれたら放す」
「き、聞いてもしょうがないでしょう? だから放して」
「嫌だ」
まっすぐ自分を射抜く視線が痛い。この視線から逃げたいのに逃げられない。
掴まれた腕は鉛の枷を嵌められたかのように、びくともしないのだ。
「リナ……よ。リナ=インバース!」
リナはガウリイから感じる重圧に耐え切れず、自分の名を叫んだ。