春先とはいえまだ寒い日が続く中、エルメキア王であるガウリイはゼフィーリア領を訪れた。
ここでまず説明をしておくが、エルメキアは十八の領地に分かれ、各領主がそれぞれまとめている。そのほかに貴族と呼ばれるもの、そして建国者の血を引いた十八の名家がある。
五つの名家は『五聖家』と呼ばれ、王、またはその側近を配する家柄だった。
エルメキアの王位はその五聖家の中で、もっとも相応しいものが王位を継ぎ、また他家はそれを支えるという役割を担っていた。
前王であるコンラッド=ブライアースが亡くなった時、ブライアース家には王位を継ぐのに相応しい人物がいなかったため、ブライアースを抜かしたガブリエフ、グレイワーズ、ラングフォード、ランドールの四家から選ばれることになった。
その中で王の地位に相応しいのは、ガブリエフ家の長子であるガウリイではないかと話が進み、彼は二十二歳の若さで王位に就くことになる。
その周囲を、グレイワーズ家のゼルガディス、ラングフォード家のルークが補佐する形になった。
そしてその二年後、ゼフィーリアと同盟を結ぶため、王自らゼフィーリアに赴いた。
この同盟を結ぶのに王自ら出向いたのは、聖地であるゼフィーリアに敬意を払う意味と、その向こうにあるライゼールに対して牽制の意味が含まれていた。
国境でゼフィーリアの貴族に迎えられたあと、彼らは王都ゼフィール・シティまで馬を走らせた。
小国と王都がエルメキア寄りということで、ガウリイたちは国境を越えてから、夕方までにはゼフィーリア城にたどり着く。
赤いじゅうたんが敷かれた階段を上りきると、若きゼフィーリア女王セラフィーナが待っていた。
噂どおり艶やかな漆黒の髪、そして赤の竜神と同じ色の赤い瞳で、一目瞭然で彼女がゼフィーリア女王だと分かった。
セラフィーナもガウリイと同じ頃に即位したが、その姿からまだ少女といえる。それでも彼女が女王として問題なくいるのは、やはりゼフィーリア王家が国民から愛されている証拠といえよう。
彼女は若いながら女王としての威厳を持ち、堂々とした態度でガウリイたちを迎えた。
「このたびは我がゼフィーリアの願いをお聞きくださりありがとうございます」
女王セラフィーナの高い声があたりに響く。その後恭しくガウリイに礼をする。
ガウリイも「女王自らのお出迎えをありがたく思います」と返した。
金色の長い髪に彫刻のような顔立ちの美丈夫が、小さなかわいらしい女王に礼をするさまは、周りの者たちを魅了させるのに十分だった。
その後は城の奥に入り、用意された宴席で彼らは夕食を頂いた。
***
「セラフィーナ女王」
「あら……、陛下、どうしたんでしょうか?」
宴も酣の頃、席を立ったセラフィーナを追うようにガウリイも席を立った。そして庭園へと出て行こうとしたセラフィーナに声をかけたのだった。
彼女はエルメキアにゼフィーリアのほうから助力を願い出たためか、ガウリイのことを『陛下』と呼んだ。それに対してガウリイは微かに眉をひそめた。同じ立場の人間なのに、目上に対する態度は嬉しくなかった。
「そんな堅苦しい呼び方をされなくても」
「でも、わが国は貴国のおかげでライゼールの手から守れそうです。ですから敬意をこめて陛下とお呼びしたのですわ」
にっこりと邪気の無い笑みを浮かべられ、ガウリイは苦笑した。
「貴女はそう思うかもしれませんが、私も貴女も同じ立場。ならどちらが上かなどという考え方は必要ないでしょう」
「そうでしょうか?」
「私はそう思います」
それでなくても王位についた時からガウリイは名で呼ばれることがほとんどなくなった。せめて同じ立場の人には名で呼んでもらいたいと思っても仕方ないだろう。
ましてやガウリイは目の前の女性――実際は少女と言ったほうが合っている――になぜか惹かれる。
(あ、そうか、目だ! 意志の強い目。この人は女王だからか、他の女のように媚びるところがないんだ)
ガウリイの周りにいる女性といえば、彼の相手になるようにと媚びる女性が多い。媚びるというか、よく見られたいがために不自然なのだ。
王相手なのだから仕方ないのかもしれないが、同じ『陛下』と呼ぶのにも、彼女たちとセラフィーナを比べるとまるきり違う言葉を聴いているように聞こえた。
「どうか、私のことはガウリイとお呼びしてください」
「そうですか。――では、そう呼ばせて頂きます。わたくしのこともセラフィーナとお呼びください」
「ええ、セラフィーナ」
ガウリイとセラフィーナでは身長が頭ひとつ分以上に違う。その差を埋めるかのように、ガウリイは前屈みになってセラフィーナの目を見つめた。
その赤い瞳は希少価値の高いルビーの更に貴重なピジョンブラッドのようで、ずっと見つめていたい気持ちになる。
反対にセラフィーナはガウリイの澄んだ青い空のような瞳で見つめられて、頬が朱に染まった。
「あの……どうしてそんなに見るんですか?」
「あ、申し訳ない。とても綺麗な瞳だったので……」
「そうでしょうか」
「ゼフィーリア王家は黒髪に赤い瞳だと言うけれど、ここまで綺麗な色とは思わなかったので」
「それは……褒めて頂いたと取ってよろしいのかしら?」
「もちろんですよ。ずっと見ていたいくらいだ」
「……」
セラフィーナはガウリイにそんなことを言われて、どう返事をしていいのか困った。
彼女から見れば、ガウリイのほうこそセラフィーナの周りにいる者達よりも綺麗だと思う。ゼフィーリアにない色を纏った彼は、セラフィーナにとっても印象的だ。
そんな相手に見つめられれば、恥ずかしくなる。
「そ、そんな風に言われると恥ずかしいですわね。それより席を外してよろしかったのかしら? それに春と言えどまだまだ寒いですし、戻られたほうがよろしいのでは」
「そういえばそうですね。上着も羽織らないまま出てきてしまいましたし。でも、戻るなら貴女も戻らなくては」
少しでも側にいたいという気持ちのせいか、ガウリイは一緒に戻るよう、セラフィーナに促す。
けれど、セラフィーナは少し表情を曇らせながら。
「すみません。わたくしはもう休まなければなりませんの」
「もう……ですか? 夜はまだ長いのに」
「ええ、あまり体が丈夫ではないので、医者にも無理をするなと言われていますの。いい加減、あれは駄目、これも駄目だとうるさいのですが……と、すみません。愚痴をこぼしてしまいましたわ」
セラフィーナの話を聞いて、そういえばゼフィーリア女王はなにやら病に臥せっていると聞いたことを思い出した。
だいぶ回復したと聞いたが、元々虚弱体質だったのか――
「いえ、気にしないでください。顔色は良さそうだけれど、それなら休まれたほうがいいですね」
「えと……あの、ガウリイ?」
ついいつも普通の人と接するように気安くセラフィーナに触れてしまう。
額に手をやり熱がないか確かめた時点で、ガウリイは自分のしていることに気づいた。
「あ、これは失礼をっ」
「……っつぅ」
慌てて手を戻そうとして、彼女の髪に袖のボタンが引っかかってしまう。
痛かったのかセラフィーナは目を瞑った。
「申し訳ない! すぐに取りますので――」
痛くないように手を戻すと、もう片方の手でボタンに引っかかった髪を丁寧に外した。その間、彼女の可愛らしい耳が見えて、ガウリイは心臓の鼓動が聞こえるようだった。
震える手で何とか髪を外した後、ついいたずら心で、彼女の耳にしているピアスをそっと気づかれないように外した。彼女と同じ瞳のその石を手に入れたくなってしまったせいだろう。普段ならこのような行いは決してしないのに、ガウリイは彼女との思い出の品を欲した。
彼女のピアスは、女王が身につけるに相応しくない小さな金細工に赤い石が飾られているもので、それが逆に印象的だった。
セラフィーナはそれに気づかずに、礼を言うと一歩後ずさった。
「それでは明日、会談のときに」
「はい。また明日。それではお先に失礼します」
「良い夢を――」
セラフィーナはガウリイに礼をすると踵を返して離れのほうに向かった。
ガウリイは彼女の姿が消えるのを待ってから、宴席に戻ったのだった。