――溜め込むのは良くないよ、リナ。
次に起きた時にはガウリイにちゃんと自分の気持ちを口にしてごらん。
ガウリイのこと好きなんだろ? ちゃんと言葉にしたら、ガウリイも喜ぶよ。
ふわふわとその言葉を反芻しつつ、リナの意識は覚醒した。
半分ぼーっとした頭を上げると、一枚の紙がリナの前に置かれていた。
『楽しませてもらったから、そろそろ退散するよ。 アルベルト』
短い手紙の内容を見て、リナは周囲を見回した。
すると店のおばさんが出てきて、「やっと起きたかい?」と尋ねる。
「あの、あたしと一緒にいた人たちは?」
「ああ、あの人たちならあんたが寝て少ししたら、私にあんたを頼んでいって出ていったよ。お代もきっちりもらってあるから安心おし」
「そう……。あの二人、どこに行くとか言ってなかった?」
「そうだねえ……なんか仕事を探すとか、ゼフィーリアがどうのとか言ってたねぇ」
「そ、そう。ありがとう」
意識がなくなる前のアルベルトの優しい声。あれは決して夢なんかじゃない。けれど。
(どー考えても傭兵仲間を引き連れて、うちに殴りこみ――って感じよね)
リナは頬に一筋の汗を流しながら心の中で呟いた。
アルベルトは思うだけ自分たちをからかって本心を暴き出した。そして、その後はガウリイや自分に怒鳴られないうちに退散したのだろう。
まあ退散などしなくても、あの性格ではしっかり返り討ちしそうだが、一応引いてくれたに違いない。
けれども、そこで終わらないのがアルベルトだ。
きっと組合でガウリイを知る傭兵仲間を集めて、自分たちの様子を見に大挙して現れるに違いない。楽しそうな顔をして。
アルベルトの考えが読めてしまう辺り、自分も似たような性格かもしれない、とリナは少し複雑な気分になった。
「ま、その時は思いっきり見せつけてやるんだから!!」
リナは拳をぎゅっと握ると、やっとガウリイがいないことに気づいた。
周囲を見回してもガウリイの姿は見えない。
(まさか、あのまま固まってる……なんてことないわよね? もうお昼だし……でもそうだとしたら、どこへ行ったのかしら?)
今朝、思い切りガウリイに叩きつけた三行半――いや、三行半は夫から妻に向けるものだからある意味違うのだが――もしかしてそれを真に受けて出て行ってしまったとか……?
リナはそこまで考えて、急に不安になった。
ガタンと勢いよく立ち上がると、酔いが残っているのか少しふらついた。けれどそんなことは気にせずに、階段を一気に三階まで駆け上る。
そして、廊下の奥に佇む影を見つけた。
「ガウ、リイ……?」
リナの呟きに反応して、その影――ガウリイはピクリと動く。
視線をリナのほうに向けると、その顔に安堵の表情が浮かんだ。
「…………リナ?」
「馬鹿ねぇ。あんたずっとそこにいたの?」
「う……それは……」
リナはてくてくと歩いてガウリイに近づく。
ガウリイは照れくさそうな、でも朝リナに言われたことがショックで立ち直れていないような、複雑な表情をしている。
ちょっと気の毒だったかなーとリナは心の中で思う。考えてみれば、いくら酒に酔った勢いとはいえ、リナのことを想っていなければ、ガウリイがあんなことをするはずがない。
でも朝はアルベルトに対して苛ついていた分、そんなことを考える余裕までなかった。
「悪かったわ。一方的にあんたを悪く言って」
「リナ?」
「考えてみれば、アルベルトの策略にはまっちゃってたのよねぇ」
「どういうことだ?」
訳が分からない、といった表情で尋ねるガウリイに、リナは『本当にくらげなんだから』と呟く。
そして。
「あのね。あんたはあいつらと三人で飲んだ後、あたしの部屋を訪ねてきたのよ」
「え?」
「はっきりいって、『なにこいつ?』と思ったわね。あんな夜中に女の子の部屋に来るし、来たら来たでよくわからないことをブツブツ言い訳してるし……」
ここでいったん切って、ガウリイの顔を見るリナ。
怒っているのだと思って、ガウリイの顔は更に崩れていく。
「あんた、その後あたしになんて言ったか覚えてる?」
ガウリイは青い顔をしながら口をきゅっと結んだ後、弱々しく「覚えてない」と答える。
リナは腰に手をあてて、呆れた顔で「やっぱりね」とため息とともに吐き出した。
「オレ、なんて言ったんだ?」
「聞きたいの?」
リナは少し意地悪そうな顔でガウリイに尋ねた。
ガウリイはその様子に少し後ずさる。今すぐ逃げたい心境、というところだろうか。
リナのほうは本当なら自分の口から真実を語るのではなく、ガウリイの口から本音が聞きたいのだが、ガウリイはまったくそのことに気づく様子もなく、ただ審判の時を待っている。
リナはもう一度ため息をついた後、今度ははっきりと口にした。
「いい? あんたは、あたしのことが、好きって言ったのよ。しかも、あろうことかききき……キスまでしてっ」
本当ならもっと冷静に大人の女ぶって言いたいけれど、リナにはできなかった。
少しどもりながら言うと、ガウリイの顔は少ししてから急に赤く染まった。
***
ガウリイは見捨てられたと思っていた。
いつもなら、少しすれば『いい加減早くしなさいよ。ホントにくらげなんだから』と言いつつ迎えに来てくれる少女は、いつまで経っても来なかった。
ただそれだけで絶望の淵に立ったような気持ちになっているところに、ようやく少女から声をかけてもらった。
それだけでも、まだ完全に見捨てられてはいなかったんだという希望と、それでも睨みつけるように自分がした何かを問いただす瞳に、ガウリイはどうしていいのか分からなかった。
だから、とてもじゃないが信じられなかった。
少し頬を染めて、どもりながら言った内容に。
「いい? あんたは、あたしのことが、好きって言ったのよ。しかも、あろうことかききき……キスまでして」
「オレ、そんなこと言ったのか?」
「言ったわよ! 酔いに任せて!」
リナは大声で答える。
『酔いに任せて』と言ったところで、ガウリイは「違う!」と更に大きな声で返した。
「何が違うのよ? あんた酔ってたでしょ? なんにも覚えてなかったでしょ? 酔って簡単に言えるようなことだったんでしょ?」
「う……それは……確かに覚えてなかったけど……でも簡単にじゃない! 酔って勢いで言ったんじゃない!」
「じゃあ、なんで言ったのよ!?」
ガウリイが説明しようとしても、リナは疑問に思うところを突いてくる。
でもガウリイにしてみれば、酔ったからこそ言えた本音だった。
それにしてもガウリイは昨夜見た夢は、夢でなく現実だったんだと改めて思った。
ガウリイが見た夢――それは、やっとの思いでリナに告白して、さらにその後、キスまでしてしまった――というものだった。
目が覚めた時、夢でも思いを打ち明けられて、なんとなくすっきりした気分だったが、まさかあれが現実だったとは。
甘い甘い夢だと思っていたのに。
「ちょっと聞いてるの? なんで言ったのよ!?」
リナの怒鳴り声でガウリイは現実に戻った。
そして、昨夜はアルベルトとヒューに飲まされて、いつも抑えていた気持ちが暴走してしまったんだと告げた。
「だから……だからリナに好きだって言ったのも、確かに酒の勢いがあったから言えたってのもあるけど、でも、ずっと言いたかった気持ちだったんだっ!」
一気に捲くし立てると、ここで一息つく。
そして。
「リナが、好きだ」
それはまるで少年が好きな女の子に告白するかのように、真っ直ぐな言葉と想い。
リナはやっと笑顔になって。
「よし!」
と一言だけ言った。
言い切ったガウリイのほうは心臓がばくばくとうるさい。
ガウリイにとって、こんなに精神と体力をすり潰してしまう告白なんて初めてだった。