今日、ガウリイとリナが泊まる部屋は三階の一番奥から二つ取った。
ガウリイは手前の部屋だったが、途中で行き過ぎたと思い、後ろを振り返ろうとしたとき、そこにリナの部屋の扉が目に入った。気がつくと夜中だというのにリナの部屋の扉を叩いていた。
たぶん寝ているだろうと思ったのに、反応は素早くて、ガウリイが背を向ける前に扉がガチャリと開き、不機嫌そうな声が返ってきた。
「なによ? こんな時間にうるさいわよ!」
「……起きて……たのか」
宿の寝間着を着て、冷えないように薄い上着を羽織っていることから、リナが起きていたのだと分かる。
こんな夜中にまで起きてるんじゃないという気持ちと、それでもリナの顔を見てほっとした気持ちと半々だった。
ルークのことが落ち着いて考えられるくらいになって、やっと少し明るくなってきたというのに、どうしてあんな邪魔が入るのか。
リナがどんな勘違いをしたのかは分からないが、それでもあんな顔をさせたのは事実だった。
ガウリイはそのことに関して謝ろうと思ったが、どう切り出していいのか分からず、「えと……」などと口ごもっていると、リナのほうから怒りの感情を含んだキツイ言葉をお見舞いされる。
「どうでもいいけど、用がないならこんな時間に尋ねてこないでよね」
「あ、いや……用がないわけじゃ……」
「じゃあ、なに? 早く言ってくれないと寝る時間なくなっちゃうでしょ!」
「……す、すまん」
けんもほろろにリナに口早に言われて、それでなくても何を言っていいのか分からないでいるのに、更に慌ててただ謝るだけだった。
「……。はー。謝るだけなら夜中に人の部屋に訪れないでよ」
「だって……」
「は?」
「なんか……出てく時、リナ変な顔してたから気になって……」
「……」
あの表情は何を気にしてああなったのか。
ガウリイとリナの関係は旅の相棒だ。互いに自分の過去を無闇に話すような間柄じゃなかったが、それでも互いに背を預け、死線をくぐり抜けてきた特別な関係だ。
大事な大事な仲間。
そして、いつの間にか気づいたそれ以上の気持ち。
だからこそ、アルベルトの言ったことで、リナが変な誤解をしてしまったというのなら、早く誤解を解きたいと思った。けれど、それをどう説明していいのか分からない。
ガウリイはまだ、自分の思いを口にしてさえいないのだから。
「なあ、アルベルトの言ったことにムカついたのか?」
「……別に。過去ガウリイが何をしようと、ガウリイの趣味がどうだろうと関係ないわ」
「関係ないって言うなら、なんで目を逸らすんだ?」
「……っ」
いつも真っ直ぐ射抜くような強い視線は、アルベルトの名が出た時から輝きを失い、不自然な方向へと視線をめぐらせている。
いつものリナらしくない姿は、ガウリイの心を不安に突き落とす。
「あ、あたしのことはいいから、ガウリイはいったい何が言いたいのよ!? こんな時間に訪ねてきて……非常識にもほどがあるわ」
慌てた様子で話を切り返されて、ガウリイは一瞬怯んだ。
相棒というだけなら、別に言い訳なんて必要ない。
けれど――
「変な風に、誤解されたくなかったから……」
「誤解?」
「あいつらとは五年前に傭兵仲間としていたんだが、当時の仲間から浮いていたオレは、あいつらのおかげで輪の中に入れたんだ」
ガウリイが説明する間、リナは腕を組んで黙ったままだ。
その様子がガウリイをさらに不安にさせる。一生懸命、説明しようとした。
「それにアルは口は達者だし、一回も勝てなくて……」
「……」
「でも、オレはそれでも感謝はしてるから、変に断れなくて……」
「だから?」
今のガウリイは大量のアルコールで頭が半分以上回らない。それでなくても普段の時も『脳みそヨーグルト』と言われるくらい、その溶け具合は絶妙なのに、自分の中にある不思議なもやもやをうまく説明できるわけがない。
リナだって分かっているだろうに、それでも半分苛立ったような口調で冷たく言われてしまう。
「う……えと、だから……アルの言うことを真に受けないで欲しい……」
「だから何に? あんたと深い仲だって言ったこと? キスしたこと? そんなのあたしには関係ないわ」
「リナ……」
「あたしが関係あるとしたら、あんたが彼のものだから、返してもらうって言ったことだけよ。もしその通りなら、あんたとの旅もこれまでだものね。もしかして、明日までには荷造り――ってほどじゃないけど、しておいたほうがいいのかしら?」
一気に捲し立てられて、ガウリイは狼狽えるのと同時に、いい年をして泣きたい気分になった。
リナにしてみれば男に宣戦布告されて、半分ヤケなのかもしれない。そう思おうとするが、それよりもリナにとって自分と別れるのは、それほど辛いことではないのか、という不安のほうが上回る。
以前、一緒に旅したゼルガディスとアメリアのように、いつかひょっこり会えるだろうと思っているのだろうか? でも、リナは変な誤解をしたままで、今までのように気さくな仲になれるだろうか?
リナの気持ちは分からない。けど、ガウリイの答えは『否』だった。
なによりここで終わりになどしたくない。
「違う! オレは……オレは別にあいつのもんじゃないし……っ!」
「でも、あたしのものでもないわよ」
「……っ」
「だから……好きにしていいのよ」
旅の相棒から一歩先に進みたいのに、それなのに誤解されたままで別れるなんて嫌だ。
ふらりと体が動き、リナに近づく。小さな背のリナを見下ろし、彼女の柔らかい頬に触れる。触れた途端、熱を帯び、赤みが増した。
「……ガウリイ?」
「オレは誰のものじゃない。でも……誰かのものになるなら、リナがいい」
自分のものだ、と誰かに言われるなんて冗談じゃない。
でも、そんな冗談じゃないことを、目の前の少女に言われたら許せてしまう。
それこそ、何度「あんたはあたしの便利なアイテム♪」と言われたことか。それでもそれに対して嫌な気持ちになることはなかった。
だから、自分を所有するならリナしかいない。リナなら、自分の力も、体も、そして心だってくれてやる。
ガウリイはそう思うと、それに誓うかのようにリナの小さな赤い唇に触れた。
***
リナは何が起こったのか分からなかった。
夜遅くに訪ねてきて、何が言いたいのか主旨がよくわからない話をぼそぼそと呟く。
どうも夕食の時に会った知り合いのことについて言いたいらしいけど、はっきりいって、あのアルベルトとかいう、いけ好かない名前を聞くだけでムカついてくる。人をくったような態度に、リナはどうも好きになれないのだ。
しかも、今まで自分の位置だと思っていた、ガウリイをおちょくる立場を、なんであんなヤツに譲らなければならないのか。
ガウリイに半分八つ当たりで文句を言っても、アルベルトに渡す気などまったくなかった。
それでもガウリイの口から『感謝してる』というのを聞いて、なんてコイツはお人よしなんだ、と苛立つ。
ムカムカと込み上げてくる感情のまま、ヤケクソに言い放った言葉。下手をすれば、ガウリイと別れなければならないのに、それでも言わずにいられなかった。
言った直後に、ものすごく後悔したとしても――
「がう……」
けれどガウリイは、誰かのものになるなら自分がいいと。そしてそれを示すかのようにリナに口づけた。
触れたのは短い時間。
頬に添えられている手と、触れた柔らかい唇の熱さと、間近で見るガウリイの瞳――信じられないけれど、それは夢ではなかった。
「ガウ、リ……」
「リナはリナにとってオレは相棒だと言ったけど、オレにとっては大切で、好きな人なんだ。他の誰よりも――」
リナは初めて聞くセリフに大きく目を見開いた。
驚くリナと反対に、ずっと隠していた気持ちを吐き出したガウリイはすっきりして、もう一度リナに「好きだ」と呟き、そしてそのまま二度目の口づけをした。
今度は少し長くリナの唇に留まり、その後ゆっくり離れると、ガウリイは満足したのか、「おやすみ」と囁いてリナの前から消えていった。
残されたリナは夢でも見たのかと不思議な気持ちと、ガウリイの触れたところの熱さに戸惑った。
二人の関係は半分は二人の期待通りに、もう半分は予想外な方向へと進み始めた。