食事が一段落し、テーブルに空になった皿が山積みにされた中で、リナはガウリイに一言「知り合い?」と尋ねた。
壁のほうでこちらに視線を向ける男二人の存在は、リナもちゃんと気づいていた。
美女と間違えそうな若い青年と、しっかりとした体躯の彼よりも十歳以上年が上だろうと思える男性。
でもリナには二人の記憶がないため、ガウリイの知り合いかと判断したのだ。
「ええと……分からん」
しかし、尋ねた相手が悪かった。脳みそヨーグルト、スライム並みの知能と評されるガウリイの頭では、彼ら二人の記憶が出てくることはなかった。
リナは軽くため息をつくと、「ま、何か用があるなら声かけてくるでしょ」と言う。ガウリイは「そうだな」と返して考えるのをやめた。
と、同時に問題の二人が席を立って、こちらに向かってくるのが見えた。
「やあ、久しぶり」
青年――アルベルトがにこやかに挨拶するが、誰に対して向けているのか分からない。
リナもガウリイも「ん?」といった顔をした。
「やぁっぱり忘れてるようだな」
「そうみたいね。やっぱりガウリイだね」
にこにこ人のよさそうな顔を崩さずに、アルベルトは返事をした。ヒューのほうは忘れられたのが面白くないのか、少し眉間にしわが寄っている。
リナのほうは『ガウリイ』という言葉を聞いて、ああやっぱりガウリイの知り合いか、と思った。
「あんたの知り合いみたいよ、ガウリイ」
「え、オレ!?」
「……ったく、本当にくらげなんだから」
「くらげ!? ああ、いい得て妙だね。うん。くらげのガウリイ、久しぶりだね!」
アルベルトはリナの『くらげ』という言葉を聴いて、面白そうにガウリイの前に『くらげの』と付けた。
反対に面白くないのはガウリイだ。あまり嬉しくない『くらげ』という呼び方だが、それをつけたリナ以外にそう言われるのは面白くない。
たとえばスリッパで叩かれるのとか、気軽に『くらげ』だの、『脳みそヨーグルト』だのと言っていいのはリナだけだ、とガウリイは思っている。他のやつらに同じようなことを言われ(され)て嬉しいわけがない。
むすっとした顔で、「だからどうした。お前らなど知らん」とあっさりと切り捨ててしまう。
というか、なんとなく若い方を見ていると、何か思い出したくない記憶がありそうに感じる。ここは知らない振りを決め込むのが一番だ、と。
「うわ、酷ぇ!」
「うーん……やっぱりガウリイだねー。興味ないことはスパスパ忘れる癖は変わってないねぇ」
「ねえ、あなたたち本当にガウリイの知り合い?」
今まで黙って見ていたリナが、いつも見られないぶすっ面のガウリイを見て、この二人に興味がわいたらしい。
リナにとってガウリイは剣の腕は一流だけど、物忘れが激しくて、お人よしでおせっかいで、とにかく冷たい人だと感じたことはない。
今も興味ない、といった感じで冷たいというには少し違ったけど、このようなガウリイをリナははじめて見た。
好奇心の虫がうずうずするのが分かる。
アルベルトは見事に連れである少女の興味を引くことができ、にっこりと答えた。
「うん、そう。僕たち――もう五年くらい前になるかな? 同じ仕事で仲間だったんだよ」
「へえ」
「それにしても、当時は終始こんな風にぶすっ面しててねぇ。周りと浮いてしまって困るってことで、僕たちが散々面倒見てあげたんだけどねぇ。忘れるなんて恩知らずだよねぇ」
五年前――それはリナと出会いより三年前のこと。
そして、火の付いてないタバコを咥え、釣竿を持った年齢不詳の男に会う前でもあった。
その頃のガウリイはまだ家と光の剣との確執に縛られて、どこか人と深く接することを避けていた時期だった。
そんな時、請け負った仕事でやたら馴れ馴れしい五つ年下の少年と、そしてその面倒を見ていていた男がいた――と、そこまでして、やっとガウリイは目の前の二人は誰だか思い出した。
「あああああっ! お前ら、アルベルトとヒューか!?」
「当~たり~。ガウリイにしては上出来だね」
パチパチ、と手を叩いてアルベルトが笑う。
その様子を見て、リナは「ああ、これじゃあガウリイはきっとオモチャにされたんだろうな」と心の中で思った。
しかし、しっかりとしているリナは、心の中で思うだけに止めた。実は賢明な判断だったりする。
「で、何の用だよ?」
「うわ、酷いね。一時でも仲間だった僕たちに。あーんなことや、こーんなこともした仲だってのにさ」
アルベルトは大げさに手を額にあて、やれやれ、といったポーズを取った。ヒューは黙ってそのままアルベルトに任せている。
実際、三人がつるんでいたときも、アルベルトがガウリイをオモチャにして、ヒューはそれを面白がって危険地帯の一歩外から楽しんで眺めている――というのが当時の見慣れた光景だった。
リナはアルベルトの「あーんなことや、こーんなこと」という言葉に耳がぴくっと動いた。
「どういう……仲だったのかしら?」
「深い仲♪」
にっこり微笑むアルベルトは、天使というより悪魔の笑みだ。
本来なら、彼のその言動の意味を探るだろう。
けれど、彼は細身ということ、着る服によっては美女として見られてもおかしくないような顔立ちに騙されて、リナは言葉通りに受け取ってしまった。
「…………ガウリイ……あんたそういう趣味だったのね……」
「えっ!?」
「い、今まで一緒にいて気づいてやれなくて悪かったわね。あんたにそういう趣味があるなんて、ちっとも気づかなかったわ」
ガウリイは顔がいい。女性にもモテる。実際、町に行ってちょっとでも離れるとすぐに若い女性が寄ってくるくらいだ。それなのに、彼がその誘いに乗ることは一度たりとてなかった。
その原因が、同性愛にあったとは……と、リナは少し眩暈を感じた。
でもそれならずっと側にいる身近な女に手を出してこない、というのも納得できる。
リナはアルベルトの言葉に見事はまってしまった。
アルベルトはにこにこと、ヒューはニヤニヤとしてその様子を見ている。
ガウリイは何がなんだか分からずに、リナとアルベルトを交互に見回した。
「ええとね、名前なんて言うのかな?」
「リナ、よ」
「リナちゃんね。先に言っておくけど、僕はガウリイとキスまでした仲だから♪」
「おいいいぃぃぃっ!!」
アルベルトの言葉に、ガウリイは青くなって叫んだ。
その叫び声の大きさと、アルベルトの悪魔のような笑みを見て、残っていた客はそろって席を立った。
本能的に察知したのだ。
ここにいたら危険だ――と。
一斉にガタガタと音を立てて立ち上がり、カウンターに行って勘定を済ませる客を横目に、アルベルトは終始にこやかだった。笑顔を絶やさずにリナに問いかける。
「で、リナちゃんはガウリイとどういう関係?」
「……旅の……相棒、よ」
リナは現在の関係を簡潔に言った。今のところ、それ以下でもそれ以上でもない。
アルベルトはふぅんと面白そうに言うと、「じゃあ、僕のほうが上だね。なんせガウリイとは『深い仲』だし」と付け足した。
もちろんアルベルトにガウリイに対する恋愛感情はカケラもない。ただ単に傭兵仲間でゲームをした時に、罰ゲームでそうなったのだが、その辺は教えてやらない。
けれど、アルベルトは美しい女性と見紛う青年だったし、ガウリイのうろたえ具合から、それが真実だと思ってもリナを責めることはできないだろう。
アルベルトは静かに一歩踏み出して、リナの顔間近で囁くように言った。
「そういうことだから、ね。リナちゃん。ガウリイは僕に返してもらうよ?」
さあ、ゲームは始まった。
これからガウリイがどうリナに説明していくのか、リナという少女はガウリイのことをどう思っているのか。
これからこの二人に張りついて、しばらくの間は楽しめそうだと、アルベルトはうっとりするような極上の笑みを浮かべた。