シルフィールがリナを見つけた時は、すでに夜の帳が降りて、月が優しく辺りを照らしていた。
町から少し離れたところで、リナは一休みでもしていたのか、岩に腰掛けて月を見ていた。
声をかけられるような雰囲気ではなく、シルフィールは一瞬躊躇ったが、それでもガウリイのためにと覚悟を決めてリナに声をかけた。
「リナさん」
「……シルフィール?」
「リナさんにお話が……お話があります」
「なに?」
(リナさんはわたくしが来ることを知っていたのかしら? 先ほどは声をかけられないような雰囲気だったけど、今のリナさんは覚悟を決めているみたいだわ)
シルフィールは心の中でそう思った。
リナを説得して、ガウリイの望むようにしてあげたい。でも、今のリナを説得するのは難しそうで、どう切り出そうか思案する。
「先ほどのことでお話が……リナさんはこれからどうするつもりですか?」
「これからって……特に考えてもないわ。考えても仕方ないもの」
「そうして一人で生きていくつもりですか?」
リナは答えない代わりに、小さく笑みを浮かべた。
その表情は全て覚悟の上のものだとシルフィールは感じる。先ほどガウリイを罵倒したのも、彼が怒って思いを変えてくれることを望んだのだろう。
それだけリナの気持ちは強固で、変えさせるのは困難なようだ。
そのため、シルフィールは質問を変えることにした。
「リナさん、どうして二年前、ガウリイ様をサイラーグに行くようにしたのですか?」
「別に……ただ近くて、あいつが迷わずに行けそうな場所を選んだだけよ」
「そうですか? でもだとしたら、リナさんはわたくしに失礼だと思わなかったのですか?」
シルフィールの問いにリナは答えない。
ただ、シルフィールの言葉に、リナは痛ましげな表情を見せた。
シルフィールは一瞬リナの体のことを考え、これ以上問い詰めるのはやめようかと思ったが、口にし始めた憤りは止まらなかった。
「わたくしが……ガウリイ様をお慕いしているのは、リナさんも知っていると思います。それに忘れているとはいえ、ガウリイ様はリナさんのことを好きだったんですよ? それなのに、ガウリイ様のことを思っているわたくしのところに行くようにするなんて……」
シルフィールの責める言葉に、リナがかすかに震えるのが分かった。
シルフィールは何度かリナに対して、ガウリイに対する思いや、一緒に旅をする理由を訪ねたことがあった。だけどここまで面と向かって、しかも感情をぶつけたことはなかった。
その思いの強さを感じたのか、リナは項垂れた。視線を合わせないまま、謝罪の言葉がリナの口からこぼれる。
「……ごめん。ただ……シルフィールの気持ちを知っているから、シルフィールのところに行くようにしたわ」
***
これほどまでシルフィールが食い下がるとは思わなかった――それがリナが感じた素直な気持ちだった。
普通ならここぞとばかりに好きな人をとるチャンスなのに、なぜ反対に自分を諭そうとするのか。それだけガウリイに対して真剣なのかもしれない。
だからリナはシルフィールに嘘をつくことができなかった。
「でもそれは、シルフィールならガウリイのことを大切にしてくれて、ガウリイもきっと幸せになれると思ったの」
「リナさん……」
「あたしはガウリイの過去を知らない。だから、シルフィール以外にガウリイを頼める人はいなかった。あのくらげ、放っておいたら何するか分からないじゃない?」
重苦しい雰囲気を何とかしたくて、リナは少しおどけた感じにいい、なんとか笑みを浮かべる。
けれど、シルフィールの表情が崩れることはなかった。
「確かにそう思っても仕方ないかもしれません。でもガウリイ様も家を出てから一人で生きてきた人です。そんな心配は杞憂だと思いますわ」
「そうだけど……あの脳みそヨーグルトを考えると、ね」
「では聞きますが、再会した後のガウリイ様がくらげとか、脳みそヨーグルトだとか思いましたか?」
切り替えしたシルフィールの問いに、リナの身体が硬直した。
偶然会った時は変わらなかった。
だけど、次に追いかけてきた時のガウリイは、冷たく鋭い刃のような印象を受けた。いつもは暖かな太陽のようだったのに――
「それは……」
「リナさんが隠していることがあるように、ガウリイ様だってリナさんに言わないことがあると思います」
シルフィールが言うこと事実だろうということはリナだってわかっている。
けれど、シルフィールの言葉に素直に頷けなかった。
「あたしは……たぶんあたしの知るところで、ガウリイが幸せになって欲しかった。傭兵ってあまりいい仕事じゃない。ガウリイほど腕があれば、殺される危険性は少ないけど、でも殺伐としていていいことだと思わない」
「それはそうですが……」
「だから……今町の復興に力を入れているサイラーグなら、築き上げていく喜びがあるし、殺伐とした気持ちにはならないと思ったの」
リナは語り終えると、一つため息をついた。
「それに、一つのところに定着すれば、そこから動くことも少ないわ。だから旅をしている間に、ガウリイに会う確立も低いと思った」
「……そこまで考えていたんですね」
シルフィールに答えるように小さく頷く。
だけど、ガウリイのことばかりを考えて、シルフィールのことを考えなかったのも事実だ。
「でも、シルフィールの言うように、あたしはガウリイのことしか考えていなかった。それは悪かったと思う。だけど、そこまでしないと駄目だと思ったのよ」
***
「それは――ガウリイ様の想いが強いから……ですか?」
聞きたくはない。けれど聞かなければならない問い。
シルフィールはリナの返答を待つ。けれど、リナはただ目を細めただけだった。シルフィールはそれを肯定に取った。
でも、ガウリイのためを思うなら、やはり離れるべきではなかったのでは、と考える。
少なくとも自分と二人で築き上げた二年間は、リナの登場でもろく崩れ去った。それだけ彼の思いが強いのだと、シルフィールは感じた。
「それだけの想いがあるのなら、どうして一緒にいることを選ばなかったのですか?」
「それは……」
「リナさんだって、そこまでガウリイ様のことを考えているし、ガウリイ様だってリナさんのことを……」
「駄目なのよ」
シルフィールは自分の思いが届かないことを知り、それならその人に幸せになって欲しいと思った。
だから今度はリナにガウリイの側にいるよう説得をはじめようとしたが、リナは短く拒否した。
「どうしてですか? リナさんの力があれば、ゼロスさんだってどうにかなるのでは」
「確かにゼロスはどうにかできるわ。今なら……ね」
「なら」
「でも、駄目なの」
「リナさん……?」
リナは一度俯いた。そして顔を上げた後は寂しそうな笑みを浮かべた。
「考えてみれば、あたしって一人でいたことが少ないのよね。小さい頃には家族がいて、旅に出てもちょっかいかけてくる奴がいて、その後はガウリイたちがいて ――そう思ったら一人でいることが辛く感じたこともあるわ。だから側にいてくれる人なら誰でもいい――そう思ったこともある。だけど、ガウリイだけは駄目なのよ……」
リナの口調は最初は軽めに、けれどだんだん苦しげな、悲しげなものに代わっていった。
嘘はついているような感じは全く見受けれない。だからシルフィールもそれに返す言葉がなかった。