「……なんの用? ゼロス」
突然現れた人物に、リナの酔いは一気に覚めて、警戒心を顕にゼロスと呼ばれた人物を見た。
「もちろん、忠告のつもりですよ。リナさん」
「……」
笑みを絶やさないゼロスに対して、リナは反対に緊張していた。
それもそのはず、ゼロスはこの世界の魔王・赤眼の魔王の腹心である獣王ゼラス・メタリオムのただ一人の部下――獣神官だ。
その強さはリナも十分承知している。
「リナさんは僕と約束しました。それを違えればどうなるか――それはリナさんも重々承知していると思いますが?」
「約束は…………破ってないわ」
ゼロスの言葉にリナは重苦しく口を開いた。
リナにしてみれば約束を破ったつもりはない。いや、破るつもりなど毛頭なかった。
それよりも再会したばかりなのに、逃げるように消えれば余計にガウリイが不審がるのでは、と判断したからだ。
今はタイミング悪い。ゼルガディスが人間になったという重大事を見過ごすことなどできるわけがない。そう思ってリナはガウリイと旅することに決めたのだ。
それなのに、出会ったその日にガウリイからあのようなことをされるとは思わなかった。
今のガウリイの中に、リナに対する『恋心』などないはずなのだから。
「もう一度言うわ。あたしは自分からあんたとの約束を破る気はないわ。それにあれはあたしの意思で決めたこと。あんたとに脅されたからじゃない」
「リナさんらしい答え方ですね。ですが――」
「うるさいっ! だけど……あたしの決めたことが、あんたの言う約束に繋がるなら……あたしは約束を守るわ」
ゼロスが話を続けようとするのを、リナは怒鳴ることで遮った。
リナの反応に、ゼロスは片目を開け獲物を追い詰めるような表情で問いかける。
「ではリナさんには他意はないと? ただ、偶然ガウリイさんと出会ったと?」
「そうよ。それにゼルが人間になって現れたっていうのに、一緒に行かないってのは変でしょう? あたしはリナ=インバースが取るべき行動をしている――それだけよ」
そう言ってリナは目を眇めた。
本当はそんなことはただの言い訳けだと分かっている。
ほんの少しでもガウリイの側にいたかった。だからそう言い聞かせてガウリイと旅をすることを選んだ。それがどんな未来を引き寄せるのか、薄々気づきながら。
ゼロスはそんなリナの思いを分かっているのに、あえてリナの負の感情を食らうために、小さな言葉の棘をリナに贈る。
「なるほど……だからリナ=インバースとして最低限の行動をして、でも約束は破らない――そうおっしゃるんですね」
ゼロスはなるほどと首を上下に動かして納得する素振りを見せる。それを見ながらわざとらしいとリナは思った。
けれど、わざとらしいのは自分も同じだ。ゼロスにそう言われても仕方ないこと。
でも自分だけならいい、けれどこのままではガウリイを巻き込むことになる。
「だけど、やっぱり一緒に旅するのは……間違っていたかも知れないわね……」
リナは俯いてそう漏らした。
***
ガウリイと別れる前、リナはガウリイの記憶を操作する暗示をかけた。
それは、自分への想いを忘れさせること。
魔王になってしまったルークを倒したあとから急激に二人の距離は近づいた。
リナが泣いたことによって、今まで見せたことがない(見たことない)姿を見て、互いにどれだけ心を許しているのかが分かった。
それまであった仲間という意識以上に、相手が大事だと思うようになった。
リナにとって、ガウリイだから大事なのだ。それはゼルガディスやアメリアに対する気持ち以上のもの。
何もなければ、それはいつか二人の関係が変わっていくはずだった。静かにそしてゆっくりと。
けれど、人より遥かに波乱万丈な人生を送っている二人には、そう簡単に想いを交わすことは出来なかった。
ゼロスの、いや、魔族の横槍が入ったのだ。
魔族がリナに望んだのは、神に味方しないこと――裏を返せばこれ以上魔族を滅ぼさないこと。それを約束をすれば、リナが心を許した存在であるガウリイに手を出さないということ。
自分たちも率先してリナを殺そうとしない分、ガウリイと別れさせ孤立させるための企み。
通常のリナなら決して首を縦に振らなかっただろう。
けれどリナ自身の変化と思惑と、そしてガウリイを失うことを考えた結果、リナは首を縦に振るしかなかった。
リナはその時の満足したゼロスの表情が今でも忘れらない。
自分で納得したとはいえ、魔族の思惑通りになるのは癪だったが、我慢するしかなかった。
ただ普通に別れるのでは、ガウリイが納得しないと思った。だからリナはガウリイから自分に対する想いを封印した。自分に対する執着がなくなれば離れても問題ない、と。
それを知るのは、リナと封印を施したゼロスのみ――
***
「今からでも遅くはないんじゃないんですか? リナさん。ガウリイさんが大事なんでしょう?」
考え込んでいるリナにゼロスが声をかける。
残酷な言葉なのに、その口調にとても甘い響きを感じた。
「今からでもガウリイさんと離れればいいんじゃないんですか? このままセイルーンへ行き、アメリアさんの味方をするとしたら? アメリアさんは白魔法の巫女であり、一国の王女です。魔族を排そうなどと考えてもおかしくありません。そうしたら、僕はリナさんは約束を違えたとりますよ?」
「……」
ゼロスは立ち尽くすリナに、手を上げて大げさに語る。リナは黙ってそれを見ていた。
いや、黙るしかなかった。そう見えても仕方ないし、それを口実にゼロスがどう動くかも予想できたことだ。
けれど情に流されてしまった。決して、してはいけないことだったのに。
心を決めると、リナはおもむろに荷物をまとめだした。ゼロスの言葉を実行するために。
「その気になりましたか? リナさん」
「別に……あんたに言われたからじゃないわ。あたしがそうしたほうがいいと思ったから、よ」
「なるほど。どちらにせよ、僕はリナさんが約束を守ってくれればそれでいいんですけどね」
そう言うゼロスをリナは放っておいて、荷物をまとめると窓を開けた。
(このまま別れるのは辛いけど……一緒にいたほうがもっと辛いことになる。だから……さよなら、ガウリイ……)
リナは心の中でそう思うと同時に「浮遊」と呟き、窓から飛び降りた。魔法により三階だというのに無事に地面に着地する。
リナは一度だけガウリイの部屋を見つめた後、黙って歩き出した。
ゼロスはその様子をリナのいた部屋から面白そうに眺めていた。