この地の領主アーサー=ブラウニングは、問題の三人と息子であるハロルドを執務室に招き入れ全員がそろうと口を開いた。
「まず、リナ=インバース、息子の非を詫びよう。申し訳なかった」
「いえ、今後このようなことがなければ、特に騒ぎを大きくする気はありません」
リナは言外に、場合によっては店の中だけでなく、町中にハロルドの性癖を触れ回るぞ、と脅しを含ませた返答をする。
大きな瞳はその強い意思が宿っていて、その言葉に、領主アーサーは眉をひそめた。
どうもこの娘は見た目はまだ幼いが、頭の回転は速く、息子のハロルドでは御し得ないようだと一目で見抜く。
アーサーにとって、女は控えめで男の後ろを大人しくついてくるというのが女であり、領主である自分に向かって脅しをかけるリナに軽い苛立ちを覚えた。が、少し顔をしかめながら、それでも。
「息子には言って聞かせよう。ハロルドも当分外出禁止だ。いいな」
「ええ? 僕は何もしてないよ! 根気よくリナを口説いていただけだ。それなのに、あの男がいきなり殴りつけたんだ!!」
ハロルドはガウリイを指差し、憎らしげに睨みつけた。
とはいえ、ガウリイはそんな視線に怯むこともない。彼は傭兵として生きてきたため、生死をかけたやり取りを常にしてきた。
そんなやり取りを一度もしていないハロルドの視線など、恐れるものではなかった。
ガウリイは静かに口を開いた。
「オレはリナが無理やり押し倒されそうになっていたから止めたまでだ。普通の男なら、無理やり押し倒されている女性がいたら、助けるのが当たり前だろう」
「それは……ただし、お前は私の息子だと分かっても謝罪はなかったようだな」
ガウリイの当たり前だという意見に、息子の行為がまるで悪だと言われ、アーサーは更に怒りが増した。
少なくとも、アーサーは息子ハロルドは過剰ではあるが、リナに求愛しているだけだと思っているのだ。リナが散々迷惑していたという事実には目を伏せて。
「領主の息子だからといって、非がそちらにあるのに謝罪する必要はないだろう。それよりも、捨てゼリフを吐いて立ち去り、リナに謝罪もしないそっちのほうがおかしいんじゃないのか?」
「何だと!?」
「ガウリイもうやめて。これ以上付きまとわないって約束してくれるならそれだけでいいわ」
自分のことを守ってくれようとするガウリイの心遣いは嬉しかった。
でも、もし領主が難癖をつけた挙句、ガウリイをクビにしたら、組合に報告がいって、ガウリイは職を失う。
だからこれ以上領主を刺激しないようにしたい。
リナは悔しい思いもあったが、もうすでに自分一人の問題ではないため、過去に対しては目を瞑るしかないと思っていた。
「分かった。その娘については息子にはよく言って聞かせよう。ただし、ガウリイ=ガブリエフの処分については別だ。お前はクビだ。理由は分かるな?」
「そんなっ!」
リナは自分のせいで――と手をきつく握り締めた。
しかし、反対にガウリイは割りとケロリとしている。そして、ガウリイは自分の処遇について口を開いた。
「では、違約金として、銀貨二十枚を支払ってくれるということか?」
「なんだと?」
「契約時に、どちらかが契約を逸脱した場合には銀貨二十枚を支払う――と契約書には明記してある」
「確かにその通りだが、お前は領主である私に逆らった」
アーサーの顔が怒りに歪むが、ガウリイは表情を変えずに。
「領主に絶対服従など契約書に書いてない。契約内容は隣の領主が来る間、揉め事が起こった時に対応するということだけだ」
淡々とした口調で答えるガウリイに対して、リナは口を挟まないで見ているだけしかなかった。
その間もガウリイの話は続く。
「それ以外は貴方を、そして貴方の息子を守ることも、ましてや、絶対服従などという内容など契約の中に入っていない。それにあれは仕事以外の時間のことだ」
「貴様どの面下げてそんなことを!」
領主はまさかそんな風に返されるとは思ってもおらず、ソファーから立ち上がってガウリイを罵倒した。
だが、当の本人は肝っ玉が大きいのか、何も考えていないのか、それに対して微動だにしない。
「さっき言ったように、女性が襲われていたら助けるのが当たり前だ。襲っているのが領主の息子だとしても、だ。祖母にそう躾けられたんでな」
「貴様まだ言うかっ!!」
「オレは交わした契約を破っていないし、それでもそれが気に入らなくてクビだと言うのなら、そちらが違約金を払うのが筋ってもんだろう?」
「貴様、領主である私に向かって――」
「領主だろうがいいことと悪いことの区別がつかないほうが問題だろう。オレをクビにするなら違約金が必要だ。それをしないというのなら、ギルドのほうに一報入れさせてもらうことになるが?」
「くっ……」
組合は傭兵を束ねるものであり、仕事を請け負う窓口である。そして、たいていの傭兵はギルドに登録している。
稀に拘束を嫌がり、一匹狼のような存在はいるが、雇い主が契約と違うことをさせた場合、ギルドを通せば傭兵の言い分が通ることも多いため、傭兵として生きていくものは大抵ギルドに入る。
ガウリイもそれに漏れず、ギルドに登録している身で、更にこの仕事はギルドから請け負ったものだった。
ギルドに雇い主の不祥事がばれた場合、ギルドは問題を起こした雇い主からの仕事を請けなくなることがある。ここでガウリイがギルドにこのことを通報すれば、領主アーサー=ブラウニングは、ギルドを通して傭兵を雇うことができなくなるのだ。
隣の領主との問題を抱えているアーサーにとっては、ギルドから縁を切られるということは非常に都合の悪いことだった。
ガウリイはそれを見越して、アーサーにギルドにと言ったのだった。
「……分かった。違約金は払おう。お前がいると私も不愉快な思いをしそうだからな」
「分かった。それなら双方合意ということで契約解消だな」
ガウリイが頷くのを見て、アーサーは渋々金庫から小さな袋を取り出した。
「銀貨二十枚だ。持っていけ」
「確かに。それと、先ほど言ったように、貴方の息子には今後一切リナに近寄らないことも誓ってもらおうか」
「貴様……まだ言うか!」
「それが解決しなければ、この揉め事は解決したことにならない。問題を摩り替えないでほしい。ましてや上に立つものならば」
眼光鋭く、ガウリイは領主なら私情に流されるなと言う。
それは年を重ねたアーサーにとって、まだ青二才と呼べる年のガウリイの指摘を受け入れるのは精神的苦痛を感じるに違いない。ガウリイをものすごい形相で睨みつけている。
けれど、反対に領主だからこそ、私情に流されてはいけないのだ。
アーサーは渋面を作った後、しばらくしてから口を開いた。
「……分かった。その条件も飲もう…。ハロルドいいな?」
「ええ? 嫌だよ! リナは僕のものだ!」
ハロルドは全てガウリイの思い通りになるのが悔しく、そして、自分のものにしたいと思ったリナに近づくなと言われても納得できない。
だけど、今まで黙っていたリナがここぞとばかりに爆弾発言をした。
「冗談じゃないわ! あたし、もうガウリイのものだから!」
その言葉に一番びっくりしたのは、実はガウリイだったりする。
コーデリアは二人は一夜を共に過ごしたのだから、その可能性はあるだろうと思っているし、ハロルドは信じたくないだけだ。
ガウリイだけが昨夜何があったのか分かっていて、だからこそ、リナの発言にびっくりした。
「り、リナ!?」
「ガウリイは黙って! それともなに? あたしとは遊びだったってこと?」
「ち、違う! オレは……」
「じゃあ、こんなところで否定しないでよ! 酷いわ! 女に恥をかかせる気!?」
「いや、そういう意味じゃ……って、リナ、おま……」
慌てて否定するガウリイを横目に、リナはハロルドを見て、「こういうことだから」と言った。
ハロルドは茫然自失して、それ以上なにも言えなかった。